愛憎半ば行方不明

※破壊表現注意

「貴女がいけないのですよ」

そう言って私を見下ろす太郎太刀の目は、もはや正気という色を失っていた。普段から、どこか浮世離れしているとは思っていた。その大きさ故に扱える者がいなくなり、神社に奉納された刀。現世に思うところはない、と語っていたように、この本丸で過ごす日々でも彼が心を乱す様子は見た事がなかった。それなのに、どうして。
今の太郎太刀の目はまるで、嫉妬に狂った男のそれだ。
「あるじ、さま…にげて…くださ…っ…」
「───っ!!だめ、喋っては…!」
「ぼくはどのみち…もうすぐおれてしまうでしょう…っ、かりにまだたたかったところで…ぼくは…っ…」
「主を守り抜く事など出来ない、でしょうね」
私の腕の中でぐったりと横たわり、苦しげに喋る度にその小さな口から鮮やかな血を吐き出す今剣の言葉を引き継いだ太郎太刀は僅かに口角を上げて笑った。
どうしてこんな事に。私はただ、昨日の戦で誉を取った今剣に「あるじさまをどくせんするじかんがほしいです」とねだられ、褒美としてその時間を過ごしていただけだというのに。突然私の部屋を訪れた太郎太刀は出陣でもないのに戦装束に身を包み、その手には身の丈程の大太刀を携えて───何事かと問う前に彼に斬りかかった今剣を、止める間も無く一太刀に斬り伏せた。そして今剣の小さい体を抱き寄せ、呼吸すら忘れて声を無くす私に鮮血の滴る切っ先を突きつけてくる。
「どうして…どうして、こんな事…」
「言ったでしょう。貴女がいけないのです」
「そんな…何を…」
もはや虫の息の今剣を強く抱き締め、無意識に小さくいやいやと首を振る私の頬に痺れるような痛みが走る。そして暖かい雫が流れた事から、太郎太刀の突きつける切っ先に肌を裂かれたのだと理解できた。そのまま鋭い刃物は頬から首、鎖骨まで至る所に傷跡を付けていく。逃げなくてはいけない、けれどこのまま今剣を置いていく事など出来る訳がない、そんな私をいたぶるように小さな痛みを与えては深くなっていく太郎太刀の笑みがただただ恐ろしかった。
「あるじさまを…きずつけるな…っ…!」
「動きもしない体で口だけは達者ですね。その口も塞いでしまいましょうか」
「っ…!あるじさま、ぼくをおいて…にげて…!」
「逃がしませんよ」
私の肌を裂いていた切っ先は苦しげに歪む今剣に向けられる。そしてどこか焦らすように小さな口元をなぞった後、今剣の手元で転がる彼自身、短刀の刀身に突き刺さり、中心から真っ二つに折った───
「───…っ…!!!!」
私の声が出なかったのは、驚愕からなのか、恐怖からなのか。
そのどちらかも分からないまま、太郎太刀は竦んで動かない私の腕を掴んでズルズルと畳の上を引きずっていく。私が抱えていた今剣の体はもはや物言わぬ肉塊と成り果て、血だまりの上で目を見開いたままこちらを見ているように思えた。
このまま何処に連れて行かれるのか───分からないまま抵抗すら出来ずに太郎太刀に引きずられていく。見慣れた部屋の奥、普段は箪笥を置いていたはずのそこはなぜか暗くぽっかりと口を開けた暗闇が広がっていて。あそこに入ればもう二度と戻っては来れないだろう。そう分かっていながらも太郎太刀の進む足を止める術など、ない。
「貴女がいけないのです」
「………」
「人の男の体を与えて、愛おしいという感情を教えて、私を嫉妬という鬼に変えた。私は現世の俗になど塗れたくはなかったというのに。貴女がいけないのですよ」
ぼんやりと靄がかかったように働かなくなった頭では、もはや太郎太刀が語る言葉の意味など理解する事は出来なかった。それでも繰り返される「貴女がいけないのだから」という言葉に太郎太刀は縋る事しか出来ないのかもしれないと思えば、彼もまた"人間の感情"という複雑で救いようのないものの被害者なのだと受け入れてしまいそうになってしまう。その時───
「おやおや、鬼の気配を辿って来てみれば…御神刀が随分と成り下がったものだねぇ」
「…ひげ、きり…?」
「主は連れて行かせないよ。君は一人で神域に還るといい」
柔らかな声音の中に、確固たる強さを潜ませた髭切の声。重い頭を持ち上げて部屋の入り口に視線を向けると、抜刀した刀を構えたまま穏やかな笑みを浮かべる髭切の姿がそこにあった。
「貴方に言われたところで私が彼女を置いて行くと思いますか?」
「うーん、思わないかなぁ。まぁ、大人しく置いていく気がないなら…その腕ごと貰うしかないよねぇ」
「人間の体の腕、たかが一本や二本、貴方に奪われたところで思うところはありません」
「あはは、僕だって君の腕なんかいらないよ。君の腕"ごと"彼女を置いていってもらう、そう言ったんだ」
まるで他愛ない会話を楽しむような口調で恐ろしい会話を繰り広げる二人。その会話を聞きながらも未だ腕を捕られて動けない私の体は一瞬ふわりと宙に浮いたかと思うと、次の瞬間には太郎太刀の脇に抱え上げられてしっかりと固定されていた。
太郎太刀はそのまま今剣の残骸に突き刺さった大太刀を片手で引き抜き、その切っ先を今度は髭切に向けている。互いに白刃を向け合い、今にも斬り掛からんばかりの張り詰めた空気の中、私はどちらの手に渡ってももはや助かる道は残されていないのではないか───そんな事を呆然とする頭で考えていた。
「鬼は斬って退治しないとねぇ」
「彼女という宝を渡そうとしない貴方こそ、本当の鬼なのではないですか」
「言ってくれるね。殺しちゃうよ」
「───いざ」

▼審神者は太郎太刀に好かれすぎました。今剣に嫉妬した太郎太刀は、目をギラギラさせて刀から血を滴らせていますが、髭切があなたを助けにきます。
その結末やいかに───


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