03

松田と別れ、帰宅した名前は、シャワーを浴びて部屋着に着替える。
降谷がいつ来てもいいように、軽く家の中を片付けていると、鍵が回る音が聞こえた。

「零君…」
「…名前、悪いな。こんな時間に」
「ううん。全然大丈夫だよ」

降谷がリビングに入ると「コーヒー…は、こんな時間だし、紅茶でも飲む?」と名前が聞く。

「いや、大丈夫だ」
「それなら梅昆布茶は?リラックスできて、疲労回復と寝付きも良くなるんだ」
「ああ。ありがとう」

降谷はお礼を言うと、ダイニングテーブルの椅子に腰かける。

「お疲れだね」
「…そうだな。名前も、今日は松田とご飯に行ってたんだろ」
「うん」
「元気そうだったか?」
「そうだね。居酒屋に行ったんだけど、2人してまた年確されちゃったよ」

名前は恥ずかしそうに笑う。

「2人ともまだまだ若いな」
「もう25歳なのにね」
「25歳か…」
「零君?」

降谷は名前の事を真っすぐに見つめると「名前…」と名前を呼ぶ。

「はい」
「…っ」
「…」

降谷は言葉を詰まらせて、なかなか話し出す事が出来ずにいた。

「…名前…その…」
「…零君。多分私は、零君が今から何て言おうとしているのか分かるよ」
「…」
「その上で、まずは”嫌です”って答えてもいいかな?」

名前の言葉に、降谷は眉毛を下げたまま笑うと「…そう、だよな。名前は、そういう人間だよな…」と言った。

「でも、きっとダメなんだよね」
「名前…」
「零君の中で、もう決まってるんだよね」
「…名前…」

降谷はポケットから先ほど使った名前の部屋の合鍵を取り出すと、ダイニングテーブルの上に置く。
そして、もう一度名前の事を見つめると「…別れてくれ」と言った。

「…理由を聞いてもいい?」
「…ダメだ」
「…分かった」

名前が答えると、降谷は「…ごめん」と小声でつぶやく。

「零君、私は零君の事が大好きだよ」
「僕は…」
「事情があるなら教えてほしいな。それでも、本当にダメ?私には話せない?」
「…機密情報だ」
「…そっか」

降谷は椅子から立ち上がると「名前には、僕なんかよりも幸せにしてくれる人が現れるよ」と言った。
その降谷の言葉を聞いた名前は、無言で降谷に近づくと、平手打ちをした。

「ッ!」
「…悪い…」
「…んで、なんでそんな事、零君が決めるの!零君に、そんな事言ってほしくない!!」

名前の両目から流れている涙を見て、降谷は無意識にそれを拭おうとするが、名前が降谷から距離を取って後ろを向く。

「零君のバカ!私は、零君だから…幸せなのに…!どんな零君でも、大好きだから…!それなのに…いっその事、嫌いになったとか、他の好きな人ができたとか言って、私の事を突き放してよ!」
「そんな事言えるわけないだろ!!」

降谷は名前の事を後ろから抱きしめると「嫌いだとか他の人が好きとか、そんな事言えるわけないだろ!」と叫んだ。

「噓も方便じゃん!」
「俺だっておまえの事を愛してる!誰よりもだ!だけど、これからは命の保証ができないんだ!」
「…え?」

思わず口をすべらせた降谷は「ハッ!」と言いながら口を押さえる。

「れ、零君…それ、どういう事?」
「…忘れてくれ」

降谷は名前の事を解放するが、今度は名前が降谷に詰め寄る。

「ねえ!命の保障って…」
「何でもない。とにかく、僕は…」
「ちゃんと答えてよ!」
「何でもない」

名前は「も、もしかして…最近本庁でも噂になってる、あの黒の組織…?」と聞くと降谷は一瞬動揺する。

「…やっぱり。あの組織に潜入捜査するって事なんだね」
「…僕は何も言えない」
「零君は何も言わなくていいよ。零君の反応で、私の考えが正しいって事が分かったから」
「…」
「もし組織に潜入捜査官ってバレたら、命を狙われるかもしれない。それで、その時は私もその対象になるかもしれないから、その前に別れようって決めたんだね」

降谷は何も言わないが、降谷の表情からそうなのだと確信した名前。

「零君、顔に出すぎだよ。それで潜入捜査って、大丈夫?」

名前がからかうように言うと、ずっと怖い顔をしていた降谷の表情が少しだけ崩れた。

「僕のポーカーフェイスを簡単に崩せるのは、この世でたった一人だよ」

そう言って降谷は微笑む。

「僕と一緒にいるせいで、名前にまで危険が及ぶのは僕が許せない」
「私だってそうなんだけどな」
「だから、僕と…別れてくれ」
「…私が嫌だって答えても、多分零君は了承してくれないよね」
「…そうだな」

