最近、隣の席の不二くんが私のことをからかってくる。それも、かなり頻繁に。

「満谷さん、寝癖ついてるよ」
「えっ……、…………それ、本当?」
「あはは、用心深くなったね。残念ながら冗談だよ」

 つまらないな、慌てる満谷さんが見たかったのに。不二くんはいつもの読めない笑顔でそう言った。私は何も言えずに前髪をひと撫でして席に座る。これが、今朝登校した直後の出来事だ。
 要するにまあ、不二くんと私はずっとこんな感じなのだった。あの時はたまたまそういう気分だったんだよ、という考えは通用しないくらい、ずっとこうだ。
 初めは戸惑いでそれどころではなかったが、しばらくするとやはり、不二くんって私のことどう思ってこんなことしてくるわけ?という疑問が浮かび上がる。私のことが嫌いだから慌てるところが見たいのか?逆に、どうでも良いと思っているから暇つぶしにやっているのか?実はそういう特殊なクセがあって、歴代の隣席は皆犠牲になっていたりして?
 仮説はいくらでも出てくるが、本人にそのものずばりを聞く勇気は私にはなかった。もしこれで嫌いだよ、なんて言われてしまったら、たとえいつもの冗談でも立ち直れないと思う。さすがに。もし冗談でなかったら……、不二くんとの残り半分ほどの隣席の期間、私はどんな態度でいればいいんだ。気まずいとかいうレベルじゃないし、私の精神的ダメージも計り知れない。
 そんなわけで状況は膠着状態だった。最近は不二くんのやり口に私が慣れてきたから、冒頭のようなやりとりになることも増えてきたが、根本的には不二くんが一枚も二枚も上手なのは変わらない。彼は、私が訝しげな表情で不二くんに念を押すこと、それ自体を楽しんでいるようにも見えた。

「満谷さん」
「なに、不二くん」
「ふふ、呼んでみただけだよ」
「……」

「ねえ満谷さん、僕教科書忘れちゃった。見せてもらっていい?」
「さっきめちゃめちゃ持ってたじゃん」
「ええ?見てたんだ。惜しかったな」
「絶対自分の分見たほうが楽でしょ。惜しいも何もないよ」
「分かってないなあ、満谷さんは。君みたいにすてきな子と隣になったんだから、机のひとつもくっつけなきゃもったいないよ」
「はい?」
「なんてね。本気にした?」
「はあ?」

「今週の日曜日、試合があるんだよね。満谷さんが来てくれたら、僕すごーく頑張れちゃうんだけどな」
「はいはい」
「満谷さん」
「はいはい」
「……今のは本気だよ」
「はいは……うん?」

 放課後、部活に行く前の最後の会話。話を聞き流しながら教科書を片付けていた私は慌てて不二くんの方を振り向く。浮かべているのがあのわざとらしい笑みだったらよかったのに、なぜか不二くんは穏やかな微笑みをたたえて、静かにこちらを見つめていた。

「ねえ、来てくれる?」

 不二くんはいつもの声のトーンで言ったけれど、表情は全くいつも通りではなかった。明らかに何かがおかしい。私は頬のあたりがぞわぞわするような気持ちにおそわれた。ものすごくたくさんの考えが一瞬で頭を巡っていったのを感じた後に、結局出来る限り平常心を装うことにして、「か……考えとく」と呟く。

「ありがとう」

 不二くんはさっきの雰囲気のまま、きゅっと笑みを深くした。それをきっかけに、戸惑っていた私の心臓がやっと状況を理解して、ばくばくと鼓動を速め始める。しかし次の瞬間、不二くんはこちらから顔をそらして、自分の鞄を開けて荷物の整理を始めた。

「でも、来れなくても応援しててよ」
「えっ、それは、うん、そのつもりだけど」
「本当?……やっぱり満谷さんって優しいね」

  
 向こうを向いたまま、不二くんは言う。いつもと同じ声音のはずだった。なのに、なんだか決定的に何かが違うように聞こえて、私の動揺はますますひどくなる。
 不二くんは今、どんな顔をしているんだろう。……こんなことが気になるのは、こんなに速くなってしまった鼓動のせいだろうか。





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