堕ちてゆく先は

▼貴女は神様に愛されすぎましたシリーズ


今日の誉を総取りしたのは、この本丸の初期刀である加州清光だった。
まだ右も左も分からず手探りで本丸を稼働する中、二人三脚で助け合いながら今日まで心身共に支えてくれたこの一振りが誉を取ってきたのは実に久し振りのことだ。

"誉を取ってきた子には一つお願い事を叶えてあげる、とかご褒美を用意すると良いよ"と、初めての演練相手である本丸の審神者から頂戴した助言を試しに実行してみたところ、個人差はあるものの戦闘に積極的になる者や、遅れを取らないようにと鍛錬に励む者も増えて本丸全体が活気付いたのでご褒美制度は今も続けている。
刀剣男士全体の練度もみるみる上がっていく中、加州清光は伸び悩んでいた。修行を終えて強く逞しくなった刀や新たに顕現した刀に追い抜かれ、彼がどれほど辛い思いをしたことか。そんな中でのこの誉、出来るだけの願いは叶えてやろうと意気込んでいたものの、加州の要望は"主と二人っきりで爪紅を塗って欲しい"という実に質素なものだった。
「ねえ、加州。本当にこんなことでいいの?」
歌仙あたりなら万屋で大層値の張る茶器をねだるだろうし、日本号や次郎太刀ならこれ幸いとばかりにありったけの酒を要求してきただろう。加州なら高級爪紅や装飾品など欲しいものも尽きないのではないかと思ったが、蓋を開けてみればあっさりとしたお願い事で拍子抜けしてしまった。
しかし加州は不本意だと言わんばかりに唇を尖らせて、上目遣いにこちらを見遣る。
「こんなことじゃないよ、最後に主と二人っきりになれたのいつだと思ってんの?」
「まあ、最近は忙しくて仕事漬けだったしねえ。うちの近侍は月一で交代制だし…」
「そ。どんどん顕現しちゃって近侍の順番もろくに回ってこないしさあ」
初期刀は主に執着する個体が多いという。それはどの本丸も同じらしいが、この加州清光は特にその傾向が強いように思う。
今でこそ刀剣の数も増えて、一振り一振りの相互理解を深めるためにも近侍は交代制を採用しているが、初期頃は常に加州を傍に置いていた。それは加州自身の希望でもあったし、それに応えることで喜ぶ加州を見ると満足していた部分も確かにあった。そして何より、私の不安や弱い心が加州への依存という形で現れてしまったのだと思う。

新任審神者にありがちな共依存、しかしそれを払拭しなければ取り返しのつかないことになる。刀剣男士による神隠し、神域へ連れ去られて二度と帰ってくることはない。そんな話は数え切れない程聞いてきた。だからこそ、この加州清光とも適正な距離で接しなければならないのだ。
「あー。二人っきりで、主に爪紅塗ってもらって。俺愛されてるなあ。ね、主」
「はいはい、動かないでねー」
「俺、愛されてる。ね、主?」
「もう、動くと塗れないよ」
「愛されてるよね?俺、愛されてるんだよね?」
「……動かないでってば」

「愛されてる。俺は主に愛されてる。愛されてるんだ。そうだよね?主───俺、愛されてるよね?」

コトン、と。音を立てて爪紅の容れ物が目の端に転がっていく。ああ、畳に染み込んでしまう、なんてやけに冷静に考える間に、こちらが握っていたはずの加州の右手が一瞬で私の両手首を掴んでいた。
骨張って細いこの手のどこからこんなに強い力が出ているのか。振り払おうとしても微塵も動かず、むしろ加州の指は私の皮膚に食い込んで肉を変形させていく。ギリ、と鈍い音が漏れる程の力で繋ぎ止められ、そこから明らかに"良くないもの"が体内へ逆流してくるのが分かった。
「か、加州…っ、やめ…」
「愛されてる。愛されてる。愛されてる───愛されてるんだ」
「っ、加州…!加州清光!やめなさい───!」
「最後に主と二人っきりになれたの、いつだと思う?96日と18時間56分32秒前だよ。あの日から時計の針が沢山回ったんだ、沢山、沢山、たっくさん」
この流れ込んでくるものの正体は、神気だ。
加州清光の神気。私の霊力を押し負かして加州の神気で満たそうとしている。本来は審神者の霊力を供給して動かしているその依り代から、逆に神気を注ぎ込む事で支配しようとしているのだ。その先に待っているのは、そう、神隠し───
「!!いや!いやぁあ!!大倶利伽羅!大倶利伽羅ぁ!!」
「───やっぱり、彼奴なんだ」
咄嗟に口から出たのは加州清光を制止する言葉ではなく、近侍に助けを求める叫びでもなく───あの一振りの名前だった。
「俺、知ってる。何で大倶利伽羅があんなに四六時中鍛錬して強くなりたがってるのか。誉を取るために無茶し過ぎて怪我して帰ってくるのか。彼奴まだ弱いからさあ、毎日必死に鍛錬しても誉なんて取れるわけないんだよね。だから怪我して手入れしてもらうの、その時間は主を独占できるから。そして主も大倶利伽羅には絶対に手伝い札は使わないんだよね、主の手で治してあげるんだよね、彼奴だけ、彼奴だけ、彼奴だけ───!!!!!!」
瞬間、加州の背後にどす黒い何かが見えた。
刀剣男士の闇落ち───研修資料で読んだ項目が咄嗟に頭をよぎる。執着・執念・後悔・心残りなど何らかの理由から歴史改変を目論んだ場合や拷問等による精神崩壊などから彼らは到底付喪神とは呼べない"何か"に変化する。その兆しが一欠片でも見えれば対象は問答無用で即刀解、または破壊しなければならない。
しかし今やこの体には加州清光の神気に侵され、霊力による刀解など到底不可能だ。このままなすすべもなく身を任せるしかないのか。諦めかけたその時だった───

「───御免!!!!!!!」

近侍の長曽祢虎徹が執務室の襖を袈裟斬りにして姿を表した。
加州の願いである二人っきりという空間のために長曽祢には下がらせていたものの、傍で待機していてくれたのか、加州の放つ歪んだ神気に気付いて駆け付けてくれたのだ。それでも助かった、と安堵するその一瞬一瞬の間に身体中に深く濁りきったおぞましい気が充満していく。その影響なのか、段々と薄暗く霞んできた視界には加州に刀を突き付ける長曽祢の姿。
「やだなあ、俺にそんなもの向けないでよ」
「加州。同じ新撰組の刀のよしみだ、一瞬で終わらせてやる」
「あっはは。もう誰にも邪魔させないって決めたんだ───ねえ、主」
もはや呼吸をすることで精一杯のこの体を加州はまるで人形のように抱き寄せ、新しい爪紅が艶やかに光る指先を私の髪に絡ませていく。一本一本を慈しむその手は次第に浅黒い靄で覆われてきた。もう、戻ることはできないのだ。加州清光も、この私も。

最期に一目、会いたかった。
大倶利伽羅──────さようなら。






▼あなたは加州清光に愛されすぎました。大倶利伽羅に嫉妬した加州清光は、不満げな顔で神隠ししようと詰め寄ってきますが、長曽祢虎徹があなたを助けにきます。
しかし、残念ながら手遅れでした───


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