「ドクターさ、もしかしてパッセンジャーさんと付き合ってるの?」
「は?」

 昼食を摂るにしてはやや遅い時間帯の食堂は、ピーク時とは打って変わってのんびりとした雰囲気だ。無限に湧いて出てくる書類仕事に無理やり区切りをつけて、手軽なメニューを食べ進めていた私の耳に、そんなとんでもないセリフが飛び込んできた。

「いや、全くそんな事実はないんだけど、なぜいきなりそんなことを?」

 思わず隣に座るミッドナイトの顔をまじまじと見やる。彼はといえば、私のそうした反応を半ば予期していたらしく、苦笑して肩をすくめた。
 やあドクター、隣いいかな。と、いつものように声をかけられた時点では、全くこんな展開になるとは予想していなかった。ミッドナイトは話し上手で、休憩中のスイッチの切れた頭でも気持ちよく話ができる。だからと言っては彼に少し失礼かもしれないが、正直あまり真剣に話を聴いていなかったのだ。
 というか、驚きを通り越して呆然としてしまって、頭が回らない。なにをどうやったら私とあのオペレーターとの間にそんな根も葉もない噂が立つのだろう。

「ええと……秘書を任せることが多いからとか?」

 思いつく限りではこれが一番ありうるが、だとしたら心外だ。彼の過去を顧みれば当然だが、パッセンジャーの事務処理能力は本物である。書類仕事に慣れていないものを秘書に任命したが最後、私の執務室は更なる地獄と化すだろう。

「ああいや、それはあんまり関係ないかな。一応説を裏付ける理由にはなるけどね」

 ミッドナイトはなだめるように話を続ける。

「なんかパッセンジャーさん、ドクターに絡みにいく奴に対して結構露骨に牽制してくるから、そうなのかなって話を他の奴としてたんだよ。勝手に話の種にして申し訳ないけど……ドクターに心当たりがないって言うのは、ちょっと心配だな」
「ええ……」

 やっと気持ちが追いついてきて、困惑する余裕ができた。牽制。彼が? 何のためにそんなことを? 私が目覚めてから出会ってきた数多くの人の中でも、パッセンジャーはトップクラスに色恋沙汰に縁が無さそうなタイプの人間だ。彼が誰かを好きになるところが全く想像できない。彼の我欲の薄さというか、本心が見えないというか、そういうところには私もずいぶん手を焼かされているのに。……まあ、本心が見えないという点に関しては、今回も相当なものだが。

「ま、俺が首を突っ込むことでもないかもしれないけど……、ああ、噂をすれば影、って奴だね。じゃ、俺はここで。邪魔したね、ドクター」
「あっ」

 そそくさと退散していく後ろ姿を見送る。あたりを見回すと、入り口の方にパッセンジャーが立っていた。ちょうど食堂に入ってきたばかりのようで、こちらを見ているような素振りはない。
 少しの間そのまま見ていると、彼が振り返った拍子に目が合ってしまった。若干の気まずさを感じながら軽く手を振る。パッセンジャーはそれに会釈で応じ、食堂のどこかへ歩き去っていった。


 日付が変わり、執務室は電子機器と机上に置かれたスタンドライトのみを光源として、顔をあげるとぼんやりと薄暗い。向かいのデスクに座るパッセンジャーは黙々と書類を仕分け続けている。……ミッドナイトの言っていたあの話について、聞いてみるならこのタイミングだろうか。
 私は今日中(この場合の今日中というのは、明朝までにということだ)に署名をすべき書類を片付け終えると、その他のメールやら報告やらに目を通す前に、できるだけ軽い調子で話を切り出した。

「パッセンジャー、君って私のことが好きなのか」
「は?」

 圧はない。むしろ、考えもしていない可能性を指摘された時の、少々間の抜けた声だった。彼のそんな声を聞くのは珍しい。そのことに私は少しだけ調子づく。

「なんか、他のオペレーターたちの間では、私とパッセンジャーが付き合っているという噂が広まっているらしい」
「なんとまあ」

 声の調子は元に戻ったが、やはり彼にも心当たりは無いようだった。表情をうかがっていた私は、こっそり安堵の息をもらす。

「まあ、特にそういう訳ではないよな。もしそうなら、あまりこう、周囲に誤解させるような言動はやめてほしい」
「ふむ」

 するとパッセンジャーは少しの間考え込むような仕草を見せた。おそらく本当に思考を巡らせているわけではなく、そういうポーズだ。しばらくの間の後、ゆっくりと口を開く。

「仮に、そう、仮に私があなた様に恋愛的な感情を抱いていると申しあげたら、あなた様はどうなさいますか」
「え? ……うーん? まあ、そっちの方が納得はできるかもしれないけど。どうするも何も、そもそも私には何が何やらなんだよね……」

 結局、ミッドナイトから聞いた話が真実かどうかも確認できていないのだ。まあ、彼は誠実なので、信用に値する話だと思ってこうして本人に話を聞いているわけだが。

「というか、どうしてそんなことを聞くんだ」

 雲行きが怪しくなってきた。デスクの向こう、書類の山越しに見えるパッセンジャーはいつもの笑みをやや深くする。そして口を開いた。

「では、そういうことにさせて頂こうかと、そう考えておりました」
「え?」

 パッセンジャーは立ち上がり、デスクの脇を通ってこちらに歩み寄ると、おもむろに跪いた。私が声を上げる余地もなく、台詞は続く。

「ドクター、周囲の方に誤解を招いてしまったこと、謝罪いたします。しかし私のそのような行いは全て、あなた様への想いあってのものーーどうかお許しを」

 長身のパッセンジャーが跪くと、普段はまじまじと見ることのない鮮やかな青い羽根がよく見える。額に露出した源石結晶も、夕焼けのような色合いの瞳も。そして間違いなく、彼はそうすることで、私が気圧されると確信していた。

「は……、き、急に何を言い出すんだ……、パッセンジャー、冗談が過ぎるぞ」
「おや、ドクター。私は冗談など申しておりませんよ。今まで自覚しておりませんでしたが、どうやら私は、あなた様と他の男性が仲良く話されていることが気に食わなかったようです」

 絶対に今考えただろう! 突っ込みたいのを必死にこらえる。あんなに気の抜けた声を出していて、これはない。これはない……が、これ以上追求するのは藪蛇な気がする……!

「ですから……ええ、ミッドナイトさんには、そのようにお伝えください」
「はあ!?」

 いや、というか、見てたのか。私が見た時にはそんな素振り全くなかったじゃないか。もしかしてマジなのか? こうなるとあのタイミングで食堂に現れたことすら怪しく思えてくる。

「あの、パッセンジャー、君が何を考えているのか知らないが……あまりこういうことをされると、困る」
「ふむ、まだ冗談とお思いなのですね。では今日のところはそれで構いません。ですが私は、あなた様の仰る、『周囲を誤解させるような言動』をやめるつもりはありませんよ」

 絶句していると、パッセンジャーは立ち上がり、「もう夜も遅いですし、残りの仕事は明日なさるのがよろしいかと。では、良い夢を。ドクター」と言い残すと、部屋を出て行ってしまった。


 思わず頭を抱え、勢いよく椅子に背中を預けて呆然と天井を見つめる。彼が何を考えているのか全くわからない。近頃はなかなかうまくやっていけていると思っていたのだが。それとも、うまくやっていたからこうなっているのだろうか?





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