「及川、ちょっといいか」
「はい?」
入畑は及川と一緒に廊下を歩き始めた。
「京谷のことで何か問題でもありました?」
「ん、いや、そのことは問題ないよ。おまえたちが大丈夫って思ったんだったら何も言わない」
「ありがとうございます」
「それとは別件だね」
「?」
入畑は職員室の近くまで来ると、歩みと止めて及川と向き合った。
「迷ってるね」
「…と、言いますと?」
「うーん、違うか。背中を押してほしい感じかな?」
「…」
何も答えない及川に、入畑はフッと笑うと「及川は、たしか…昔、ホセ・ブランコ監督の試合を観に行ったことがあると言っていたね」と聞いた。
「はい」
「実は知り合いの知り合いがファルコンズにいるんだ。彼に会えるよう頼んでみるかい?」
「…」
及川は少し考える素振りを見せるが、すぐに「お願いします」と答えた。
その日の夜、久しぶりに幼なじみ3人は名前の部屋で集まっていた。
「とりあえず京谷が戻ってくること前提にフォーメーションとか攻撃のパターンを考えるでいいんだよね?」
「だな」
「…」
「徹?」
「え、あ、ごめん。何?」
名前に名前を呼ばれて返事をする及川。
そんな及川に、名前と岩泉は不思議そうな顔をする。
「疲れてる?」
「変なモンでも食ったか?」
「そんなわけないでしょ!大丈夫だよ!」
そう言って笑う及川を見て、名前は違和感を持つ。
「何かあった?」
「…」
名前と岩泉の2人にジーっと見つめられて、及川は小さくため息をつくと「2人には隠し事できないよねー」と言った。
「隠しておきたいなら別に聞かないけど」
「余計なこと考えてる場合かよ」
「もー!岩ちゃんったら!心配してくれてるなら素直にそう言いなよ」
「別に心配なんざしてねえわ!」
及川は名前の部屋に置いてあるバレーボールを手に取ると「…バレーを続けるか迷ってたんだ」と言った。
「嘘だろ」
「徹にバレーを辞めるって選択肢はないよね」
2人に即否定されて、嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちになる及川。
「た、確かにそうなんだけどさ…本当、さすがだねおまえら」
「おまえからバレーを取ったら何が残るんだよ」
「色々残るでしょ!特にこのかっこいい顔とか!」
「自分で言うなクソ及川!」
「岩ちゃんひどい!!」
名前は「それで?」と続きを促した。
「先生の知り合いの知り合いがファルコンズにいてさ、今日ホセ・ブランコ監督に会ってきた」
「え?」
「マジかよ。俺も連れてけよ」
「なんでよ!」
及川は、ホセ・ブランコと話したことを2人に伝える。
「俺は、自分の限界はここだって決めつけてたんだなって思ったよ。彼からしてみたら、18歳なんてまだまだ発展途上で、努力を尽くしてないって。これからだって言ってた」
「私たちが観に行った試合に出てた時、たしか40歳くらいだったっけ?」
「38歳だな」
「そう。38歳まで現役でプレイヤーとしてバレーをしていた彼からしてみたら、俺なんてまだまだ子どもだよね。俺もまだまだ成長できるんだなって思った」
そう語る及川の顔は、以前と比べるとスッキリとしていた。
「だからね、俺は彼から学びたいって思ったんだ。彼の元でなら、俺ももっと成長できる」
「…そっか」
「じゃあ大学には進学しねえのか?」
「…それが…」
「あ?」
及川は少しだけ言いにくそうにした。
「なんだよ?ハッキリ言えよ」
「大学行かずにVリーグでもいいと思うけど?」
「じ、実はさ、来年アルゼンチンに戻るんだって」
「え?」
「…」
「だから日本にいても、彼に教わることができないんだ」
「…ということは」
「…俺はアルゼンチンに行く」
及川はうつむきながら、それでもハッキリとそう言った。
「バレーを続けてればどうせいつかは海外に挑戦することになるんだし、それがちょっと早くなっただけなんだ。行きたい舞台はどうせ変わらない」
及川がそう言い切ると、名前と岩泉の様子を窺うように視線を2人に戻す。
「って、思うんだけどどうかな?」
