「…は?」
周りを見渡して、何が起こっているのか理解できない松田。
「な、なんでこんな所にいんだよ。教室にいたはずだろ?」
保健室の扉が開く音がして顔を上げると「あ、松田君起きた?もう最終下校の時間過ぎてるから、早く帰りなさい」と先生があきれた顔をしながら言う。
「なんでここにいるんだ?」
「え?疲れて寝ちゃったんでしょ?弓道部の顧問の田村先生が運んできてくださったのよ」
「は?」
「明日でいいから、ちゃんと田村先生にお礼言いなさいよ」
松田はまだ正常に動かない頭で考えを整理した。
弓道部の顧問、田村からもらった飲み物を飲んで眠気に襲われた。
そして、その田村が自分のことを名前が見に来るであろう教室からわざわざ保健室に移動させた。
その理由は、自分と名前を一緒に帰らせたくなかったからだ。
「あの変態野郎!!」
「松田君?」
松田は保健室を飛び出すと、傘も持たずに外に走り出す。
「(ストーカーの正体は、弓道部の顧問かよ!!)」
松田は走りながら携帯を取り出すと、名前に電話をかけようとする。
リダイヤルを押そうとした瞬間、名前から電話がかかってきたのですぐに通話ボタンを押した。
『じ、陣平ちゃ「おい!!なんで1人で帰ってんだよ!!」
松田は名前の居場所を確認するために「今どこだ!?」と聞いた。
『なんでって、陣平ちゃんが電話に出ないし、教室見てもいなかったから、てっきり先に帰ったのかと思って』
「帰ってねぇよ!クソ、やっぱりそうかよ!」
『え?』
「説明は後だ!俺も学校出ていつもの道走ってっけど、おまえもそうだよな!?」
『う、うん』
「このまま電話繋いどけ!」
『う、うん…あのね、後ろから…変な人がついて来てる気がするの…』
「わかった!とりあえず、どっか入れそうな所あるか?コンビニとか、人が多そうな所」
『えっと、確か、公園の向こう側に…今、いつもの公園にもうすぐ…ヒッ!』
「名前!?どうした!」
小さな悲鳴が聞こえてきてからは、何度呼んでも名前は応えなかった。
「名前!?おい名前!!」
電話口からかすかに声が聞こえるが、何を言ってるかまでは聞き取れない。
「クソ!!」
松田は急いで公園に向かう。
「あの野郎、睡眠薬盛ったな!!」
松田の急激な眠気の原因は、飲み物に仕込まれた睡眠薬だった。
幸い、飲んだ量が少なかったこともあり、数時間で目を覚ますことができた。
「名前!!」
松田は、公園の中に入ると名前の名前を叫んだ。
救急車で病院に運ばれた名前と、それに付き添った松田。
名前の両親、そして警察に連絡を入れ、落としていった男のナイフから出た指紋で、名前のストーカーが弓道部の顧問だったことが判明し、逮捕された。
後日、ストーカー行為、名前への傷害罪と松田への睡眠薬を飲ませたことで懲役3年という判決になったことを知る。
「3年で出てきちゃうのは…正直ちょっと怖いけど、でも大丈夫」
「…名前…」
松田は、包帯の巻かれた名前の左腕を見ながら「…悪い…」と言った。
「さっきも言ったけど、陣平ちゃんは全然悪くないよ!むしろ助けに来てくれて本当にありがとう。陣平ちゃんが来てくれなかったら、多分もっとひどいケガになってたと思うから…」
「俺も何もできなくてごめんな」
「萩原君も、陣平ちゃんがいない時一緒にいてくれたよ。2人には本当に感謝してるし、犯人だって捕まったんだから!」
そう言って明るく振舞う名前を見て、松田は泣きそうになる。
「もう、陣平ちゃんがそんな顔しないでよー!本当に2人がいてくれて心強かったよ!」
名前の家から出ると、松田は「俺が…もっと気をつけてれば…」と拳を握り締める。
「イヤイヤ、まさか飲み物に睡眠薬が入ってるとは誰も思わないって!陣平ちゃんのせいじゃねーよ」
「俺がもしすぐ目ぇ覚まさなかったら…名前はどうなってた?」
「陣平ちゃん…」
「あんな土砂降りで、周りの音も聞こえにくい、視界も悪い状況で、他に助けが来る保障なんてどこにもねぇ!」
