※不二が女の子(先天性女体化)
※下の名前・一人称は出てこない(夢主は終始「不二」呼び)、口調もそのまま


 ふわりと階段を抜けるぬるい風が吹く。私と不二は、いつものように階段に腰掛けていた。さっきまではお弁当を膝に広げていたのだが、二人とも食事中にあまり話すようなタイプでもないからさっさと食べ終わってしまったのだ。私たちはいつもこうで、二人きりで残った昼休みの時間をゆっくり過ごすのが常だった。
 私は階段のふちを指先でなぞる。体温でぼんやり温まった金属の感触がした。この学校の屋上は基本的に生徒の立ち入りが禁止されている。だから最上階から屋上へ続く階段の、特に踊り場から先、つまりここは、ほとんど誰からも見つかることがない私たちの場所だ。薄暗い、あまり掃除も行き届いていない階段だけれど、私と不二はここが好きだった。


 不二と私は恋人同士だ。そして、同じクラスでもある。けれど二人とも、教室の中ではあまりお互いに話しかけることはない。人前ではいかにも全く関わりがないですよというふりをしているから、昼食をとるにもこうしてこっそりと会う必要があった。この暗黙の了解には、不二がこのクラスどころか学校全体のマドンナ的な存在であることが大きく関わっていて、私は不二に、不二は私に、『あまり堂々と親しくしたら相手に迷惑がかかるかもしれない』と思っているのだった。それが分かっているから、特に寂しくはない。それに、二人きりになったとたん、急に言動が甘くなる不二を見るのも、ちょっとした独占欲が満たされて悪くなかった。


 ——本当は、教室でこういうことをして、みんなに見せつけてあげたいくらいなんだけどな。

 私が箸で差し出した唐揚げを「おいしい」と頬張って、ある時不二はそう言った。私はといえば、不二って唐揚げとか食べるんだなあ、となんだかしみじみしながらそれを見守っていたので、一瞬反応が遅れてしまった。

 ——女の子同士だから、あんまり不審がられないんじゃないかと思うよ。ねえ晴、やってみない?
 ——……恥ずかしいから勘弁してよ、不二。

 やっとそれだけ言う。
 小鳥のように素直に私の箸を咥えるために口を開ける姿にも、片方の髪を邪魔にならないようにかきあげる仕草にも、正直いけない気持ちになってしまうから、他の人にこんな不二を見せたくなかった。それに、いくら周りが気づかないかもしれないと言っても、私たちのしていることは友人同士のじゃれあいではなく、恋人としてのことだから、なおさらだ。それに多分、本当にやったらすごく目立つと思う。不二は休み時間に友人と談笑すらしないわけだから。
 不二も初めから本気で言っているわけではなかったらしく、晴は照れ屋さんだね、と笑って、その話は終わりだった。


 教室での不二はなんというか、孤高の存在だ。その恐ろしいほど整った外見と、隙のない佇まいと、完璧な微笑み。そして極め付けの、ミステリアスな雰囲気。教室で授業を受けている時、横顔をちらりと見れば、一枚の絵のように完成され切った美がそこにある。
 そんなあまりにも鮮烈な存在であるがゆえに、逆に皆は不二に話しかけるのを躊躇い、その結果不二は同性の友人すら少ない、絵に描いたような高嶺の花として名を馳せていた。不二もそれが分かっていたから、バレンタインは本命でなくても誰にもチョコをあげない。クリスマスも誰の誘いにも乗らない。勘違いされると面倒だからだ。そして決まってそんな時、私は誘いを丁寧に断っている不二のことをちらりとも見ずに教室のすみで黙々と読書をし、後から不二が誰にも見られないようにそっと誘ってくるのを待つのだった。
 ……正直、なんで不二は私と付き合っているんだろう、とは思う。不二が私のことを好きになった理由すら、いまだに実感は湧かない。前にどうしてなのか聞いたら、不二は微笑みながらその理由を教えてくれたけれど、私は、不二がそう言うならまあそうなのかもしれないな、と思うばかりで、私がいまいちピンときていないことを察した不二に「そういうところも好きだけど……」と苦笑された。
 「あの」不二と、クラスでも目立たない方の私。客観的に見たら、全く釣り合っていない。けれど、私と二人の時間を過ごすたびにまるで慣れる様子もなく頬をバラ色に染めて、いつも教室で見せるのとはどこか違う笑みを浮かべる不二を見ていれば、不二が私を唯一と定めているらしいことは嫌でも分かった。そして、私もそういう不二のことが好きだから、なんだかんだうまくいっているというわけなのだった。


