あまりにもそばにありすぎた。私のこの苦しみは、ひとえにそれに帰結する。

 四条貴音と私が何の関係もない赤の他人になってから数年が経った。
 かつて貴音は私のプロデュースするアイドルで、私は貴音のプロデューサーだった。私たちはお互いを支え合い、時には叱咤激励して、そうして何とか彼女はトップアイドルの座を掴んだ。
 芸能界のトップというものは酷くあやふやで、たとえそこに辿りついたとしてもそれを自認することなどそうできない。だから貴音と私の歩んだ、「トップアイドル」という終点を据えた長い長い道、その終わりを私たちが認めることにはまた長い時間がかかった。しかし、それでも認めないわけにはいかなかった。あの時、四条貴音はたしかにトップにいたのだ。
 貴音が幾度も私に言った、「この長い道」というフレーズは、その時からもう意味をなさなくなった。なぜなら貴音にはもう歩く必要などなかったからだ。私たちの道はすでに行き詰まり、貴音は前に進めない。貴音の背負った「使命」も、きっととっくに果たされていたのだと思う。
 貴音は己の背負った使命のためにアイドルになったから、その時にはもう、四条貴音をアイドルたらしめるものは何もなかった。貴音の背中を押すものはなく、背中を押されたところで、新しい景色を見せる道の続きはどこにもなかったのだから。

 そして、四条貴音は真に「普通の女の子」になった。私は貴音のその申し出を受け、事務所に話を通し、築いた日々相応のしっかりとしたサポートの後に、貴音からそっと手を離した。アイドル・四条貴音は多くの人々に惜しまれながらも芸能界を引退し、2人はまた違う道を歩き始めた。
 貴音は私の担当した一番最初のアイドルだったので、貴音が私の前から姿を消した時に、動揺しなかったと言われれば嘘になる。正直な話、あの時の私は歩き方を忘れてしまいそうになっていてーーしかし、だからと言って貴音に合わせて私もこの仕事を辞めるかと言われると、そうはならなかった。この仕事のやりがいというやりがいを、全て他ならぬ貴音に教え込まれてしまっていたからだ。

 そんなわけで、私は今でも数年前から変わらぬ帰路を歩いている。冬のつんと澄んだ冷たい空気を吸い込んで、冷えた指先をコートのポケットに入れる。……そういえば、こんな風にとても寒い冬の日に、貴音と手を繋いで帰ったことがあったな、とふと思い出した。どういった経緯だったのか、おそらくどちらかが「寒いから手を繋がないか」などと言い出したのだろうけれど、私の記憶にはその時の貴音のやけに赤く染まった耳だけがいやにはっきりとあるだけだった。

 四条貴音が私に残したものは、あまりにも多くて大きくて、重い。貴音が私の側にいなくなってから、彼女はどれだけ私の日々に現れたことだろう。
夜空を見上げるとそこには白く輝く月があり、そうすると私の意識はまたあの少女へと向いてしまう。

 最後の日、これからの予定を聞いた私に、貴音はただ故郷に帰るのだと言った。……遠く離れた貴音の故郷のことを、私はよく知らない。それどころか、彼女を縛り続けたあの「使命」についてすら、貴音は明確に話そうとはしなかった。私は貴音に関して、肝心なところで無知であった。だからと言って私たちの間に信頼関係が無かったのかといわれれば、それは確実に違うと胸を張って言える。私たち2人は最後の最後までかけがえのないパートナーだった。それの残滓、貴音とすごした日々のかけらが、今でも蜃気楼のように勝手に立ち昇っては私の胸をやわらかく焼いているという、それだけの話なのだ。
 ……それだけの話なのに、まったくひどい話だと、時折、少しだけ思ってしまう。きっともう貴音には会えないのだと、なんとなく分かっているから、そう思うのかもしれない。私の胸を満たしているのは間違いなく貴音との思い出だというのに、遠く離れた故郷の貴音は私に、負け惜しみじみたありがとうの一言すら許してくれないのだ。

 月をもう一度見上げる。
 蜃気楼はいつまでも消えない。今でも私の歩くこの道には、あの少女の影がちらりと垣間見える。あの素晴らしく魅力的な微笑みを浮かべて、そしてスカートを翻して去ってしまう彼女のことを思うたび、私の胸にはほんの少しの哀愁と、ただ感謝の念が去来するのだ。


/曲のタイトルから話書くやつ





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