14

松田の四十九日が終わり、名前の周りでは普段通りの日常が戻って来ていたが、名前の心は曇り空のままだった。
仕事用のスーツや私服も、白、ベージュやグレーなどの明るい色を手に取る事はなく、黒ばかりを着るようになっていた。

「…ハァ」

公休だった今日は、米花町を目的もなくウロウロしていた。
どこを歩いても松田との思い出がよみがえってきて、少し泣きそうになるが、家の中で1人でいてもそれは同じだった。
とぼとぼ歩いていると、後ろから走って来た男にぶつかられて、名前はそのはずみで転んでしまった。

「ッ!?」
「クソッ!」
「あっ!私のバッグ!」

その男は名前のバッグを奪い、そのまま走って逃げようとした。

「待て!」

名前はひったくり犯の男を追いかけようとするが、男の前に別の男性が現れる。

「どけ!!」
「あ、危ない!」

男は男性に殴りかかろうとするが、男性はこぶしを避けて男の腕と襟をつかみ、男の懐に入ると体を回転させながら前方向へ投げた。

「す、すごい…」
「全く、いい年した大人がこんななさけねえことしてんじゃねえ」
「うっ…」

男性はバッグを拾い上げると埃を払い「どうぞ、可愛いお嬢さん」と言いながら名前に渡す。

「ありがとうございます…って毛利さん?」
「なっ!なぜ俺の名前を!?もしや、この毛利小五郎のファンか!」
「あっ、いえ、まあファンと言えばファンですが…」
「って、ケガしてるじゃねえか」
「えっ?」

名前は右足と左手を見ると、転んだ時に擦りむいてしまったようで血が滲んでいた。

「もうすぐ娘が帰って来るから、それまでウチで待ってろ」
「これくらい大丈夫ですよ」
「いいから。子どもは甘えとけ」

そう言って歩き出す小五郎に、名前は大人しくついていく事にした。



小五郎の家は、ポアロという喫茶店の2階と3階にあった。
2階の窓には”毛利探偵事務所”という文字が貼られていた。
事務所の中に入ると、小五郎は「そこのソファーに座ってろ。お茶ー…お茶ー…」と言いながら給湯室に向かった。

「ありがとうございます…」

名前は言われた通りにソファーに座ると周りを見回した。

「なんだ?面白いもんでもあるか?」
「いえ…。毛利さんが探偵事務所をやっているって、本当だったんだなって思いまして」
「知り合いだったか?」

小五郎はペットボトルのお茶を渡すと、向かいのソファーに座った。

「実は、毛利さんが所轄署の刑事だった頃に、ストーカー事件でお世話になったんです」
「ストーカー事件…?」
「その時、私はまだ高校生だったので、もう10年以上前になりますね」
「10年…ああ!あの時のお嬢ちゃんか!」

小五郎は手を叩く。

「はい。もうお嬢ちゃんという年齢じゃないんですけどね」
「目暮警部と一緒に捕まえたあの事件か、懐かしいな」
「はい。苗字名前と言います」
「名前君だったな、そうだそうだ。いやあ、大きくなったな!」
「だいぶ成長したと思います」

そう言うと、名前はフフッと笑う。

「子どもの成長はあっという間だな」
「毛利さん、おじさんみたいですよ」
「まあ、実際におじさんだからな!」

小五郎はそう言うとタバコを取り出して火をつけた。

「そういや、あん時一緒にいたあの坊主。天然パーマの、たしか名前君の幼なじみだって言ってたよな?坊主は元気にしてるか?」
「…彼は、殉職しました」
「何?」

名前の言葉を聞いた小五郎は、思わずタバコを落としそうになる。

「殉職っつーと…」
「はい。私達、警察官なんです。私は、警視庁捜査一課の刑事で、彼は元々機動隊の爆発物処理班にいました。ある事情で捜査一課に転属になったのですが、この前の爆弾事件で…」
「…そうか」

小五郎はタバコを吸いこむと、ゆっくり煙を吐き出す。

「…立派な刑事だったんだな」
「…本当にそう思いますか?彼の父親は、立派な最期だって聞かされた事に憤りを感じていました…」
「父親の立場からしたら、まあそうだろうな。けど、刑事の立場だったら、自分を犠牲にしてまで守ったものがあるんだろう。だから、俺は立派だったと思うぜ」
「…さすが、元刑事さんですね」
「まあな」

小五郎はタバコを消すと「そうか、だからそんな顔をしてたんだな」と言った。

「えっ?」
「あの時と同じような顔だ。会うのは2回目だが、俺は君のそんな表情しか見た事がないな」
「たしかに…こんな表情の私は貴重ですよ」
「あんまり嬉しくねえな」

