「仮定の話をしても仕方がないから、事実だけを言うけれど」

 秋が深まり、紅葉もほとんど散ってしまい、そろそろ冬の訪れを受け入れなければならないような日の朝だった。ご主人様は大広間でいつものようにみなで朝食を摂った後、ぼくを自室に呼び出すと、お茶も淹れないまま出し抜けにそう切り出した。

「わたし、審神者を辞めなくてはならなくなったの」

 彼女がこれといって表情を変えないままそう言い切ったので、ぼくはそのあまりにも突然で重大な告白に、いまいち明瞭な反応を返すことができなかった。けれどご主人様はそれきり何も言わずに、ぼくの胸の辺りにあるどこか遠い場所を一心に見つめている。

「……わけを聞いてもいいかな」
「……霊力の低下。あなたたちを顕現させ続けるだけの力がわたしにはもうないと政府に判断されたから、わたしはもうあなたたちの主ではいられない」
「……」

 重苦しい沈黙を無理やり斬るように声を発した。ご主人様が淡々と現状を説明するのを聞き、それで分からないところを質問して、理解を深めていく。ご主人様が言うには、この後猶予期間を経て、ぼくたちは各々の要望の元、他の本丸の刀になったり刀解されたりするらしい。よくあることだよ、とご主人様は言ったけれど、きっと彼女も自分自身にこんなことが起こるなんて思っていなかったに違いない。ご主人様はぼくの胸から、今はちゃぶ台の木目へと視線を移していて、手は少し崩した正座の脚の横でぎゅっと握られていた。

「それでなんだけどーー」

 ご主人様は息を深く吸い込んだ。きっとここからが本題だ。「うん」と頷いて、そっと続きを促す。

「わたし、亀甲にはどうしても、他の審神者の刀になって欲しくない」

 ご主人様はすっと顔をあげて、この部屋にぼくを呼んでから初めてぼくと目を合わせた。

「政府から通達があってからいろいろ考えたんだけど……あなただけは、うまくいえないんだけど、いやだったの。譲りたくない……だから亀甲。わたしのものでいて」

 ああ、と、息を呑みたいような気持ちに駆られる。紛れもない歓喜がぼくの仮初の心臓のあたりを駆け抜けたように思った。
 ご主人様がこの本丸でただ一振り、これだけは他人にやってなるものかとしがみつくのがぼくであるという。ものとして、こんなに嬉しいことがあろうか。もちろんそんなことを言われなくても、ぼくはきっとご主人様以外のものにはならなかったけれど……

「ご主人様」
「……」
「ぼくはずっとご主人様のものだよ。あなたに使われることができて、ぼくは幸せだった。……だから言ってしまうけれど、あなたにも最後まで、ぼくのご主人様でいてほしい」
「……うん」

 気の迷いと言われればそうだったかもしれない。ぼくは刀で、ご主人様はぼくを使う人間だ。刀に限らず物というのは全て等しく、ただ人に使われるための道具で、当たり前だけど元々刀に口はないし、たとえ何百年も倉庫にしまわれ続けたとしてもただ物言わず眠り続けるだけだ。そういう意味でも、ぼくは一振りの刀として、ずっと彼女のそばにありつづけたつもりだ。
 ご主人様が持ち主としてぼくに役目を課してくれること。彼女は当たり前のことだと言ったけれど、ぼくにとっては正しくかけがえのない日々だった。
 ……だから。気の迷いだったのかもしれない。こころが肉を得てしまったから、あんなことを言ってしまったのかもしれない。ご主人様に与えられる出来事全て、それだけでよかったはずなのに、刀が主に何かを欲するなんて……そんなこと、百歩譲って許されても愛くらいだ。それとも、欲求をぶつけることこそが愛なのだろうか?実際のところぼくはこの世が終わっても刀だから、人間の心の機微には疎いのだった。

 ご主人様はそんなぼくに向かって泣きそうな顔で微笑むと、「みんなには今日の夕食で伝えるよ」と言った。ぼくはそれに何を返そうか迷って、ご主人様がそれを察して優しい微笑みを深くし「行こうか」と立ち上がったころやっと、「……ありがとう」と一言つぶやいた。何への感謝なのか、ぼく自身にもうまく説明できなかったけれど、ご主人様がくしゃりと笑うのを見て、これでいいのだとなんとなく思った。





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