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 水曜日の3時間目、現代文の先生が急に休んだとかで授業は自習になって、しかも教室につく監督の教師もおらず、この時間までに提出するようにとの言葉付きでプリントが配られただけだった。初めの説明で、静かにしていれば終わったものから自由時間にしていいとの話があったので、クラスは微妙に色めきだっていた。微妙に、というのは、ご丁寧に添えられた「静かにしていれば」という注意のせいだ。しかもその教師が言うには、俺は隣のクラスで授業やってるから、騒がしかったらすぐ分かるからな、とのことだった。めんどくせえなと思いつつ、俺はとりあえずプリントに取りかかる。現代文のプリントで良かった。これが英語だったら、俺は永遠に休み時間を迎えられなかったかもしれない。記述問題もあってないに等しい簡単なものだったので、俺がプリントを解き終わってもまだまだ時間は十分に余っていた。ガタリと立ち上がって教卓に解き終わったプリントを提出して、それからすこしの間逡巡した後、俺は教室を抜け出すことにした。


「なんでいんの?」

 図書室内は、当たり前だが閑散としていた。司書こそいるものの、他には満谷しかいない。というかいや、むしろ、なんで満谷はここにいるのだという話だった。司書も特にそのことを気にする様子はなく、カウンターに用意されたパイプ椅子に座って何かしらの紙をハサミで切り続けている。多分、貸出か何かの時に使うのだろう。

「ずいぶんなご挨拶だな。君だって今ここにいるじゃないか」

 満谷は今度は文庫本を読んでいた。まともな分厚さのそれにほっとした後、そのすぐ隣にシリーズらしき本が山になっているのに気づいてちょっと引いた。結局かよ。

「いや、俺は自習時間だったから暇で……、ともかく、ちゃんとした理由があるんだっつーの。あんたは…………やっぱ幽霊だったの?」
「すごいことを言うな、君は。だが、面白い。これからそういうつもりで生きていこうかな。図書室の怪、満谷晴」

 満谷は満足そうにうんうんと頷いたが、俺の問いには答えなかった。「しかし、君は暇だからと言って図書室に来るようなタイプではないと思っていたよ」と、やけにしみじみとした口調で言う。

「あー、まあ、教室だと騒げなさそうだったから」
「図書室でも騒ぐなよ」
「騒いでないじゃん、あんたと喋ってるだけだし」
「……つまり、私を話し相手にしようというわけか」

 満谷は観念したとばかりに文庫本にしおりを挟んで閉じた。へえ、付き合ってくれるんだ。満谷のいやに整った横顔を見て、ああ、と気がついた。

「柳先輩になんか雰囲気似てるな、あんた」
「柳先輩?」

 満谷はしっとりと黒い髪をわずかに揺らす。瞳が怪訝そうに細められた。

「あー、知らねえ? なんか背ぇ高い、おかっぱっぽい頭で、前見えてんのか見えてねえのかわかんない感じの……」
「…………ああ、彼か」

 図書室に尋常じゃないレベルで入り浸っている(実はここに住んでいるのだと言われても驚かない)満谷のことだから、おそらく知っているだろうと思ったら、やはり心当たりがあるようだった。

「話したことはないが、外見には心当たりがある」
「やっぱり? あの人、すげえんだよ」
「すごいのか」
「そう、なんかすぐに確率とか出してて……」

 この前なんか、休み時間に廊下走ったの真田副部長に見つかって、そのまま怒鳴られてたら、すれちがいざまに『このまま弦一郎が説教をやめなかった場合、赤也が次の授業に遅刻する確率88%……』とか言ってきたんだよ、と若干の愚痴を混ぜてこぼすと、満谷は「ツッコミどころが多いな……」と呆れたように首を振った。

「人のデータとかすげえ取ってる人だから、満谷が柳先輩のこと知らなくても、柳先輩は満谷のこと知ってるかもな」
「なるほど」

 満谷はなんとも言えない表情で視線をさまよわせた。「なんというか……すごいな」

「な! ビビるよな」

 思わず満谷の方に身を乗り出す。俺の満面の笑みに、満谷はその分のけぞった。

「君……、いいのかそれで」
「何が?」
「いや、まあ、なんでもない。それより、その柳先輩に私のことを聞いたりなんかしてくれるなよ」
「は? なんで?」

 いやそんなめんどくせえことしないけど。言いつつ俺は席に座り直す。満谷はやれやれと言ったふうに前髪を手ぐしでとかしながら、俺と目を合わせずに、「全て知られているかもしれないんだろう?勿体ないじゃないか」とだけ歌うように言った。