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 ちょうど一週間後、悪戦苦闘しつつもなんとか宿題をやり終えて本を返しに来たら、前と全く同じようにして満谷が座っていた。まるで時間が止まっていたみたいに。が、本が変わっていた。逆に言えば、本と、窓の外の天気しか変化がなかった。
 今日は司書もいるし、他にもちらほらと人の姿があった。だから厳密に言えば俺が満谷に話しかける必要はなかったのだが、一応礼くらいはしておこうと思って、この前と同じように満谷の向かいに立った。今日の天気は快晴で、俺としては万々歳なのだが、満谷には少し眩しすぎるように見えた。

「よう」
「ん、ああ……切原くんか。どうだったかな?その本」
「書きやすかったんじゃねーの?」

 正直、面倒なことには変わりはなかった。もちろん選書によって少しはマシになっているのだろうとは思うが、結局他の本で試していないから俺にはなんとも言えない。そういう理由に加え、やはり一週間経っても俺は満谷とクラスメイトのように打ち解けられる気がしなかったので、ぶっきらぼうな返事になった。

「はは、なんだいそれ」

 本のページに指をかけたまま、満谷はおもしろそうに笑った。整った顔が美しく歪む。俺はそれを見てから、満谷の手元に目を落とした。ちらりと見えた本の内容はよくわからなかったし、しかもシンプルにものすごく分厚かった。重そうだ。トレーニングに使えそうなくらい。だから満谷は図書室で本を読んでいるのかもしれない、と思ったが、しかしそもそも図書室以外にいる満谷の姿があまりに想像できなかった。実は図書室に出る幽霊なんです、と言われたら信じてしまいそうな、ただならぬ雰囲気は相変わらずだった。

「飽きねえの?」
「? なにがだい」
「前も同じとこ座って同じような本読んでたじゃん」
「同じような本ではないんだが……まあ、いいか。飽きないよ」
「なんで?」
「本が好きだから」
「なんで?」

 同じセリフで続きを促す俺を、満谷は不思議そうに見上げてから、「そうだな……」と顎に手を添えた。いかにも考えていますといったふうなポーズだった。

「本の中で私は私でなくなることができる。その体験が好きなんだ」

 三回目は言わなかった。意味わかんねえ、と、まあ実際意味が理解できるかどうかは別としてそう言いたくなる気持ちをしっかりと表情に出してやれば、満谷は手を下ろし、そこに鎮座している本のページを撫でて続けた。

「物語に限らず、本を読んでいれば、その中の世界に没頭することができるだろう」

 自分自身が物語の中の登場人物みたいな風貌をしておきながら、そんなことを言う。

「自分が嫌いってこと?」

「それとこれとは話が別だよ」満谷は、俺の問いにははっきりと答えなかった。「自分でない誰かになって、現実を忘れることができるというのは、誰にだって得がたい体験だからね」

 それを聞いて、満谷の持つ浮世離れした雰囲気の正体の一端が掴めたような気がした。満谷晴は本の中に住んでいるのかもしれない。本の中の世界を渡り歩いている心だけがあって、今ここにいる満谷は抜け殻なのかもしれない。……そう思って、すぐに憮然とした表情を作る。今の自分の思考が、いやにポエミーで気持ち悪かったからだ。

「君は? 今の私の話を聞いて、何か思うところはあったかな」

 満谷は、黒い目を細めて、あの笑い方をしながら首を傾げる。俺はなんとも言えない苦い気持ちになった。

「あー……まあ、いいんじゃねえの?って思った」

 俺にはテニスがあり、そこそこの数の友人があり、漫画だってどちらかと言うと物語そのものより感想を仲間内で騒ぎながら共有することが好きで読んでいる。ゲームに没頭することはあっても、物語に没頭することはほぼない。だから正直言えば、あまりピンとはこなかった。が、とりあえず思ったことを言った。

「あはは、ありがとう」

 満谷は笑って、口の端を上げたまま少し俯いた。こんな言動をしているくせに、満谷の前髪はきちんと目にかからない長さに切り揃えられていた。