いっぱい食べる君が好き

「ねえ主、だいえっとって何のことだい?」

近侍の仕事をこなしながら唐突に発せられた疑問に、思わず私の手が止まる。
「……いきなりどうしたんですか」
「いやあ、さっき朝餉の席に主がいなかったから、弟の…何だっけ、弟丸に聞いたら"主はだいえっと中だそうだ"って言うから」
膝丸め。固く口止めしておいたはずの彼の弟は、親愛なる兄の質問に簡単に口を割ったらしい。

私は今、絶賛減量中の身だ。ここ最近、忙しさにかまけて不摂生な生活を続けていたこともあり、徹夜のお供の夜食や手軽な高栄養食ばかり口にしていたせいで鏡に映る自分の姿に悲鳴を上げたのがつい数日前。
健康的な減量なら適度な運動と食生活の見直しで時間をかけて改善していくのが一番なのは重々承知しているけれど、一日中執務室にこもって机にかじり付いている生活では、理想の体型になる頃には老人になっているかも知れない。そこで手っ取り早く体型を元に戻すために、私が選んだ方法は食事を極端に減らす事だった。

ただ、髭切には知られたくない。理由はもちろん恥ずかしいから。
彼と恋仲になってから一月近く経ってはいるが、まだ肌を重ねたことはない。だからこそ、初めての夜を迎える前に体の贅肉を落としておきたいのだ。そんな乙女心など微塵も理解出来ないとばかりに顔を顰める膝丸に、後生だから黙っていてくれと頼み込んだのに。あっさり暴露されてしまった。
「ねえ、具合でも悪いのかい?」
「いえ、そんなことは…」
「お腹は空かないの?主の分の朝餉なら取っておいてあるよ」
どうやらダイエット中、という理由自体は聞いても、その意味自体は教わらなかったようだ。よし、罪状半減。しかしこの場をどう切り抜けるべきか。
言葉に詰まる私の顔を覗き込み、珍しく不安げに眉尻を垂らす髭切。心配させたくない気持ちももちろんあるが、やはり打ち明けるのは恥ずかしい。自然と俯き気味になっていく私の表情が気になるのか、髭切の大きな手が優しく頬に触れて顔を上向きに持ち上げられる。
「何だか顔色も良くないね。僕には隠さないでほしいんだけどなあ」
少しの不安と寂しげな色が浮かぶ彼の笑みに、罪悪感が込み上げる。真直ぐに向けられるその瞳から逃げるように思わず顔ごと横に逸らすと、髭切の手は名残惜しげに離れていった。
「───僕の事が嫌いになった?」
「…え…?」
「良いんだよ、うん。それならそれで良いんだ」
あっさりと諦めきった言葉とは裏腹に、酷く傷付いた表情を浮かべながら、それでも笑みを取り繕う髭切からはいつものような飄々とした雰囲気は微塵も感じられない。
「早く仕事を片付けてしまおうか」と私から離れかけた彼の手を、咄嗟に握り締めてしまった。
「あの、えっと、あの」
「…うん?」
「あの…、私の顔、どう思いますか…」
ここ最近、鏡で見るたびに頬の丸みが増している気がする私の顔。単刀直入に太った、と言われても仕方がないと覚悟して髭切に向き合うと、彼は唐突な質問に微かに目を丸くしながらも「今日も主は可愛いよ?」と的外れな言葉を返してくる。いや、嬉しいけれどそういうことではない。
「顔がどうかしたのかい?」
「……あの、ここ最近、かなり太ってしまいまして……」
こうなってしまっては最早白状するしかない。羞恥心で顔に血液が昇ってくるのを感じながら尻すぼみになっていく声で呟くと、髭切は私の手をやんわりと離してから改めて両手で頬を包み込んできた。
「そんなことを気にしていたんだねえ」
「いや、私にとってはそんなことではなくて…」
「そんなこと、だよ。主の体が大きくなったところで、僕が気にするとでも思っていたの?」
図星を指されて黙り込む私とは正反対に、髭切は機嫌よく私の頬の肉をやわやわと揉みながら「あはは、やわっこくて気持ちいいねえ」と楽しそうに笑っている。
「僕は、例え主が倍くらい大きくなっても気にしないよ。むしろ僕の主の体が増えるんだ、嬉しくて堪らない」
それは素直に喜んでいいものなのか、と聞きたいところだったが、私の顔の肉をこねくり回して遊ぶ彼は本当に嬉しそうで、それでいて双眸には甘やかな愛情の熱を孕んでいるのが見えて、私は口をつぐむことにした。
「だいえっとってよく分からなかったけど、そういう事だったんだねえ」
金輪際だいえっとは禁止だよ、という髭切の言葉に小さく頷いて首肯すると、ようやく彼の大きな手から解放された。
さて、髭切のご機嫌も治ったようだし、中断してしまった仕事に取り掛からなければ。そう思ったところで丁度良く、限界に達した腹の虫が空腹を告げる音を響かせた。
「仕事の前に、遅めの朝餉にしようか?」
「…ええ、そうしましょうか」
不安定な心は髭切に満たしてもらったのだから、今度は空っぽの胃袋を美味しい朝餉で満たしてあげよう。
もう一度部屋に響きわたった腹の虫の音に、髭切と顔を見合わせて思わず照れ笑いを漏らしながら、二人で厨に向かうことにした。

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