そう言うと、小五郎は苦笑した。

「毛利さん…私は、犯人が」

名前が続きを言う前に、事務所の扉が開いた。

「ただいまー!お父さんって、お客さん!?」
「あっ?こんな探偵事務所に客?」
「おいコラ坊主!こんなとはなんだ、こんなとは!」

扉から入って来たのは小五郎の娘である毛利蘭と、その幼なじみの工藤新一だった。

「こんにちは!」
「こんにちは。娘さんだけじゃなくて、息子さんもいたんですね?」
「もうお姉さん、やめてくれよ!オレはおじさんの息子じゃないですよ!」
「えっ?そうなの?」
「違う違う!娘の蘭と、あっちのクソ生意気な坊主は、娘の同級生で工藤新一ってんだ」
「あっ、そうなんですね。失礼しました」

名前は申し訳なさそうな顔をした後、蘭と新一の方を向く。

「初めまして。私は苗字名前です」
「娘の蘭です!父とは知り合いですか?今日はどんなご依頼で?」

蘭は小五郎の隣に座ると、名前に質問をする。

「私が高校生の時にお父さんにお世話になったんだ。それで、今日は依頼じゃないの」
「そうだ、蘭。ケガの手当てをしてやってくれないか」
「ケガ?」

そう言うと、小五郎は名前の方を見て「左手と右足をケガしてんだ」と説明した。

「大変!救急箱持って来るので、待ってて下さいね!」
「ありがとう」

蘭は急いで居住スペースになっている3階に走る。

「お姉さん転んだんですか?」
「うん。ひったくりに遭いそうになって、その時にね」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ、ありがとう。…新一君、私とどこかで会った事ない?」
「えっ?」

名前は新一の顔をジッと見つめると「蘭ちゃんもなんだけど、2人と初めて会った感じがしないんだよね…」と言った。

「初めましてだと思いますけど…?」
「そうだっけ?」
「はい」
「…そっか」
「名前君と会った事があったら、忘れないだろう。こーんな可愛らしいお嬢さんだからな!」
「毛利さん、忘れてたじゃないですか」

名前は小五郎の言葉を聞いて苦笑する。
事務所の扉が開き「名前さん!お待たせしました!」と言いながら、救急箱を持った蘭が走って来た。

「蘭ちゃん、ありがとう」
「いえ!早速手当しますね」
「救急箱貸してくれたら自分でやるよ?」
「私にやらせてください!こう見えて、手当には慣れてるので!」
「慣れてるの?」

蘭は救急箱から消毒液と、大きなガーゼと絆創膏を取り出す。

「私、空手やってるんです。ちょくちょくケガするので、手当はよくしてます。それに新一がサッカーやっててケガするんで」
「ほっとけ!」
「中学生にもなってムキになって、相手チームの子と激しく接触したりするんですよ!」
「別にいいだろ」
「別にいいけど、一歩間違えたら大きなケガにも繋がるんだし、気をつけてよね!」
「ヘイヘイ」
「フフッ」

蘭と新一のやり取りを聞いていた名前は、思わず笑い声をこぼした。

「あっ、ごめんね。2人のやり取りがとっても仲が良さそうで…本当に…素敵だなって思って…」

そう言うと、名前の目からは涙がこぼれてきた。

「名前!?痛かったですか?」
「ううん…痛くないよ」

涙を流す名前を見て、蘭は慌てる。

「2人のやり取りを聞いてたら、ちょっと思い出しちゃって…。ごめんね、何でもないよ」

名前はバッグからハンカチを出そうとするが、その前に新一が自分のハンカチを取り出して名前に渡す。

「はい。良かったら使ってください」
「お化粧ついちゃうから大丈夫だよ」
「いいから。気にしないでください」
「…ありがとう」

名前は新一からハンカチを受け取り、涙を拭く。
蘭は不安そうな顔をしながらも手当てを続け、左手には絆創膏、右足にはガーゼを貼る。

「はい、終わりました」
「蘭ちゃん、ありがとう」
「いえ。大丈夫ですか?」
「うん」

そう言うと名前は立ち上がり「それじゃあ、毛利さん。私もそろそろ帰りますね」と言った。
小五郎も一緒に立ち上がる。

「そんじゃあ、下まで送る」
「そんな!大丈夫ですよ」

小五郎は名前の言葉を無視して、事務所を出る。

「あっ!毛利さん…。蘭ちゃん、新一君、ありがとう!またね」
「はい!また!」

そう言うと、名前は小五郎の後を追って事務所の階段を降りて行く。

「毛利さん、今日はありがとうございました。久しぶりにお会いできて嬉しかったです」
「ここの喫茶店、意外と美味いから時間があれば行ってみろよ」
「えっ?」

名前は喫茶ポアロを見て「そうですね。確かに美味しそうです。今度来てみますね」と言った。

「…次に会う時は、もっと幸せいっぱいの顔見せてくれよ」
「毛利さん…」
「そんで、あんまり無理はするな。犯人を憎んでもいい。恨んでもいい。だが、自分を見失うなよ」
「…はい」

名前は一礼すると、そのまま駅に向かった。



>> dream top <<