 とりとめのない回想に思考を遊ばせていると、隣にいる不二がふいに顔の角度を少しだけ変えた。さらり、と、色素の薄い癖のない髪の毛が重力に従って流れる。

「……不二?どうしたの」

 なんとなく様子がいつもと違う気がして、私は不二の方を見た。今日はあまり喋らずにいたい気分なのかなと思っていたが、そうではないようだ。さっきから続くこの沈黙はなんというか、不二がそうしたくてしているようには思えない。
 体をぴったりと寄せ合ったまま、不二は静かな暗い瞳で下に続く階段を見下ろしていた。私は階段のふちにつかれた白く滑らかな手をそっと取る。不二がそれに抵抗しなかったので、私は柔らかい手のひらについたほこりをそっと払ってから、手を繋いだ。

「……晴」

 名前を呼ばれて、もう一度不二の顔を見た。俯いたままの不二の頬に、つうと一筋の光が見える。……泣いていた。表情を変えず、何も言わないまま、まばたきのたびに涙がぽたりぽたりと流れ出る。長いまつげに小さな水滴が付いて、そしてふるりと払い落とされた。屋上に続くドアの、すりガラス越しの光が、不二と私をぼんやりと照らしている。不二は何を訴えるでもなく、ただ泣いていた。私の不二は泣き顔も美しかった。壮絶なほどに。私はできうる限り優しく微笑んで、低い声で返事をした。

「うん」
「…………晴」
「うん」

 すがるように名前を呼ばれ、二度目の返事をしながら、私は繋いだ手の指の間に指を差し込む。恋人繋ぎ。これを不二がいたく気に入っているのは知っていた。そのまま、不二の太ももの上に繋いだ手を乗せる。プリーツスカートの少しだけざらっとした生地の感触だけが、私と現実とを繋いでくれるようだった。
 それがきっかけになったのか、全くの無音で泣いていた不二は、やっと小さくしゃくりあげた。そのまま、堪えきれない嗚咽が漏れる。

「不二」

 大丈夫だよ、と、告げてみる。

 どうして泣いているのかは分からないし、かっこつけたがりのあなたのことだから、聞いても全部は教えてくれないかもしれないけど。ねえ不二、私がついているから。こうして手を握ってあげられるから。だから、多分なんとかなるんじゃないかな。気持ちを全部、その一言に込めた。不二ならこれで全部わかってくれると知っているから。

 不二は私を見た。綺麗な顔が歪んでいる。目元も赤い。晴、そう呼ばれた名前は途切れ途切れで、私はなんだか不二のことが愛おしくてたまらなくなってしまった。
 いくら不二が完璧な女の子に見えても、そんなことはありえないのだと、私ははっと思った。分かっていたことだったけれど、今、なんだかとても、不二のことを守ってあげたい。不二が実はものすごい頑張り屋で、その上負けず嫌いなことを……誰に知られずとも、たった一人で頑張り続けることができてしまう背中のことを、彼女を遠巻きに噂するクラスメイトのうちの何人が知っているだろう。私は繋いだ手ごと不二をそっと引き寄せて、こわばった不二の指をするりとほどくと、両腕でぎゅっと不二のことを抱きしめた。柔らかくて、小さい。ほんのりとシャンプーの香りがする。

 不二がしゃくりあげて嗚咽を漏らすたびに、私の体にそれが伝わってくる。不二はそっと私の首筋に顔を埋めるようにした。私はもう一度だけ、「だいじょうぶ」と言った。
 とっくに止まらなくなってしまった泣き声を、もう不二は隠さない。鼻を鳴らしながら、不二は私の背中に手を回す。寄せられた身体から伝わる不二の温もりを感じて、私も同じくらいの温もりを不二にあげられていればいいと思った。





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