君を手折る夜に

※破壊表現注意

「本当に、綺麗な髪をしているね」
そう言って私の髪を一房、手に取る歌仙はうっとりと酔いしれたように囁いた。彼は私の髪だけではなく、全身に至るまで余すことなく賛辞の言葉をくれる。「肌はどんな陶器にも勝る白雪、この睫毛の一本すら美しい」と触れるその指先は、まるで氷のように冷え切っていた。
私と歌仙の二人きり。周りからは何の音もしない。短刀達がはしゃぎ回る笑い声も、厨で包丁が食材を断つ軽やかな響きも、穏やかな風が揺らす草花のそよめきも。昨日まで当たり前に感じていたあの日常は鳴りを潜め、もう戻ってくることはないのだ。この本丸があの輝きを取り戻すことも、政府の手に戻ることも、恐らく。もう、ない。
「ああ…ここにもあの神気が纏わり付いているのか」
陶酔したような歌仙の顔から、一瞬全ての感情が消える。その変化に驚く間も無く、次の瞬間、私の髪は頭から離れて歌仙の手元に渡っていた。
切られたのだ、と理解するのにはまた少し時間がかかってしまうのは、私の思考回路が働くのを拒絶しているからなのか。ただ呆然と見つめる先の歌仙は、切ったばかりの一房の髪に手をかざして自らの神気を注いでいた。"あの神気"と憎々しげに呟いた、三日月の気を掻き消すように。
「全く、忌々しいね。頭の先から爪先までこんなに汚されて。可哀想に…僕の名前」
新たに歌仙の神気で塗り替えられた髪を大層大事そうに懐に仕舞い込み、再び私の頬を撫でる歌仙の手の冷ややかさに背筋が震えた。どうして、三日月しか知らないはずの真名を、この刀が口にすることができるのか。その答えが見つかる前に、歌仙が握る刀の切っ先が今度は私の首元に触れた。
「ここにも、ここにもここにも神気を感じる。奴は大層君にご執心のようだ」
歌仙が指す"奴"とは、やはり三日月のことだろう。私の愛しい刀。私を愛で包み込んでくれる刀。身体中に触れながら注いでくれた彼の神気の存在は私も感じることができる。そしてその気から、彼がたった今、事切れたことも。
「ああ、折れた」
独り言ちたように囁く歌仙は心底からの満足気な笑みを浮かべて。対する私の瞳からは、たった一筋の涙がこぼれ落ちた。
「君が欲しいよ、名前。この肌も、髪も、瞳も全て。君が欲しい。欲しいんだ」
頬を伝う温かな雫を舐めとる歌仙の舌先は、その手とは正反対に燃えるような熱を孕んでいた。ざらついて湿ったその舌は頬から眦へ、そして唇へと滑って。血の気の引いた私の口腔に割り込み、奥に縮こまった舌を絡め取られる。空気の流れる音すらしないこの部屋に、濡れた粘着音と歌仙の情欲に満ちた吐息だけが大きく響いていた。
「君の首をくれないか」
私の口腔を我が物顔で暴れ回りながら、荒く乱れた呼吸の合間に歌仙は陶酔しきった口調で囁いてくる。それは形だけの問い掛けで、私に選択肢がないことを察した。
「うんと大事にすると約束しよう。毎日髪を梳いて、肌の手入れも怠らない。君の首だけの台座も用意するつもりだ」
私の見開いた目が紡いだ瞬きを了承と取ったのか。歌仙はようやっと唇を離すと、仲間の刀剣達の血で紅く染まった打刀を私の首筋にそっと添えた。
「痛みなど感じさせないよ。君は目を閉じていればいい」
「───そんな刃こぼれした刀で主の首を撥ねようとは驚きだ。君のそれは介錯にも使えんだろう」
はは、と苦し気な笑い声がした方に、私と歌仙は同時に振り向く。視線の先には戦装束を血で真っ赤に染め、白い部分など見つからないその姿はとても鶴のようには見えない、鶴丸国永が立っていた。
いや、かろうじて立っている、というべきだろう。襖に体重を預け、息も絶え絶えのその体は荒い呼吸で上下に大きく揺れていた。一体何をされたのか、と聞く余裕はない。歌仙に向けられた太刀の刀身には幾筋も亀裂が走り、振るうだけで折れてしまいそうだ。鶴丸の目は酷く血走り、顔は苦痛を隠しきれていない。それでもここまで助けに来てくれた。恐らく刺し違える覚悟を持って。
「そんな体で何が出来るというんだい?もう刀を振るう力もないだろう」
「はは、刀を振るうだけの戦い方しか知らない君に驚きの仕留め方を教えてやろうか」
二振りの視線が交差していた瞬間は、刹那の間。それを先に外したのは、鶴丸の方だった。
ギリ、と音が響くほどに握られた太刀を腰に据えて、こちらへ踏み込んできた鶴丸の懐には新たな刀傷が増えていて。そこから溢れ出す鮮血を抑えながら膝から崩折れる鶴丸の元には、歌仙の姿が在った。一瞬のうちに私の前から鶴丸の懐に入り込み、彼を一太刀の元に斬り伏せた歌仙は場違いなほど軽やかな笑い声を上げる。
「君は聡い刀だと思っていたんだが、こんな勝ち目のない戦いに挑むとはね…確かに驚きだ。そこでそのまま見物していると良い」
もはや体を起こす力もないのか、うつ伏せに倒れこんだまま顔だけを私に向ける鶴丸は、私の元へと戻ってくる歌仙の背に「やめろ、やめてくれ!!!」と悲痛な叫び声を上げた。
そんな声など意に介さない歌仙は刀に付いた血を振り払うと、改めて私の首元に狙いを定める。
「さあ、動かないでくれ。その綺麗な髪が汚れるのは勿体無いからね」

▼審神者は歌仙兼定に好かれすぎました。三日月宗近に嫉妬した歌仙兼定は、険しい顔で「首が欲しい」と言ってきますが、鶴丸国永があなたを助けにきます。
しかし、残念ながら手遅れでした


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