「ちょっと落ち着きなって!」
「俺のせいで…名前が…」
萩原は松田の胸倉を掴んで思いっきり殴る。
「ッ!」
萩原は、殴られた反動で倒れた松田の胸倉を掴んだ。
「おまえのおかげで名前ちゃんは助かったんでしょーが!それなのにそこまで自分を否定すんなよ松田!!」
「…」
「おまえのせいじゃねぇ。おまえのおかげで名前ちゃんは助かったんだよ。今も俺たちの目の前で笑ってんだよ…。だったら、その笑顔をこれからも守る方に頭使おうぜ」
「…そうだな…」
「…それに、それを言うなら肝心な時に一緒にいられなかったら俺のが悪いだろ」
「おまえも自分を責めるなよ」
「…そうね。悪いのは、やっぱ全部あの顧問だわ」
「そうだよ」
それから、しばらくの間は名前は両親が車で学校まで迎えに行くことになった。
信頼していた顧問による犯行だったということが、名前の心に大きな傷を与えた。
大好きだった弓道は辞めて、左の肘下に負った傷は目立たなくはなったが、夏でもなるべく長袖を着て隠すようになった名前。
あの日が土砂降りだったこともあり、雨の日が苦手になり、後ろから左腕を掴まれることや左腕に触れられることを極端に嫌うようになった。
今までは男女共に誰とでも仲良くなることができた名前だったが、事件をきっかけに男子とコミュニケーションを取る際は、体が強張るようになっていた。
「…あれって、多分無意識だよね」
「だろうな…気づいてないだろ」
「まあ…仕方ないか…」
「…」
何回かカウンセリング受け、少しずつ切り替えて行けるようになってきた名前。
このまま事件のことを乗り越えることができる、と思えるようになったのは高校を卒業する頃だった。
そして、大学に入学する頃には少しずつ体の緊張が解け、名前は日常会話をする分には問題がなくなってきたが、雨や左腕に関しては治ることはなかった。
「もう、そういうものだと思って受け入れようと思って」
「名前…」
「雨が苦手でも困る事はないし、左腕を掴まれるって、そんなによくあるシチュエーションじゃないじゃない?だから大丈夫」
「…」
「そうだ、2人に伝えておきたい事があるんだ」
そう言って、名前は松田と萩原と向き合った。
「なんだよ改まって」
「何何?」
「私ね、警察官になろうと思ってるんだ」
「…は?」
「え?」
名前の言葉に、2人は目を見開く。
「…このままじゃあダメだと思って」
「どういう意味だ?」
「これはこれで、受け入れようとは思っているんだけど、やっぱりそれだけじゃあダメだと思ったの」
「それは何で?」
「…あの人、もうすぐ出てくるんだ」
「!?」
名前は「実は、あの時の担当刑事さんが教えてくれて」と言った。
「怖いからって、逃げてちゃダメだって。自分を守るためにも強くなりたいって思ったの。それで、私と同じような被害を受けた人の力になりたいって!」
「…だったら何も警察官じゃなくてもいいだろ」
「そ、そうだよ!例えば心理カウンセラーとか」
2人の言葉に、名前はそっと首を横に振る。
「そうじゃないの。自分で、しっかり向き合えるように、ちゃんと戦えるようにしたいんだ」
「…どうするよー陣平ちゃん。名前ちゃんの意思は固そうだぜ?」
「…俺と同じでこいつも頑固だからな」
「陣平ちゃんほどじゃないけどね!」
そう言って名前は笑う。
「…ま、俺も元々そのつもりだからな」
「え?」
「まさか、陣平ちゃんも警察志望なワケ?」
「おう」
「あんな警察嫌ってるのに?」
「俺も俺でやりてぇことがあんだよ」
「じゃあ大学出た後も一緒だね!」
「俺たちどこまで一緒なんだよ」
名前と松田は吹き出した。
「えー!まじか!だったら俺も一緒に行っちゃおうかなー!」
「適当すぎんだろ!」
「萩原君、ちゃんと考えてよ!」
「結構本気なのに!」
そう言って3人は笑い合った。
3人が同じ警視庁警察学校に入校することになるのは、また数年後のお話。