三日月宗近 2

駆け足で追いかけてみたものの、彼は縁側に出てすぐのところで立ち止まり、何をするでもなくただ空を見上げていた。つられて私も視線を上げると、そこには一面の青空と白い雲がゆったりと浮かんでいる。うん、いいお天気だ。今頃、私の本丸では歌仙が洗濯に励んだり、短刀達が庭で駆け回ったり───ありふれているけれど、幸せな日常が繰り広げられているのだろうか。早く帰りたいなあ。
私が物思いに耽っている間も、彼はただ黙って空に視線を注いだまま。身じろぎ一つしないでただ見つめるその先にはただの空と雲しかないのだけれど、何がそんなに面白いのだろうか。疑問に思ってそう問い掛けると、三日月は空に目を向けたまま「いや、このような空は久方振りに見たのでな」と呟いた。

前の本丸は雨ばかりだったのだろうか?その問いを口にしたつもりはなかったが、私の表情を読んだのか「本丸で見た事は一度もない。俺が顕現した時分には既に、あの本丸は魔の境地で在った」と静かに語り始める。
三日月が彼の地で見てきたものは、荒れ果てた大地。ひび割れた地面。空気は酷く淀んで空は赤黒く、雷鳴と刀剣男士達の呻きが絶えず響いていたという。本来、本丸はそこの要である審神者の浄化力で常に清められているものだ。景趣を変えれば四季の変更は出来るけれど、そこまで環境が荒れる事などあり得ない。───正常な審神者が稼働する本丸であれば、の話だが。
彼が語るのは全貌のうちのほんの一部に過ぎないのだろう。それでも、これ以上は知りたくないと思わせるには十分な程に悲惨な光景が目に浮かんでくる。そんな人間の元にいた三日月宗近を手懐ける事など本当に私に出来るのだろうか───いや、今は彼の心を開かせる事などどうでも良い。ただ本心から込み上げる言葉を、何の慰めにもならないだろうけれど、それでも。伝えたかった。

「……大変な思いをしてきたんだね」

小さく、それでもしっかりと聞こえるようにその背中に声を掛けると、三日月はようやく視線を空から私へと向き直して。底の見えない闇を覗いているようで許容しがたい本能的な恐怖が背中を走る。それでも目を合わせたまま、せめて私の気持ちが伝わるように。
すると、三日月の顔には微かな笑みが浮かび始めた。それは───決して好感的とは言えない笑みだ。

「大変かどうかはさておいて。娘よ、何故そのような目で俺を見る?」

「───え?…目…?」

「その目だ。哀れんでいるのか、俺を」

口角が上がって、目はやんわりと細まっている。それは確かに微笑みである筈なのに、私に向けられているのは静かな怒りである事は分かった。それでもどうして突然、彼の怒りに触れてしまったのか理解できない。哀れんでいる、というか、そんな酷い目にあってしまって可哀想だと───いや、これは確かに指摘された通りだ。言い訳も思いつかない。
でも、そんな話を聞いて哀れまない人間がどこにいる?ブラック本丸を営むような人でなしならともかく、私は普通の道徳心を持った人間なんだから、同情するなと言う方が無理だ。

「私の目が気に食わなかったのなら謝るよ、ごめんなさい。でも、私はあなたの境遇を聞いて可哀想だと思わずにいるなんて無理だし、きっと話を聞くたびにそういう目で見てしまうと思う」

だから嫌だったらもう話さなくて良いよ、と続けるつもりが、それは言葉にすることが出来なかった。三日月宗近の表情が一瞬で消えたことに驚いて、声を出せなくなってしまったからだ。

「俺は哀れみなど求めてはおらん。傲慢になるでないぞ、人の子よ」

その声からは、一欠片の温もりも感じられなくて。
私はただ息を呑み、目の前に対峙する神様を見つめ続ける事しか出来なかった。

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