愛し方を知らない神様

よく晴れたある日の事。
日差しは暖かく、心地良い風も吹いている。そんな絶好の洗濯日和を逃すわけにはいかないと、歌仙と燭台切が仕切って本丸中の洗濯物という洗濯物を掻き集めて庭に干していく。布団の敷布、各々の内番服や戦闘衣装に手拭いまで大きなものから小さなものまで。その対象は、写しの彼が常に肌身離さず纏っているあの布も例外ではないのだが。
「あーもう、ほら!いい加減に観念しなさい!」
「や、やめろ!俺に構わなくてもいい!」
「構う構わないの問題じゃないんです!せっかく歌仙達がお洗濯しようって言ってくれてるんですから!洗いますよ!」
「こんな扱い…俺が写しだからか…!」
「写しは関係ない!」
やいやいと騒ぎながら山姥切の布を強引に引っぺがそうとする名前と、その手から必死に逃れようとする山姥切の攻防戦はかれこれ一刻半ほど続いている。本丸中を駆け回って逃げる山姥切と名前の姿を目撃した刀剣達はやれ捕まえろと野次を飛ばす者、走るな危ないと注意する者、追いかけっこと勘違いして自分も参加する者などその反応は様々だったが、その結果はようやっと名前が山姥切の布を掴んで強引に引き剥がした事で決着が着いた。
「俺が写しだから…」と嘆く山姥切の慰め係は堀川と山伏に任せ、名前は日頃の運動不足を後悔しつつ荒い息を整えながら歌仙に布を渡したところで不意に背後から感じた視線にぞくりと背を震わせた。まるで身体を鋭利な刃物で貫かれるような刺々しいその感覚。恐る恐る振り返ると、その視線の先には───
「───……三日月……?」
本丸の縁側の奥、廊下へと続く場所の壁から半身だけ覗かせ、名前達がいる庭先をじっと見つめる三日月の姿がそこにあった。常であれば縁側で鶯丸と茶を嗜んでいる時間であるというのに、今日はそこに姿がない事に疑問を感じてはいたが、彼はあんなところで一体何をしているのだろう。
思考を巡らせる名前と視線が絡み合った事に気付いた三日月はその端正な顔を綻ばせ、いつも通りの柔らかな笑みを称えながら声もなくおいでおいでと手招きしてきた。招かれれば断る理由もない名前は洗濯を歌仙に任せ、駆け足で縁側に近付いていくと何故か一定の距離を保つようにそれに合わせて三日月も奥へ奥へと引っ込んでいく。招いてきたのは三日月だというのに一体何だというのだろう。疑問に小首を傾げながら縁側から中へ上がり、三日月が姿を消して行った廊下の先へと向かっていくとある違和感に気付く。
「───…何で、こんなに暗いの…?」
そう、異様に暗いのだ。今は日が丁度真上に登ったばかりで、灯りを付けずとも先まで見通せる明るさのはず。それが何故か今は自分の足元すら覚束なくなる程の闇、闇、闇。どこまでも暗い闇が広がっている。
此処にいてはいけない───本能的に感じ取った恐怖に引き返そうと身を翻すと、そこに広がるのもまた同じ闇。今来たばかりの廊下が何故か真っ暗な闇で覆われている。何かがおかしい、そう気付いた時にはもう、名前の身体は背後から伸びて来た何者かの腕の中に閉じ込められていた。
「…っひ…!」
「そう驚くな。俺だ」
あまりの恐怖に縮こまる身体を背後から覆い被さるように抱きすくめる男の声が耳のすぐ横から響いた。聞き覚えのある声、そして僅かに鼻を掠めた香のかおり。彼だ。
確かめようと振り向く前に、身体を繋ぎ止める腕とは別の手が名前の目元を柔らかく覆い隠す。闇の中でも必死に何かを見つけようと開いていた目は大きな手の平によって伏せられ、もはや意味を無くした視覚すら奪われた。人の身とは不思議なもので、無くした感覚を補う為に他の感覚が敏感になる。今の名前に許された感覚は触覚、嗅覚、そして聴覚だ。
「なぁ、主よ」
「───…みか、づき…」
「この闇でよく分かったな。それ程までに俺の声が愛おしいか」
「……っ……!」
くく、と喉の奥で笑う音と共に彼の吐息が耳を掠める。冗談めいた口振りは名前の知っている三日月のものだというのに、今ぴったりと密着した身体を離すまいとする腕の力も、この空間を作り出したであろう歪んだ彼の神力も、全く知らない別の誰かの物のようで。"口を聞いてはいけない"と感じる本能に従い、下唇を強く噛み締めながら声を漏らさないように耐えているとその努力を嘲笑うかのような楽しげな三日月の声が鼓膜を伝って語りかけてくる。
「主は随分と山姥切に御執心のようだな。写し如しがお前に触れるなど許されまい、何とも忌々しい刀だ」
「………」
「それとも何だ、俺に妬かせようと奮闘していたのか?愛い奴だ。しかしじじいの肝を冷やすのはあまり感心せんなぁ」
「………」
「隠してしまうぞ」
「───……っ!!!!」
三日月は怒り狂っている。そう伝わる声の冷たさに背筋が凍り付くような肌寒さを感じた。隠される、神隠しされる、このままでは───
身じろぎすら許されないほど強く抱きすくめる腕に更に力が込められ、もはや息苦しい苦痛を伴う抱擁に名前が声もなく唸ると、三日月はその抵抗すら愛おしいというように唇を寄せた耳元にちゅ、ちゅ、と甘い口付けを落としていく。もはや愛情と呼ぶにはあまりにも歪でどす黒い執着心に逆らう術はないのかもしれない。そう名前が諦めかけたその時、闇の奥から彼女を呼ぶ近侍の声が聞こえた。
「───主!主、何処にいらっしゃるのですか?!」
「っ!長谷部…!長谷部───!」
「!!主ー!!今長谷部が参ります!!!」
霊力の乱れに気付いたのか、名前を呼びながら本丸中を駆け回っているであろう長谷部の足音が響き渡る。彼が助けに来てくれる、その希望が見えた名前は恐怖に張り詰めていた気が一気に緩み、目元を覆い隠す三日月の手の平を熱い涙の雫で濡らしていった。
「……いつまでも邪魔な奴よ」
心底から忌々しさを込めたような冷たく暗い声を耳元に残し、三日月の腕が身体から離れていくにつれて同じように空間を覆っていた闇が引いていく。思わず腰が抜けてへなへなとその場に座り込むと、息を切らしながら駆け回る長谷部が名前と三日月の姿を見つけて一気に距離を詰めて来た。
「主ー!!!きっ、貴様…主に何を…!!」
床にへたり込み、はらはらと涙を流す名前の元に一目散に駆け付けた長谷部は思わず名前を強く抱き寄せながら三日月を見上げ、今にも圧し切ると抜刀しそうな勢いで噛み付いたが当の本人は涼しい顔で「ただの戯れだ。ではな、主」と愉快そうな笑い声を残して元どおりになった廊下の奥へと消えていった。長谷部は名前を一人残していくことなど出来ず、堰を切ったように泣き出す彼女の涙に慌てながら落ち着くまでの間、と自らに理由をつけてしばらく名前を抱き締めていたとかいないとか。


▼審神者は三日月宗近に好かれすぎました。山伏国広に嫉妬した三日月宗近は、怒り狂いながら目隠しをしてきますが、へし切長谷部があなたを助けにきます。
その結果、無事助かりました。


return