鳴けない小鳥

「後悔しているか」
私をその腕に抱きながら、膝丸はそう問い掛けてきた。
此処は彼の神域。朝も夜もないこの世界で、私達は片時も離れずに触れ合った。時に激しく求め合い、また時には互いの存在を慈しみながら愛を確かめる。もう、死という概念が私達を引き離すことはない。歳をとらず、体が老いることもなく、時は刻むことを止めた。愛しい彼と共に永遠をゆく。それの何を後悔しようというのか。
私の瞳からその答えに気付いた膝丸は穏やかに微笑むと、大きな手で頬をそっと包み込んでくれる。そのまま肌の感触を楽しむように撫で、優しく上を向かせて甘い口付けを注いでくれた。互いの唇を重ねては離れ、また深く触れ合わせる。柔らかく暖かい肉の感触と膝丸の吐息に触発されて私の体は熱を孕んだ。
「後悔、しているか」
もっと、と口付けの先を欲する体を押し付けながら膝丸の首に腕を回すと彼は再び同じ問いを発した。もう答えなど分かっているだろうに、二度目の問い掛けには小さな不安が見え隠れしている。今一度はっきりと意志を示すために視線を合わせながら首を横に振ると、膝丸の目からは不安が消え、代わりに悲しげな色が浮かんだ。
「俺にも聞いてくれ」
何を、と目で訴えると、彼は「俺が後悔しているかと聞いてくれ」と続けた。
思わず目を逸らしてしまう。聞けない、聞きたくなどない。私とたった二人きり、永遠に朽ちることのないこの世界で生きてゆくことを彼は後悔しているのだろうか。だから私にそう問うたのか。不意に零れ落ちた一筋の涙と共に膝丸の首から腕を解くと、私の体は離れようとする意思とは反対に、力強い腕に抱き寄せられて膝丸の膝に跨るように抱えられた。
「泣かないでくれ」
そう呟く彼のほうが、今にも泣きそうな顔をしていた。
私の頬を伝う雫を指先で掬い取り、そのまま眦に溜まる涙を優しく拭うとその指先は肌を滑りながら私の喉元に辿り着く。
「共に生きてゆくと決めたことを後悔などしていない。ただ、俺は───」
もう一度、愛していると言って欲しいのだ、と。そう呟いた瞬間、遂に膝丸の瞳からも雫が零れ落ちた。

嗚呼、早くこの涙を止めてあげたい。彼が求める言葉を囁いてあげたい。それなのに、私の喉はひゅうと息を吸い込む音だけを漏らして声を発することが出来なかった。
「すまない」
謝らないで欲しい、と伝える手段を持たない私の唇は、それでも何とか伝えようと酸素を求める魚のようにぱくぱくと開閉を続ける。それを見つめる膝丸は更にもう一度「本当に、すまない」と涙声で呟いた。

私の声が好きだ、と膝丸はよく言っていた。目も、髪も、心も、全てが好きだ。それでも一つ挙げるとするなら、声が一番好きなのだと。繰り返し名を呼んでくれ、愛していると言ってくれとねだられる度にその通り囁けば膝丸は心底嬉しそうに私を抱いて口付けた。その声を失ったのは、この神域に来てからだ。
これは膝丸への罰なのか、人としての領域を超えてしまった私への罰なのか。

後悔しているか、という問い掛けは、私へのものだったのか、それとも膝丸自身へのものだったのか。
声を持たない私にはその答えを得る手段などなく、ただ膝丸の涙を拭うことしか出来なかった。

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