逃げよう、と主に言ったときの、あの大きく見開かれた目が忘れられない。


 俺の主ーーつまり、この山姥切長義という刀剣を顕現した審神者は、つまるところただの人間だった。いくら必死に気丈に振る舞おうとしても、結局はただの女一人でしかなかった。本来刀を振るう人間の持つような、戦争を甘んじて受け入れられるようなこころの作りをしていなかったのだ。だから主は毎日、俺たちの流す血に怯え、俺たちの「死」に怯え、この戦自体に怯えた。
 ……俺たちは刀だから、使われるためにあるものだから、主、君が与えた仮初の肉体がいくら俺たちを人間のように見せても、俺たちの終わりは「死」ではない。幾度かそう言ってしまおうかと思ったが、ついぞ言わずじまいだった。そもそも俺がしようとしたのはただのお節介で、きっと主も俺が進言しようとしたことは頭では分かっていたに違いない。それでも、長い間ずっと割り切れずに苦しんでいたのだろう。

 そういうわけなので、戦争の指揮官という目で見れば、俺の主はひどいものだった。指揮や統率力の問題ではないーーこの辺りに関しては、彼女はよくやっていたと思う。分厚い本をたくさん机の上に並べては、みんなのためだから、と笑って勉強に励む姿が、今でもありありと思い出せる。
 しかし問題は才能の方であった。主には戦争の才能がなかった。兵を非情に使い捨てる判断、将に求められる才能の一つだが、彼女にはこれが圧倒的に欠けていたのだ。たとえば部隊のうち何振りかの重傷を許容しさえすれば、もっと言えば刀を使い捨てることができれば、彼女の本丸はきっと輝かしい武勲をたてたことだろう。だが現実には戦線はじわじわと進んでいくのみだ。これはひとえに主が俺たちが傷つくことを恐れたからに他ならない。ともすれば苛立ちを隠しきれない刀も出てきそうな戦い方を指示され続けて、それでも俺は、そしてきっと本丸にいた刀も皆、彼女のことが嫌いになれなかった。何故なのかは……言葉にできない。持ち主を慕う物としての本能なのか、それとも肉を得た影響で生まれた感情だったのかは分からないが、俺にとってはどちらでも良いことだった。

 ただ一つ断言できることは、俺は彼女の刀になって、彼女の人となりを知ってからというものずっと、彼女に幸せが訪れることを願っていたということだ。だから、分かってしまった。彼女の幸せは、俺たちと共に戦を続けることでは決してなく、この本丸ではないどこか遠くにあるのだということを。

 ……主、君がこの戦から逃げて、逃げて逃げたその先で、君にとってのさいわいを得ることができたなら。君がいつか老いた時、穏やかな陽光を窓際で受けながら、ふと俺たちのことを色あせた遠い思い出として回想してくれたなら。そうしたら、俺はどんなに報われた気持ちになることだろうか。

 だからある春の日、俺は主に言ってしまった。ぜんぶ捨てて逃げて、そしてどうか幸せになってくれ、と。



 そうして俺の望む通り季節は巡った。彼女はあれからいく度目かの春の陽気の中、舞い散る桜に降られている。君は小さな声で「綺麗だね、長義」と呟くと、そのあたたかい指をそっとのばして、俺に触れた。
 審神者の立場を捨てた彼女にはもう、付喪神に肉を与える力はない。元の姿、冷たい鉄に戻った俺はもう、彼女にぬくもりを分けることはできない。
それでもなお彼女が俺のことをあの日々のように扱うから、彼女のあの瞳が俺を愛おしげに見ているのを確かに感じるから、俺は唯一残されたこころの中でああ、と嘆息する。そして今はない心臓の温もりをもって、彼女の心からの幸を願うのだ。




(To The Sister I Never Had) 





/曲のタイトルから話書くやつ





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