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 夢を見た。クラスメイトの不二くんが、ある日突然、何の理由もなく歩けなくなる夢だ。夢の中で不二くんと私はなぜか一緒に暮らしていた。私に頼らなければ、テニスどころか日常生活すらままならない不二くんを世話していくうちに、不二くんはだんだん笑わなくなって、喋らなくなって、それを見ながら私は、胸の底からふつふつと湧き上がるほの暗いよろこびを感じていた。
 嫌な夢だった。不二くんは同じクラスのーーというか、この学校の有名人というだけで、私は特段彼に恋をしているわけでも、彼のファンなわけでもなかったから、人選も謎だった。それに、気まずい。
「おはよう、満谷さん」
「あ……不二くん。おはよう」
 この間の席替えで、不二くんは私の斜め前の席になった。不二くんの性格だと、私が何かに集中していない限り、私の横の列を通る時にはなにかしらの挨拶をしてくれる。若干ぎこちない笑みで取り繕いながら挨拶を返すと、彼はそのまま席について荷物を置き、本を取り出して読み始める。何の本だろう。私は彼の形の良い後頭部を眺めながら、ぼんやりと考えた。そして、思考はまた今朝の夢に行き着く。
 仮にあの夢のように、現実に不二くんがテニスを失ったとしても、彼はあんな風になるだろうか?……私には想像が付かなかった。彼がどれくらいテニスが好きなのか私は知らないけれど、このいつもの優しい微笑みが崩れるところが想像できない。傷ついたのをなんとか取り繕いながら、いつのまにか立ち直って、平然と前に進んでいるような……。
 そのことを思うと、少しだけ不愉快な気持ちになる自分が嫌だった。そんな不二くんが完璧でなくなる瞬間が見たいと心の奥底で望んでいたから、あんな夢を見たのかも知れない。私は不二くんのことを何も知らないのに。
 もやのような胸の内に身を委ねていると、朝のSHRの開始を知らせるチャイムが鳴った。思い思いの場所で雑談に興じていたクラスメイトたちは一斉に自分の席へと戻っていく。不二くんは、先生が入ってくるギリギリまで本を読み進めるようだ。私はそれを少しの間見つめたあとに、のそりと背を丸めて肘を机についた。