ここにいてはいけないよ

※小狐丸破壊表現注意

「また此処にいたのか、主」
暗い暗い蔵の奥。普段から手入れの行き届かない其処は埃にまみれ、黴の生えた不快な湿気た匂いもする。其処には志半ばで折れてしまった刀剣達の残骸が積み上がっていた。練度が足りず折れてしまったもの、奇襲を受けて対応出来なかったもの、理由は皆様々だった。そして折れた彼らを抱えて帰還した仲間の顔は今思い出しても心を抉られるような痛みが走る。
そう、今私が抱く小狐丸───彼が折れた時、その抜け殻となった刀身を携え戻って来た三日月宗近は他に何を言うでもなくただ背後に立っていた。
「其処にもう小狐丸はおらぬ。分かっているのだろう」
「───………」
分かっている。頭では理解している。依り代を失った彼は再び神域へと還り、此方が彼の力を欲すれば再び顕現してくれる事もあるだろう。だがそうではない。私が望んでいるのはそうではないのだ。
「彼奴が欲しければ再び鍛刀すればよい。主の願いが届けば小狐も再び降りて来るだろう」
「他の小狐丸など要りません。私には…私にとっては、彼だけ」
そう、私にとっての小狐丸は"彼"だったのだ。他の本丸に顕現した小狐丸達とは瓜二つでも絶対に違う。私と心を通い合わせ、この身体を惜しむ事なく抱き、決して離れることなどないと誓い合った彼一人だけなのだ。
「人の子と付喪神が心を通わせるなど、到底不可能な事だったのだ。彼奴にとっても一時の戯事に過ぎなかったのやも知れん」
頭の奥底、どこかで考えていた可能性をありありと見せつけられると心が軋みを立てて歪んでいく。無意識に抱いた小狐丸の刀身を握り締めると、彼はいとも容易く私の肌を裂いて朱色の華を咲かせた。そうだ、彼は人の命を刈り取る者。そして私はその身に心を委ねて全てを捧げてしまった人の子。もう捧げる相手すらいなくなってしまった私の残骸の行く先など、とうにない。
「苦しいか」
三日月の声が霞みがかった頭にぼんやりと響いてくる。
「それ程までに彼奴が恋しいのか」
応えを発する前に、力の抜けた手からかつて彼が宿っていた剥き出しの刀身が抜き去られていく。私の血を吸い、鮮やかに彩られたその抜身は魔力でも篭っているかのように艶やかで。目が離せない。
「此奴にできるのはもう、主の肌を裂き生命の灯火を断ち切る事だけだ。だが、俺なら───」
こうして温もりを分かち合う事が出来るのだ、と告げる三日月の腕の中へ私の身体は吸い込まれていった。逞しい胸元に埋められた鼻先に、三日月の匂いの奥底に、まだ彼の匂いを感じた気がして。もう枯れ果てたと思っていた熱い雫が頬を伝い落ちる間に、三日月は私の身体を連れてその蔵を後にした。
「もう二度と会いに行くな。お前の情念に惹かれ、彼奴が変わり果てた姿で還って来てしまうやもしれん」
頷く事など出来なかった。どんな形でもいい。歪な念に惑わされ、姿形を保ていなくてもいい。ただ、もう一度だけ、会えるなら。私は再びあの場を訪れるだろう。その決意を、心の奥底に仕舞い込んで。

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