貴音、千早の話の続きです

 天海春香は、言ってしまえばいわゆる「普通の女の子」だった。優しく前向きで、友達思いで、時々ドジをしたり、落ち込んだりもする。息苦しいシェルターでの暮らしにあってもーー春香は生まれてからずっとこのシェルターの中にいるのだということを差し引いてもーー明るさを失わず、ぱっと花が咲くような笑顔をいつも振りまくので、彼女のことを皆好いていた。
 そんな春香にはいっとう仲の良い友達がいた。名前を如月千早と言う。彼女と知り合ったのは最近のことではあるが、少しの間にふたりは無二の親友と呼べるような関係になった。お互いのことを深く信頼し、一緒にいると楽しくて、千早といると時間があっという間に過ぎていく。春香は暇な時にはいつも千早の元を訪ねたし、千早もまた、それを柔らかく微笑みながら迎えるのが常だった。人を寄せ付けないような雰囲気のある千早が、そんな風に笑ってくれるのを見るだけで、春香も嬉しくてたまらないのだった。

 そんな千早が、珍しく興奮しながら春香に話したことがあった。その話によると先日、彼女が癖……もしくは日課にしている「ラジオ弄り」をしていた際、ラジオからうつくしい歌声が聴こえてきたらしい。どうやらそれに千早はいたく感動しているようだった。それも、ラジオから歌が聴こえてくるという、今の世界ではほとんどありえないような奇跡的な出来事にというよりも、純粋にその歌声に対してである。

「千早ちゃんがそんなに言うんだもん、きっとすごく素敵な歌だったんだね」
「ええ。……ほんとうに、すばらしい歌だった……」

 返事をしながらも千早はどこか心ここに在らずといった風で、春香はそれを微笑ましさの混じった苦笑で眺めるのだった。

 それから、数日後のことだった。千早はいつもとはどこか違う様子で、春香の元を訪れた。

「春香、あのね。私……私、あの歌の人に会ってみたい。……どうしても。だから、ここを出ようと思うの」

 え、と声が漏れた。春香は、自らの手が急にじっとりと汗ばみ始めるのを感じながら、千早のことをまじまじと見つめる。

「ち、千早ちゃん……シェルターを出るって、それって、……おかしいよ、だって、地上に出たら……」
「……ごめんなさい、春香。……でも私、本気よ」

 千早はまっすぐで透き通った瞳で春香を見据える。その目を見て、春香は千早を、今となっては大親友でかけがえのない存在である彼女のことを、はじめて理解できないと感じた。
 地上に出たら、未だ土地に残る汚染物質によって身体が侵されて、近いうちに苦しみながら死ぬ……それは、春香が生まれてからずっと、大人たちに聞かされてきたことであり、実際春香が生まれてから今までずっと、ここを出て行く人も、ここに入ってくる人も、ひとりもいなかった。地上はもはや永遠に死の大地だから、私たちはここで暮らしていくしかない。痛いほど繰り返し聞かされてきたその言葉を、同じシェルター育ちの千早が知らないわけがなかった。

「だって……外に出たら、死んじゃうんだよ!?そのラジオの人がどこにいるかもわからないのに、そんなことしたら……」
「……そうね。そうかも知れない。でも、私、あの人の歌に大切なものをもらったわ。忘れてしまっていた、かけがえのない……」

 千早は少し眉尻を下げて笑う。春香は、混乱と焦りと、それから怯えと苛立ちとでほとんど泣きそうだった。

「だからって死んじゃったら意味ないよ!!」

 春香は激情に任せて叫んだ。私を置いてまで死ににいくの、私たち友達じゃなかったの、私千早ちゃんがいなくなるの寂しいよ、嫌だよ、千早ちゃん、死なないで……私と一緒にいてよ……沢山の言葉が声にならないまま消えていく。熱い涙がぼたぼたと冷たいコンクリートの床に染みをつくった。千早は春香の勢いに少し驚き、怯えたようなそぶりを見せたが、少しして、逆に決意を固めたような顔つきで、「……ごめんなさい」とだけ言った。

 千早は、その次の朝にはいなくなっていた。春香に何も言わず、シェルターをひとりで出ていったのだ。
 千早がいないことに気がついた大人たちが、彼女と仲の良かった春香に、必死で何か心当たりはないかと尋ねるのに、春香はうつむきながら「いいえ……何も」とか細い声で答えた。

 ……天海春香は普通の女の子だった。だから春香は、あの時の千早の衝動を、おそらく永久に理解できない。
 千早があの後どうなったのかを考えたくなくて、春香はそのうち、彼女のことを思い出すのをやめた。