サブタイトル:彼女に嫉妬されて満面の笑みになっちゃうタイプの不二くん

「晴」

 聴き慣れた、優しい響きの声がした。
 自分の席に座ったまま、私は机の木目をじっと見ている。少しの間そのまま動けずにいると、机に落ちる声の主の長い影が揺れた。

「どうしたの?」

 苦笑。あるいは、仕方ないな、というような、子どもをあやすような雰囲気の声。視線を目のような形の木目に行き着かせて、私は口を開こうとする。どうして。どうして顔を合わせられないのかは、分かっていた。けれど……。

「……さっき話してた子、誰」

 ああ、と思う。こんな話の切り出し方をするつもりではなかった。意に反してまろび出た声は細く消えそうで、例えば今が昼休みであれば、ざわめきで簡単に掻き消えていたはずだった。しかし運の悪いことに、今は放課後で、夕日の差す教室には声の主――不二くんと、それから私しかいない。だから不二くんは易々と私の醜い台詞を聞き取ってしまった。

「それが、僕もよく知らない子だったんだ。2年生みたいだったけど」

 きっと、不二くんのファンの子なんだろう。私は硬い面持ちを自覚しながら、心の奥で安堵した。しかし顔は上げられないまま、代わりとばかりに視線は勝手に木目をぐるぐるとなぞっている。
 どうして顔を合わせられないのか。私は心の中で答える。私が知らない女の子と話していた不二くんに嫉妬しているから。そしてなにより、こんなことで嫉妬している自分自身に動揺して、うまく話せそうになかったからだ。
 不二くんは私の反応を待っているのか、そのまま言葉を切ってしまった。

「なんか……仲良さそうだったから……」

 そんな沈黙に耐えかねて、また頭の中で推敲されていない言葉がこぼれる。仲良さそうだったから……嫉妬した。そう言っているようなものだ。いつもの私なら、あの程度でこんなに心を乱されはしない。言おうと思っていなかったことを声に出してしまうことだってない。なぜこんなことになってしまったのだろう。不二くんはみんなに優しくて、親切で、それにすごくかっこいい。王子様みたいだ、と彼を誉めそやす女子たちを、今まで何回も見てきた。だから、付き合うことになった時、覚悟をした、というか、自分によく言い聞かせたはずだったのに。

「そう?」
「…………」

 私は思わず、そしてやっと、顔を上げる。不二くんは困ったような笑顔のまま、小首をかしげてこちらを柔らかく見下ろしていた。結局目を合わせられないまま、「……そうだよ」と言う。もうほとんど口から溢れる言葉に制御が効かない。私は半ば泣き出しそうになっていた。

「しょうがないとは思ってるんだけど」
「うん」
「不二くんって……そういうの、慣れてそうだし……」

 勝手に発される言葉を、遠くにいるどこか冷静な私が聞いていて、話の順序も脈絡もなにもない、と顔をしかめているのを感じる。まったくその通りだと、かすかに震える唇を結びながら思う。でも仕方がなかった。

「そういうのって?」

 言いながら、不二くんは微笑んだ。その表情がこの場とはどこか似つかわしくないもののように見えて、私は戸惑う。けれど今の、得体の知れない何かがぐるぐる回っているせいでろくに働かない頭では、その原因までは分からなかった。

「…………女の子の扱い、とか……」

 そして、またぽつりとかぼそい声が漏れる。そんな私を見て、不二くんはあろうことか「ふふっ」と小さく吹き出した。私はさすがにむっとして、でも声音に自信は込められないまま、「笑うことないでしょ」と眉を寄せる。

「いやいや、……ふふっ、うん、ごめん、今のは僕が悪かったよ」

 まだちょっと笑いを堪えきれていない。私はさっきまで不安ともやもやでいっぱいいっぱいだったのを半分くらい忘れて、恨めしげに不二くんを見上げた。

「晴がすごくかわいかったから、つい」
「わざとやってるでしょ」
「何が?」

 不二くんのいたずらっぽい笑みを見ながら、少しの間沈黙する。普段ならもういい、と切り上げるところだが、今はなんだか、そういう気分ではなかった。

「……私が拗ねるの分かってて、わざと笑ってるでしょ」

 目をそらさずに、そう言ってみる。不二くんはきょとんとした表情になり、それから一拍の間を置いて、こんどこそ堪える気もなく爆笑し始めた。

「あははっ!」
「ちょっと!」
「あはっ、ふっ、う、うん……くっ、ふふっ!、ごめん、……」

 耐えきれずにじとりと目の前の恋人を睨む。腹立たしいことに笑いすぎて涙が出てしまったらしく、不二くんはきれいな指先で目元を拭ったあと、「あのね」と弁明を始める。

「馬鹿にしてるとかじゃないよ。今のは本当に面白いから笑っちゃっただけ」

 ……嘘だった。ごめんごめんと謝るだけ謝っておいて、続くセリフはこれである。全く弁明になっていない。

「そ、……それもそれでどうなの」
「あはは、そうだね」

 その上悪びれたそぶりもない不二くんに、私は困惑混じりのため息をついた。

「あの子にはあんなに優しくしてたくせに……」

 すると、ふいに不二くんは私を見つめた。その目があまりに愛おしげな色をしていたから、私は少したじろいで、前のめりになっていた姿勢をのけぞるように元に戻す。

「誰にでもしたいわけじゃないから、諦めてよ」
「え?」
「晴が相手だから。僕のこういうところを知ってるのは、晴だけ」

 今の私はものすごい馬鹿みたいな顔をしているに違いない。え、という形のまま、口が間抜けにぽかんと開いている。

「って言ったら……信じる?」

 不二くんはするりと瞳を細めて、こちらの様子をうかがうように、あるいは遠ざかった私との距離を縮めるように、顔を寄せた。

 あまりの衝撃で逆に動きを始めることができた私の頭は、それって多分本当に私だけってわけじゃないよ、と警告を出す。けれど不二くんのあの優しくきらめく星の海みたいな瞳を見てしまったから、私は少し考えたあとに、馬鹿みたいな顔のまま、「信じる……」と言った。





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