そういう時に限って、名前ちゃんはまた事件に巻き込まれた。
あいにくその日は陣平ちゃんのボクシングの引退試合だったから、俺がその話を聞いたのは次の日だった。
「名前ちゃん!昨日は大丈夫だった!?」
「は、萩原君、大丈夫だよ」
そう言って笑った名前ちゃんの表情に、俺は少しだけ違和感を覚えた。
「(名前ちゃん、ちゃんと笑ってる…?)」
「陣平ちゃんも後からウチに来るって言ってたけど、また2人には心配かけちゃったね」
「あ、ううん…それはいいんだけど…。何かあった?」
「えっ?」
「その、何か…いつもと違うから」
「そ、そうかな?」
名前ちゃんは「うーん」と言いながら考えていた。
「名前ちゃんの表情が思ったよりも明るいから安心したけど、無理してないかなって…」
「え、そうかな?」
名前ちゃんはそう言うと、もう一度考える素振りを見せた。
「あ、あれかも」
「何?」
「昨日、電車の中で助けてくれた人の物腰が柔らかくて、なんだか安心できたなって」
「ッ」
「世の中の男性が、みんなあの人と同じような感じだったらいいなって思ったんだ」
そう言った名前ちゃんの表情は、明らかに違っていた。
「そ、その人…どんな人だったの?」
「え?うーん…ずっと下向いてたから、顔は見てないんだよね」
「そ、そっか」
恋をしている。
俺の目には、そう見えた。
幼稚園の時から今まで、名前ちゃんの傍にいて一緒に過ごしてきた時間が長い俺じゃなくて。
名前も、顔も知らない、ただ電車の中でたった1回助けてもらった男に。
名前ちゃんは、恋をしている。
その日、俺が自分がどうやって名前ちゃんの家を出たか覚えていないが、気付いたら隣の陣平ちゃんの部屋にいた。
「ハギ!萩原!!」
「じ、陣平ちゃん…?」
「おまえ何してんだよ!家の前で突っ立って、話しかけてもボケーッとしてて何も答えねぇし」
陣平ちゃんは「反応のないおまえを引っ張って来たんだぞ!感謝しろよ!」と言った。
「さっき名前ンとこ行って来たけど、意外と大丈夫そうだったな」
「…やっぱり陣平ちゃんはもそう思った?」
「んっ?ああ、意外と明るいなって」
「…俺も思った。なんでか聞いた?」
「あ?別に」
俺が陣平ちゃんのベッドの上に顔からダイブをすると、陣平ちゃんが驚いた声を上げたのが聞こえた。
「ハ、ハギ…?」
「…あーもう!!失恋したよ!」
「…は?おまえ名前に告ったのか?」
「…言ってない」
俺の返事に陣平ちゃんは「はあ?ならどういう事だよ」と聞いてきた。
「…俺も、怖い思いをしたのに、意外と表情が明るくて安心したのと同時に違和感を覚えたから本人に聞いたんだ。そしたら…」
「…そしたら?」
「…助けてくれた人の物腰に惚れたっぽい…」
「はあ?そんな事あるのかよ」
「あるんだよ!」
俺は勢いよく顔を上げて陣平ちゃんを見た。
「今まで、恋愛に興味のなかった名前ちゃんが…あんな表情するなんて…」
「どんな表情だよ…」
「…顔も名前も知らない男に負けた」
「顔も名前も知らないなんて事あるのか?さすがに顔は見たんだろ?」
「それが見てないんだって。それでも名前ちゃんを惚れさせる男って、どんなんよ…」
そう思ったら悲しくなってきて、俺はもう一度顔をベッドにうずめた。
「…あー、ハギ…」
「俺は、幼稚園の時に名前ちゃんに恋してから、あの手この手で名前ちゃんとの関係を進展させようと頑張ったのに…ぽっと出の顔も知らない男に…」
「な、なんか悪い…」
「陣平ちゃんが謝んないでよ!」
もう一度顔を上げると、申し訳なさそうな顔で俺の事を見る陣平ちゃんの顔があった。
「まあ、本当に名前が恋したかどうかなんて分からねえだろ」
「分かるんだよ!どれだけ名前ちゃんと一緒にいると思ってるのさ!陣平ちゃん程じゃないけど、俺だって名前ちゃんの事分かってるからね!」
「か、顔見たらやべェってなるかもしれねーだろ」
「名前ちゃんはそんな事で幻滅するような子じゃないから!」
「名前も住んでる所も知らないんだから、もう二度と会うことはねえだろ!記憶なんて薄れていくもんだしな!」
「…ハァ〜…」
