「こないだの返事……聞かせてほしいんじゃけど」
私を屋上に呼び出した仁王雅治は、開口一番にそう言った。仁王の頬は赤く、唇も遠慮がちにわずかに開くだけで、肩はややすくんでいる。でも、目だけが怖いくらいにまっすぐだ。
仁王がこんなにしおらしい表情をするところを見るのは初めてだったから、何が起こったのかしばらく分からなかった。私は硬直して、それから目を見開いて、口をぱくぱくさせ、全ての合点が行って半分叫ぶように言った。
「に……、仁王って、ほんとに私のこと好きだったの?」
やっと出てきた私のセリフに、目の前の銀髪ツンツン頭はあっけにとられたように「おお」とよく分からない感動詞を発した後、思い出したかのように顔をしかめる。
「まだ信じとらんかったんか」
「いや、あの、だって、うん……」
申し訳ないとは思いつつも、何も言い訳ができなかった。仁王と目を合わせられなくて、屋上を吹き抜ける風が、仁王の尻尾みたいな髪を巻き上げるように揺らすのを見ている。
……だってほら、仁王ってまず外見が明らかにやばいし、なんか異名まであるし、その異名が詐欺師だし(ほんとにテニス部なんだよね?)、よく分からない鳴き声もあるし、本人の意図したところではないにせよ、もはや苗字までいかついし……。正直言って、あんまり関わり合いになりたくないタイプの人間だ。少なくとも数分前までは完全にそう思っていた。だから、仁王が私にかけていた諸々の言葉とか、謎の贈り物も、相手にしない方が良いアレだと思って、完全に流してしまっていたのだ。
「えっと、ごめん……」
「疑り深すぎじゃ」
とりあえず謝った私に、仁王は苦々しげに私から目を逸らした。やっぱりマジのやつだ、これ……。
急な展開とあまりの罪悪感でこの場から逃げ出したい気持ちに駆られた私は、とりあえず手に持ったままのお風呂のアヒルをぷにりと押した。やわらかくてありふれたプラスチックの感触……の後に、ピィ〜!とまあまあデカめの笛の音が鳴り響く。ほ、ほんとに勘弁して……!
普通にびっくりしてアヒルを手から取り落としそうになる私を見て、仁王は仁王でなんとも言えない視線をアヒルに送っていた。なんで今?の視線なのかもしれない。こっちが聞きたいんだけど。なんでアヒル?
いや、そもそもこのアヒル、四限の移動教室が終わって戻ってきたら、ぽつんと私の机に鎮座していたものなのだ。そのアヒルは一枚の紙を机に抑えておくべくそこに置かれており、アヒルをどけてその下のノートの切れ端に書かれていたのは、私を屋上に呼び出す文面だった。名前は書かれていなかったが、まあ、こんなことをするのは仁王しかいないので、戦々恐々としながら屋上に向かったら、冒頭のセリフが飛び出してきたというわけなのだった。
つまりこの男、形はどうあれ、手紙で屋上に呼び出されて告るという、超王道のアレをやってきたというわけで……。もろもろの状況を加味すると、さすがに仁王に対する認識を改めざるを得なかった。まあ、なんでこのアヒルを置く必要があったのかは分からないけど……。
「……気に入ったんか? それ」
「違うけど!?」
困惑しながらも一応、みたいなノリで言わないでほしい。私は勢いよく否定した後に、「あ、あのさ」と口火を切った。
「なんじゃ」
「気づけなかったのは本当にごめん、でも……私、仁王のこと全然知らないし、ちょっと……すぐには無理かも」
仁王は少しの間の後、思いのほか素直に「なるほどの」と頷いた。
「じゃあ、教えてやろうか、俺の全部」
「は?」
予想外すぎて思わず声が漏れた。仁王はそんな私の反応ににやりと唇を吊り上げる。うわ、悪そうな顔……。私が失礼なことを考えていると、仁王は次のセリフを流れるように口にした。
「お前さんになら、特別に教えちゃる。何が知りたい?」
何が。つまり、私が聞かなくてはならないのか。いや、よく知らないからと言った以上、それを避ける道理はないのだが、なんとなく気が重かった。
「えっと……じゃあ……」
仁王は私のことを無言で見つめている。さっきまでよりはマシな人相だ。仁王の真顔って、もしかしたら初めて見るかもしれない。私と話すときは大体にやにや笑っていたから。
……暑い。
不意にそう思った。屋上で、影もない場所にいるから当たり前なのかもしれないが、なぜかさっきまでは気にならなかったことを今はありありと感じている。
「……銀髪だと、あんまり頭熱くならなかったりする?」
「お前さんよりはマシかもしれんが、普通に熱いぜよ」
「じゃあ、日陰行かない?」
「嫌じゃ。俺も我慢しとるんだから、逃げなさんな」
夏は終わったと思っていたのに。
いやに眩しい日差しがじりじりと私と仁王を照らしていた。そしてどうやら、仁王が満足するまでここから動けなさそうだ。
「なんでアヒル?」
とりあえず、手のひらのアヒルを掲げて聞いた。
「かわいいじゃろ?」
「ま、まあ……そうだけど。なんでくれたの?」
「お前さんが喜ぶかなと思って」
仁王はわざとらしく首を傾げた。
「じゃあ、今までくれたお菓子とかも全部?」
「そうなるの」
「家庭科のお菓子くれた時に……『お前さんのために心をこめて作ったぜよ』とかなんとか言ってたのも、本気だったってこと?」
仁王は私の懐疑にやや不機嫌そうに目を細めながら、こくりと頷いた。どうやら仁王は、駄菓子屋で売っているようなジョークグッズから手作りのちょっと焦げたラングドシャまで、本気で私に喜んでほしくて、あるいは見てほしくて、私のところに持ってきていたらしい。
「仁王って……猫みたいって言われない?」
「わりと」
「あの、まだ聞かなきゃいけない感じなの?」
仁王は頷いた。本当に猫みたいだ。仁王の気がすむまで、私は逃げられない。
正直まだ仁王にびびっている私は、必死に問いを考える。
それから、頭に浮かんだものをそのまま声に出した。
「えっと……私のどこが好きなの、とか?」
やっと満足げに目を細めた仁王は、「にゃあ」と、本物の猫みたいな声で鳴いた。