へっくしょん

「ぬしさま、はい、ちーん」
「ん…」
そっと鼻にちり紙を当ててくれる小狐丸の手はとても優しい。促されるままに鼻をかむと「お上手ですね、ぬしさま」とこの程度の事で褒めてくれるのだからやはり私には大層甘い気がする。普段は撫でて撫でてと求めてくる側だった彼も私のこの様子を見てからは何かと頭を撫でながら甘やかしてくれる側へと方向転換していた。通常運転の小狐丸に慣れっこだった私は最初こそ違和感全開だったものの、今となっては彼の暖かく大きな手が緩やかに髪を梳く感触は既にクセになっている。
「それにしても治らないねぇ…祈祷が足りないのだろうか」
「ううん、これは季節柄のものでどうしようも…」
言い終わる前に盛大なくしゃみをかます私に石切丸の哀れむような視線が向けられた。少し前から春の暖かさが訪れ始めたと同時に、花粉症持ちの私にとっては地獄のような毎日がやって来たのだ。朝から鼻を啜り、目を腫らして挙げ句の果てに止まらないくしゃみの連発。"花粉症"という概念がない刀剣達は主が病にかかったと大騒ぎ、長谷部に至っては自分の方が先に倒れてしまうのではないかという程に顔を真っ青のしながら治療法を探し回り、石切丸も祈祷だといって払い給え清め給えと頭上で何やらシャンシャンやってくれたのだがそれで花粉症が治れば現代医学など必要ない。
結局止まらない私のくしゃみが響く度に心底心配そうに顔を顰める小狐丸には万屋でティッシュ箱を大量買いさせ、それで鼻ちんしてくれと頼んだところ「この小狐にお任せくだされ…!」と目を輝かせて喜んでいた。人の鼻をかむ事の何が楽しいのか私にはさっぱり分からないが、従来人の子と付喪神では考え方も嬉しく思う事も違うのかも知れない。もうそれでいいや。
「はぁ…早く春が終わると良いんだけどねぇ…」
「おや、ぬしさまは春の季節はお嫌いで?」
「うーん、春が嫌いっていうかこの花粉がねぇ」
そう言えば突然何やら思い付いたように目を瞠り「ぬしさまを苦しめるものなどこの小狐が…!」と今にも庭中の花や木を切り倒しに行きそうな小狐丸を必死にその場に制し、まるで長谷部がもう一人いるようなこのやり取りにふぅっと一つ溜息を吐くと再び鼻を襲う感覚に負けて勢いよくくしゃみをかましてしまった。
「!ぬしさまぬしさま、ちーん!ちーんを!」
今までにない勢いに仰天しながらも小狐丸は即座に新しい紙を数枚引き抜いて私の鼻に添えてくれる。さすがは近侍だ、偉い。
「ぅ、ずびっ…、…ん、ごめんね」
「いえ、ぬしさまの御世話は小狐の御役目ゆえ」
「ふふ、ありがと」
今度は私がよしよし、と撫でると久方振りの毛並みの手入れに恍惚とした表情で目を細める小狐丸。狐というよりはただの人懐っこい大型犬に見えて仕方がないがそれを口にするのはグッと堪え、もう一撫でしてから私が立ち上がると小狐丸は毛並みから離れた私の手を名残惜しそうに見つめながらも一拍遅れて立ち上がった。
「よし、仕事の前にちゃんと小狐の毛並みのお手入れしようか」
「それは誠に御座いますかぬしさま!」
「うん、ほんとほんと。おいで」
そう言って執務室に向かって歩き出すと後ろから着いてくる小狐丸の嬉しそうな気配が振り返らずとも分かってしまう。感情がだだ漏れだ、恐らく桜の花弁も大量に舞っている事だろう。そんな彼に「鼻紙箱は余分に用意しておいて」と告げると既に執務室に運び込んであるらしかった。よく出来た近侍を後でたっぷりと可愛がってやろう、そう決めてまた一つくしゃみを溢しながら小狐丸と共に春の暖かい廊下を歩いて行った。

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