それじゃあ、もし、また2人が出会ったら。
それってもう運命って事じゃん。
「まあ、まだ大丈夫だろ!頑張れよハギ!」
「…」
「おまえの話聞いてると、名前自身はそれに気づいてないっぽいし、まだまだなんとかなるって!」
「…他人事だと思って」
「他人事だからな」
俺はジト目で陣平ちゃんを見ると「陣平ちゃんだって姉ちゃんにフラれちまえ」と言った。
「うるせえ!俺は毎日フラれてるからダメージゼロだ!」
「それ威張って言う事じゃないからね!」
大学卒業後、俺達は警視庁警察学校に入校した。
ここまで一緒だと、もはや誰からもツッコミはなくて逆に寂しかった。
同じ教場には数十人の同期がいて、その中でも俺達以外に3人、目立っている学生がいた。
教場の班長の伊達ちゃん、諸伏ちゃん、そして褐色肌に金髪の降谷ちゃん。
陣平ちゃんが、その降谷ちゃんが名前ちゃんの事を見ている気がすると言った時は、心臓がドキリとした。
もしかして、降谷ちゃんがあの時の電車の男なのかもしれない。
そう思ったら少しだけ怖くなった。
「やっぱゼロがあの時の男だったんだな」
「だねー…」
俺はそう言うと「ハァ…」と大きなため息をついた。
「これで降谷ちゃんがブ男だったらまだ勝ち目があったのに、イケメンな上に成績まで優秀って…」
「おまえな…前は、”名前は顔で選ばねえ”って言ってたろ」
「それはそれ、これはこれ…」
名前ちゃんと降谷ちゃんが急接近して、2人で出かけた後、名前ちゃんから電車で助けてもらった男が降谷ちゃんだった事を知らされた。
その日の夜、陣平ちゃんが心配して俺の部屋を訪ねて来た。
「で、どうすんだ?」
「どうするって、どうもしないけど」
「おまえこのままでいいのかよ!このままじゃ、遅かれ早かれ進展するぞ?」
「名前ちゃんに恋愛はまだ早いんじゃなかったの?」
「あ、あれは…おまえのために牽制で…」
俺はプッっと吹き出すと「アハハッ!冗談だよ、陣平ちゃんが俺の事考えてくれてたのは気づいてたよ!」と伝えた。
「今までは、俺と名前の関係性を疎むようなヤツが多かったから、結局進展はしなかったけどよォ、多分ゼロは違うと思うぜ?」
「だろうね。降谷ちゃんはそういうの気にしなさそう」
「俺は、ハギでもゼロでも、名前の事を本当に想って幸せにしてくれるヤツならいいと思ってる。これが本音だ」
「陣平ちゃん、容赦ねえな〜」
俺が茶化すように言うと「萩原…」と真剣な顔で名前を呼んだ。
「おまえがそれでいいなら、俺は何も言わないぜ」
「…名前ちゃんの事、見てたから分かるけどさ…名前ちゃんは降谷ちゃんの事が好きだよ」
「ハギ…」
「俺は、自分の気持ちも大事だけど、それ以上にやっぱり名前ちゃんが大事なわけよ」
これが俺の本音。
「名前ちゃんがちゃんと幸せになるなら、俺じゃなくてもいい。俺が幸せにできないなら、名前ちゃんの傍で名前ちゃんが幸せになっていく姿が見たい」
「萩原…」
「だから、俺は名前ちゃんに何も言わない。陣平ちゃんも、これはトップシークレットだぜ?」
そう言ってウィンクをした俺を、陣平ちゃんは呆れたような顔で見てきたけど「…おまえがそれでいいって言うなら、俺は何も言わねぇよ」と言った。
「本当に後悔しないんだな?」
「…オゥ!」
「…分かった」
俺達が話をした後、降谷ちゃんともひと悶着があったけど、最終的に名前ちゃんと降谷ちゃんが結ばれた。
俺は、それを見てちゃんと笑えてるみたいだ。
名前ちゃんへの想いは、このまま俺の中で形を変えながらでもいいから持ち続けていたい。
無事に警察学校を卒業し、陣平ちゃんと同じ爆発物処理班に配属された俺は、1通の手紙を書いた。
同じ爆処の先輩に「後悔のないように、大切な人には手紙は残しておくといい」と聞いたからだ。
名前ちゃんをイメージした薄ピンクの便箋のセットを買ってきて、自分の想いを書いた。
本人には、一生伝えるつもりがない俺の想いを綴った。
この手紙が、名前ちゃんの手に届く日が来ませんように。
そう思いながら、丁寧な字で想いを綴る。
俺が愛した最愛の人へ。
名前ちゃんへ