追いかけっこの結末

「主!俺は今日も好いているぞ」
「はいはい、ありがとうございます」
もはや恒例となりつつある朝の挨拶、もとい四六時中顔を合わせる度に始まる愛の告白を名前は軽くあしらいながら逃げていく。彼と恋仲になったのは、季節が三つ程移ろう前のこと。互いの気持ちが通じ合い、心身ともに一つになったあの夜から、三日月はまるでそれまでの距離を詰めるように名前への執着心を強めていった。
ひと時すらも離れることを拒む理由は分かっている。彼は神で、名前はただの人の子なのだから。流れる時の速さはまるで違う。名前の一生など、三日月の瞬き一つの間に終わってしまうようなものだ。だからこそ出来る限り傍にいたい。その気持ちは名前も確かに同じなのだが。
庭に縁側、自室から果ては風呂場まで、気を抜けばいつの間にか傍にいられるのは流石に心が休まらなかった。四六時中付きまとう彼から逃れるには一つの場所に長居しない事が一番だ。自らじじいだ、と語るわりには底知れぬ体力の持ち主なのだから侮れない。
「おいおい、三日月は今日も主に付き纏ってるのか?」
「鶴丸ー。助けてよー」
「はは、三日月のご執心ぶりには驚きだなぁ」
「笑い事じゃないんだってばー」
廊下を駆けている最中、顔を合わせた鶴丸は元々事情を知っている一人で、ほとほと困った様子の名前に好奇心と憐れみの入り混じった笑みを浮かべながらポンポンと頭を撫でてくれる。長いあいだ近侍を勤めてくれていた彼は名前の性格も、肩の力を抜く方法も熟知していて、苦楽を共にした仲だ。だからこそその大きな手の温もりと優しさは、三日月のそれとはまた違う落ち着きをくれた。
「ま、そんなに邪険にしてやるな」
「はーい」
「よし、お利口さんだ」
よしよし、と頭を撫でる鶴丸はまるで兄のようだ。普段は目新しい驚きを求めて名前や他の刀剣に悪戯ばかり仕掛けていても、ここぞという時にはやはり頼りになる。どちらが主か分からないような雰囲気だが、それでもこのまったりと落ち着ける空気は心地好い。
なのに。
「おっと、こんな所に居たのだな」
「??!」
突如ひょいっと身体が宙に浮いた感覚に驚いた瞬間、頭上から噂の主の声が降ってきた。
訳も分からずジタバタと暴れてみても身体は床に降りてくれない。何が起こったのか、慌てて体の周りを見回すと腹の辺りにがっしりと堅い腕が回されているのが見える。要は三日月の片腕だけで小脇に抱え上げられているらしい。
「はっは、暴れるな暴れるな」
「ちょっ!三日月!離して!」
「離したところでまた逃げ回るだろう?鬼遊びも良いが主はすぐに隠れてしまうからなぁ」
はっはっは、といつもの軽快な笑い声は変わらないが、心なしか抱えられるその腕の力が強い気がする。というか男女の体格差はあるとはいえ、片腕だけで抱き上げられ、更には暴れてもビクともしないその力強さには素直に驚きだ。
これはまずい。この状態は非常にまずい予感。暴れるのを一旦止めて、恐る恐る三日月を見上げてみると、片腕に一人分の重さを抱えているとは思えないほど普段と変わらない笑顔を浮かべていた。
「ではな、鶴丸」
「おう!お手柔らかになー!」
いや、驚いている場合ではない。
三日月は相変わらず涼しい笑顔を湛えたまま名前を小脇に抱えた状態で鶴丸と挨拶を済ませ、颯爽と廊下を歩いていく。
「三日月!ねぇ三日月!ちょっとどこいくの?!」
「ん?そうだな、とりあえずは声の漏れない蔵にでも行こうか」
「声…が…漏れない…?」
不吉な予感がした。この予感は当たっている気がする。当たって欲しくない方向で当たってしまっている気がする。
「俺というものが在りながら主は随分と移り気なようだからな。ちとじじいの仕置きが必要だろう?」
小脇に抱えた名前を見下ろす三日月の目は相変わらず穏やかだ。
が。
笑っていない。柔らかく象ってはいるが瞳の奥は全く笑っていない。
「三日月…さん…?」
「さぁて、主。どの蔵にしようか?」
ヒク、と名前の頬が引き攣っていく。
対照的に三日月の頬は穏やかに弧を描いていた。


その後、壁が分厚く防音仕様になっている蔵の中からは名前の甘ったるく鳴き叫ぶ声が漏れ聞こえていたとかいないとか。

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