「…おまえらしいな」
「ほんっと、徹らしいね」
「そう?」
「バレーボール馬鹿。バレーが大好きで、大好きで、仕方ないんだから」
「名前…」
名前は、床に座っている及川に近づくと両手を広げて抱きしめた。
「大変なことも辛いことも、たくさんあると思うけど、それでも徹なら大丈夫だよ」
「…名前」
「どこにいたって、私は徹がバレーをしてる姿を見続けられるならそれでいい」
「ま、おまえは神経が図太いからなんとかなんだろ」
「俺は繊細だよ!!」
及川も名前を抱きしめ返すと「あー良かった!2人なら賛成してくれるって思ってたよ」と安心したような声を出す。
「反対する要素がねえだろ」
「うん。私は、徹がバレーを続けてくれることが嬉しい」
「ありがとう。2人は結局進路どうするの?」
「俺は、正直まだ迷ってる」
「そうなんだ?」
そう言うと、岩泉は自分のカバンの中から1冊の本を取り出した。
「ああ、この人の本。一、いつも読んでるよね」
「おう」
「空井崇さんだっけ?」
「そう。俺、大学でしっかり学んでからこの人に弟子入りしてえと思ってる」
「…え!?」
「岩ちゃん!?だってこの人今アメリカにいなかったっけ?」
「おう。だから、俺も大学在学中に一回アメリカ行って、空井さんに色々話聞きたいんだ」
そんな風に語る岩泉を見て、及川と名前は口をポカンと開ける。
「あ?なんだよその顔」
「いや…岩ちゃんもちゃんと考えてたんだなーって」
「当たり前だろうが!俺をなんだと思ってんだよ!」
「ごめんごめん!」
「正直、俺の体格じゃバレーを続けててもプロになって苦労するだろうなって思ってんだ。そりゃあバレーは楽しいけどよ、それだけじゃあ勝てない世界だからな」
「一…」
「6人で強い方が強い、それはわかってっけど、やっぱり1人でも戦える選手じゃないとプロで生きていくのは無理だべ。だから、俺はバレーボールをプレイする選手を支える方に回りたい」
名前は「2人とも、自分の夢に全力でかっこいいなー」と言った。
「名前は?」
「私?」
「おまえはどうすんだ?」
「…私は…まだ内緒」
「なんだよそれ」
「えー!俺たちは言ったのに!」
「まだ正直迷ってるの。バレーに関わっていきたいなって、漠然と思ってるけど、どんな風に関わっていくかはまだ決めてない」
名前がそう言うと、及川と岩泉はあまり納得していない顔をした。
「そんなこと言って!名前のことだから何かしら考えてるんでしょ!」
「そりゃあ、もう高3の8月ですからね」
「だろうね!」
「別に無理に聞かねえけどよ、何かあればいつでも頼れよ」
岩泉の言葉に「さっすが一、かっこいい」と名前が言う。
「うるせえわ」
「ふふふ、さすが頼りになる2人だよ。…そっかぁ、海外か…」
名前がさみしそうにポロっとこぼすと、及川と岩泉は同時に口を開いた。
「だからさ、待っててよ」
「だから待っててくれ」
2人は顔を見合わせると「ちょっと岩ちゃん!せっかくのキメ台詞をハモらないでくれる!」と及川が言う。
「それはこっちのセリフだボケ!」
及川は岩泉を無視して名前の方を見ると、名前の両手を握る。
「名前が胸を張って自慢できるプロのバレーボールプレイヤーになってくるからさ、それまで待っててよ」
「もう十分すぎるくらい自慢の幼なじみだけど?」
「そうじゃなくて!俺が、今のままだと納得できないんだ…わがまま言ってるのはわかってるけど、名前がいない世界なんて考えられないからさ」
「徹…」
岩泉は及川を押しのけると、同じように名前を向かい合う。
「俺はバレーは高校で辞める。だけど、俺は俺なりのやり方でこれからもバレーボールに向き合っていこうと思ってる。だから、俺が自信が持てるようになるまで待っててくれ」
「一…」
名前は小さくうなずくと「私も、2人に負けないくらい立派になるからね!」と言った。
「さっすが名前ちゃん、そうこなくっちゃ!」
「おまえはどんな道に進んでもなんとかするだろ」
「期待しててよ。きっと、2人も納得してくれると思うよ」
「楽しみにしてる!」
「だな」