四条貴音にとって満谷晴は太陽だった。それも、夏の日のぎらぎらとしたそれではなく、冬の日に体をそっと温めるような陽の光だ。晴のすっと伸びた背筋や、春の雨みたいな響きの声や、花が咲くようなくしゃりとした笑顔を見るだけで、どんなに落ち込んでどうしようもない気分でも、心の芯がじんと温まる。貴音は晴のことが好きだった。憧れだったと言ってもいいかもしれない。けれど、それだけではこんなことは起こらなかったのだろうな、と、貴音は唇に伝わる柔らかい熱を感じながら、真っ白になったままの頭で思う。でも、耐えられなかったのだ、とも。……そう、耐えられなかった。何に? ……わからない。もう何も考えられなかった。
 閉じた瞼を刺すような、強い視線を感じる。その時初めて貴音は、自分が何かに急かされるようにして目の前の少女にキスしたあの瞬間から、晴がずっとこちらを見つめたままだったことを知った。貴音は恐る恐る目を開ける。至近距離に貴音の好きなあの綺麗な瞳があって、溶けてしまいそうだ。こんどははっきりと晴の視線に耐えられなくて、きっとこれでなにもかも終わりなのだと思いながら、貴音は唇を離した。
 晴は少し息を整えた後、貴音を見上げる。
「……貴音?」
「あ……、これは……」
 貴音は思わず後ずさった。自分が壊してしまった全てを後悔しながら、短く吸う息が震える。晴はそんな貴音を気遣わしげな表情で見つめていた。
「晴、私は、……違うのです、これは……」
「ねえ」
 晴の声音はいつもと変わらず暖かかったが、どこか貴音を引き止めるような響きがあった。貴音がまとまらないままの釈明をやめたのを見て取ると、きゅっと目を細めて笑う。
「いいよ、別に。なんでしたのかはちょっと気になるけど。でも、嫌じゃなかったし」
 なんなら、もう一回する? 明らかに冗談半分と分かるセリフに、貴音は短くうめく。
「……なんてね。ねえ貴音、またしたくなったら言ってよ。そうしたら今度は、私からしてあげる」
 晴はひらりと服の裾を翻して、貴音の元を去っていった。声を上げて泣き出したい気持ちに駆られながら、貴音は天井を見上げる。
 晴がどうしてそんなことを言ったのか、貴音には全く分からなかった。晴に嫌われなかった安堵と、酷いことをしてしまったという懺悔と、「もう一回」を望んでしまう自分への軽蔑と、何もわかっていないくせに軽率なことを言わないでほしいという、自分のしたことを棚に上げた晴への怒りでぐちゃぐちゃになりそうだった。
 あまり新しいとは言えない楽屋の蛍光灯の安い光が、わずかな明滅とともに貴音を見返している。指先の震えが止まるまで、しばらくはこの楽屋から出られそうになかった。





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