落ちた記憶


おっと、アタシをご指名かい?
それじゃあ期待に応えられるかは分からないけど、この次郎さんが一丁語っていこうかな。
これは酒の席で主が語ってくれた話なんだけどね。聞いたまま話すから、曖昧なところはご了承ってことで。

当時、主は審神者業とは無縁の中学生時代。雨降りで部活が早く終わったから、学校から帰って、居間のこたつでテレビ?っていう通信機械をつけたまま宿題をやってたんだってさ。
厨から母親が包丁を使っているトントンという音がずっと聞こえてる中で、ぼーっと宿題を進めてた。そうしたら、女の人をマンホールに落として殺そうとしたのを監視映像がとらえた衝撃的瞬間というのをやってて、思わず手を止めて見入ってしまったらしい。
その女の人は助かったようだけど、怖いなーと思っていたら、何か記憶に引っかかってくるものがあったんだって。そう言えば自分も小さいころマンホールに落ちたことがあったような…ってね。
これだけ記憶が曖昧なんだから、小学校前のことなのかも。マンホールってのは現代の井戸みたいなものなんだってね。ずっと上のほうに、ぽっかりとまるい穴が開いているのを、
途方にくれて見上げていたことがあったような気がする───穴の縁からはザーザーと水が流れ落ちてくる記憶。
その穴に蓋が乗せられ、真っ暗になって泣き叫んでいたらしい。
その記憶がどうにも引っ掛かって気になった主は、厨の母親に呼びかけてみたんだそうだ。
「ねえ、お母さん」
「なーに」
「私、子どもの頃にマンホールとか、それに似た穴に落ちたことってあったけ?」
「……」
「ねえお母さん、聞いてるー?私、マンホールに」
「……あるよー」
「!」
その返事に、やっぱりあったんだ、と自分で聞いたのにびっくりしたんだって。そりゃあそうだろう、そんな恐ろしい記憶を今まで忘れていたなんて俄かに信じられるものじゃない。一体何があったのか、気になって仕方ない主は続けて問い続けた。
「いつのこと?」
「お前が幼稚園に入学する前だから、4歳の始め頃だよ」
「どこに落ちたの?」
「場所わからないんじゃないかと思うけど、〇〇の学校の横道のマンホールだよ。あの日はすごい雨が降っててねえ」
「何でそんなとこに落ちたの?蓋が開いてたの?」
「……思い出さなきゃよかったのにねえ。お母さんが落としたんだよ」
「……何へんな冗談言ってるの?」
「冗談じゃないから。前のお前は知恵遅れでいらない子だったから、捨てたんだよ」
「!」
「神様にお願いしてね、前のお前をそこに捨てて新しいお前をもらったんだよ。だけど前の記憶が残ってたんだね。
……残念ね、ずっと一緒に暮らしていけると思ってたのに、また新しいのをもらってこなきゃいけなくなったよ」
「お母さん!」

いつの間にか料理の音が止まっていて、厨から暖簾をくぐって母親が出てきた。目が吊り上がって、額の真ん中に皺が寄って───今まで見たことがない般若のような顔だったそうだ。
お腹のところに両手で包丁を持って、真っ直ぐにに自分のほうに向けている母親。
「ちょっと、何、お母さん本当に冗談はやめて」
「どこの家でもやってるんだよ。いらない子は取り替えてもらえるんだから。こんなに大きくなってから取り替えるのは恥ずかしいんだけどね。育て方失敗したみたいで」
母親はそのまま真っすぐに主の方に体当たりをしてきたらしい。包丁の先はかろうじてそれたらしく、主は電気こたつを挟んで母親と向き合ったらしいんだけど、隙をみて玄関の方に走り出て、裸足のままで家から飛び出したんだって。
雨が降っている中を泣きながら夢中で駆けていたら、
「ちょっと、あんたずぶ濡れでどこ行くの!」こう前から呼びかけられた。
顔をあげると、傘を傾けて心配そうに顔をのぞかせているのは母親だった。
「いやー!!!!」
主は身をよじって叫び出し、暴れて手がつけられない。
「何、何があったの?家に変な人でも来たの?」
その場にしゃがみこんだ主は、そのまま泣き崩れてしまったんだ。その後、母親に連れられて家に戻ったら、不思議なことにさっき飛び出したはずの玄関は戸が閉まり、鍵までかかっていたんだそうだよ。

「お母さん、さっきまで家にいて料理してたんじゃないの?」
「40分くらい前に買い物に出て、今帰ってきたところだよ。それより何があったの?」
家に入って濡れた体を拭いてくれる母親はいつも通りの優しい顔。さっきまでの恐ろしい"母親の姿をした何か"はどこにもいなくて、厨を見ても料理をしていた様子はどこにもない。でも、こたつの上に広げていた宿題はそのまま残っていたんだって。
母親にあったことをそのまま話したんだけど「変な話ねえ、お母さんがもう一人いて、包丁でお前を殺そうとしたってことなの。それは夢じゃないかしら。こたつでうとうとして夢を見たんじゃない」と言われたんだそうだ。
そうなのかもしれない。あまりにもおかしな話なもんだから、そう考えるしかなかった。
これで話は終わりなんだけど、少し気になることある───主はそう続けて言った。
ふとしたときに、自分がお腹に包丁を突き立てられ、血を流して倒れている映像が頭の中に浮かんでくることがあるらしい。
「まさか、まさかとは思うけど、もしかしたらあのとき、二度目の取り替えをされてしまったんじゃないかなんて……でも取り替えられたのに前の記憶があるというのも変だし、ハハ、まさかねえ……」

そう笑った主に、アタシは笑い飛ばしてたらふく酒を飲ませたよ。そのまま酔い潰れた主は、次の日にはケロッとしていてアタシに語った過去の記憶も、そもそもアタシと飲んでいたことすらも忘れたようだよ。

そう。それで良いのさ。
あんな記憶、思い出したら───

また取り替えなきゃいけないんだからね。