「蒼也くん…蒼也くん…」
「大丈夫です。俺はここにいます」
「蒼也くんは、置いて行かないよね?…私を、一人にしないよね?」
「行かないです。俺は、苗字さんを置いて、どこかに行ったりしません」
「蒼也くん…」
いつも冷静沈着で、どんなことにも動じない風間さんの、唯一心拍数が乱れる相手。
距離もあるからしっかり聞き取れてるわけじゃないけど、なんとなく、いい話をしてるわけじゃないんだなってことは伝わってくる。
ぼくは2人が話している声が聞こえてきたら、すぐにイヤフォンをつけて、音楽を流す。
だって、聴きたくない。
あんな風に苦しそうに話す風間さんの言葉なんて、ぼくは聴きたくないんだ。
「苗字さん」
「お、蒼也くん。それに菊地原くんと歌川くんも」
「こんにちは」
「…どうも」
3人で食堂に行ってご飯を食べようってなったのに、風間さんはある人を見つけると一目散にそっちに向かった。
「風間隊A級おめでとう!」
「ありがとうございます」
「あっという間だったね。やっぱり菊地原くんのおかげが大きい?」
「そうですね。それは、大きいです」
「でも、蒼也くんが頑張った結果だよね。もちろん歌川くんも、栞ちゃんも」
この人、苗字女主人公さん。
風間さんよりも4歳年上で、23歳。
今は裏方の仕事をしているけど、4年くらい前まではバリバリの戦闘員だったらしい。
今のボーダー本部が設立される前、ベイルアウト機能が実装されていない時代からボーダーに入っていたらしく、だいぶ古参の人だ。
そんな人と、なぜ風間さんが知り合いなのか、最初は不思議だった。
けど、その謎はすぐに解けた。
「あー、たしか、苗字さんは風間さんのお兄さんの彼女だったんだよ」
ぼくと歌川がラウンジで休憩していると、たまたまた東さんと太刀川さんがやって来て、風間隊や風間さんの話から流れで苗字さんのことを聞いた。
「お兄さんって、たしかネイバーフッド遠征で亡くなられた?」
「そう。高校ん時からの同級生で、ずっと付き合ってたんだと。で、大学卒業したら結婚しようって話も出てたみたいだな」
「太刀川、話していいのか?」
「た、確かに!これ、俺から聞いたって内緒な!」
「じゃあ…風間さんはお兄さんの彼女だった苗字さんのことがほっとけないってことですか?責任でも感じてるんですか?」
「ん?」
「じゃなきゃ…あんな…」
風間さんが苗字さんに話しかけるとき、いつもは一定の心拍が一気に早くなる。
心拍が早くなる理由は、ストレスとか興奮とか色々あるけど、多分風間さんのは”緊張”だ。
苗字さんに話しかけるとき、風間さんはいつも緊張している。
それは、まるで好きな人に話しかける時のような感じ。
風間さんは、お兄さんの彼女だった苗字さんのことが好きなのか。
それとも、ただの同情心で一緒にいるのか。
ぼくにはわからなかった。
あれから一週間、食堂に行くと苗字さんがいた。
仕事が忙しいせいか、普段はあまり見かけないのに最近はよく会うな。
そんなことを考えていると、苗字さんと目が合った。
「お!きくっちー!」
「…その呼び方やめてください」
「あはは、ごめんね。栞ちゃんの真似」
苗字さんはぼくのことを呼ぶと、「ここ、前座っていいよ」と言った。
「…どうも」
「相変わらずだなー」
「別に、ぼくがあなたのことを苦手でもどうでもよくないですか?」
「それはそうだけど、やっぱり蒼也くんのチームメンバーの子とは仲良くなりたいなとは思ってるよ」
「ぼくは仲良くする気はないので」
「ハッキリ言うね〜。私は菊地原くんのそういう性格、嫌いじゃないよ」
「嫌いでいいです」
この機会だから、ちょっと聞いてみようか。
「苗字さん」
「んー?」
「…風間さんのお兄さんの彼女だったんですよね」
「…」
ぼくがそう言うと、苗字さんの表情が少し強張った。
そして、いつもは一定のリズムを刻んでいる心拍数が少しずつ早くなっていくのが聴こえた。
「…どうして?」
「…風間さんと、仲が良かったので。あんまり接点ないなって思ってたから、なんでだろうと思ってました」
「…そっか。太刀川くんかな?」
「(バレてる…)」
「いいんだ。別に隠してるわけじゃないし。そうだよ、私は蒼也くんのお兄さんと付き合ってたんだ」
「今も好きなんですか?」
ぼくの言葉に、苗字さんはかなりの衝撃を受けた顔をした。
「わ…私は…」
「まだ傷が癒えてないんですか?それはそれで仕方ないと思いますけど、風間さんのことを頼るのは違うんじゃないんですか?」
「…」
「風間さんだって、何か考えがあって苗字さんと一緒にいるのかもしれないけど、ぼくには無理してるようにしか見えないんです」
「…わかってる…ごめんね」
苗字さんはそれだけ言うと、食堂から出て行ってしまった。
周りの視線や陰口がうるさいけど、ぼくは間違ったことは言っていないと思う。
風間さんの優しさにおんぶに抱っこじゃあ、2人とも幸せになんてなれないと思うから。
だから、ぼくは間違っていない。
あの後、多分苗字さんが風間さんに何かを言ったのだろう。
風間隊の作戦室に入ったぼくを、風間さんは思いっきり殴った。
「か、風間さん!」
トリオン体だから痛くないけど、訓練以外で風間さんに殴られたのは初めてだ。
歌川と三上先輩が風間さんを止めようとしたけど、2人よりも早く風間さんはぼくの胸倉をつかんだ。
「菊地原…おまえ、苗字さんに何を言った?」
「…何も言ってないです」
「嘘をつくな。でなければ、彼女があんなことを言うはずがない」
「あんなこと?」
どれだけのことを言ったら、風間さんがここまで怒るんだろう。
「もう大丈夫だ、…と。だから自分よりも、隊のメンバーを優先してほしい。そんなことを言うような彼女ではない」
「なんでですか?本人が大丈夫って言ってるんですから、大丈夫なんじゃないんですか?」
「…何?」
「風間さんも過保護すぎませんか?言いたくないですけど、苗字さんってもう23歳ですよね?それなのに未だに彼氏の弟におんぶに抱っこ。ちょっとやりすぎじゃないですか?」
ぼくがそう言うと、風間さんは手に力を入れて「…何も…何も知らないおまえが、憶測で勝手なことを語るな」と、小さな声で力なくこぼした。
「…すみません…」
「…菊地原…おまえが俺や、苗字さんのことを想ってそう言ったのは理解はできる。おまえにとっては”もう”4年なのかもしれないが、彼女にとっては…”まだ”4年…”まだ”4年なんだ…」
そう言うと、風間さんは風間隊の作戦室から出て行った。
「…菊地原…さすがに今回のことはおまえが全面的に悪い」
「…わかってるよ」
「菊地原くん、風間さんが大切なのはわかるけど、2人にしかわからない事情ってものがあるんだよ」
「…」
そんなこと言われても、それこそ2人にしかわからないじゃん。
そう思ったけど、風間さんのあの表情を見たら、ぼくは何も言えなくなってしまった。