名前は「…私って、零君に愛されてるんだね」と言って微笑む。

「何を当たり前の事を言ってるんだ」
「フフフッ、それを改めて感じてるんだよ」
「?」

降谷の事を見つめながら「零君が身の危険を感じてるのに、それでも潜入捜査に行く事を決めたのは、その組織がエレーナさん失踪と関係があるって事なんだね?」と聞いた。

「…まだ分からないが、多分、先生はその組織と関わっていたんだと思う」
「そっか…」
「僕は君の事が誰よりも大切だ。けど、君と同じぐらい、先生の失踪の理由がちゃんと知りたいんだ」
「…うん。そうだよね。零君は、そのために警察官になったんだもんね」

名前は頷くと「…分かった。それじゃあ別れよう」と、降谷の別れ話を受け入れた。

「名前…」

名前は降谷の手を取る。

「組織への潜入捜査が終わって、何もかも終わった時に、それでもまだ零君が私の事を好きだったら、私を迎えに来てほしいな」
「…何年かかるか分からないんだぞ」
「うん。何年でも待ってるよ」
「…迎えに来られる保証もない…」
「それでもいいよ。もし一緒になれなかったら、来世で一緒にーって、ああ、ダメだ。来世では研ちゃんと一緒になる予定が」
「なんだそれ、僕は聞いてないぞ」

先ほどまで泣きそうな顔をしていた降谷は、名前のその言葉を聞いた途端怖い顔になった。

「私、こう見えてモテるみたい」
「捜査一課でもモテモテだって聞いてるぞ」
「それは、女刑事が珍しいからであって、決してモテてるとは…」
「そんな事より、さっきの!萩原の事は」
「零君が私の事を迎えに来てくれた時に詳しく話すね!」
「名前…」

イタズラっ子のような顔で笑った名前に、降谷はため息をつきながらも微笑んだ。

「分かった。絶対の保証はない。それほど、危険な任務だと思っている」
「…うん」
「だけど僕は、僕以外の誰かに君を渡すつもりはない。もちろん来世でもだ」
「情熱的だね」
「からかうなよ」

降谷は名前の手をしっかりと握り返すと「僕の人生における最大のわがままを聞いてほしい」と言った。

「何?」
「…僕の無事を祈っていてほしい。それで、全てが終わった時、僕と一緒になってくれ」

そう言って、降谷は名前の左手の薬指に口づけを落とす。

「もちろん、喜んで」

名前が答えると、降谷は嬉しそうな顔で笑う。

「ッ!」
「ん?どうした?」
「れ、零君の、そんな顔初めてみたかも」
「どんな顔だ?」

名前が恥ずかしそうにしながら「し、幸せいっぱいって感じの顔…」と言うと、降谷もつられて赤くなる。

「ぼ、僕はそんな顔してたか?」
「うん」
「仕方ないだろう。幸せなのは事実だ」

降谷は開き直った様子でそう言う。

「フフッ、ありがとう」
「ただ、本当に命の保障がないし、何年待たせる事になるか分からない。それでも本当にいいのか?」
「いいよ。零君が、ヨボヨボのおばあちゃんになった私でも愛してくれるならだけどね」
「さすがにそこまで待たせるつもりはないよ」

そう言うと、降谷は名前の事を抱きしめる。

「名前、好きだ、愛している。だからこそ、おまえを危険な目に遭わせたくない。だけど…そんな状況でもおまえの事を手放してやれない俺を嫌いにならないでくれ」
「うん。私も同じ気持ちだよ」
「名前…」

降谷は「もし、今後外で偶然僕と会ってしまったら、知らないふりをしてほしい」と頼んだ。

「知らないふりかー。了解!」
「なんか少し不安だな」
「何でよ!マカデミー賞を取れるくらい自然な演技を期待しててよ!」
「ま、ますます不安だ…」

やる気満々の名前の姿を見せ、降谷の顔には不安の色が広がった。

「零君」
「ん?」
「これは、零君に持っていてほしいな」

そう言うと、名前はダイニングテーブルの上に降谷が置いた合鍵を、もう一度降谷に渡す。

「…持っていていいのか?」
「うん。零君用の鍵だから。私は、ここから引っ越さないから、安心してね」
「…ああ。ありがとう」

降谷は名前から合鍵を受け取ると、大事にポケットに仕舞った。

「今日は、どうする?」
「泊っていってもいいか?」
「もちろんだよ。お風呂淹れるね」

風呂場に向かって行く名前の後ろ姿を、降谷はしばらくの間見つめていた。



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