※「北極星に似ている」の二人っぽいけど、単体でも読める

 跡部は今日も片手に紙袋をぶら下げて来た。跡部がこのこじんまりとした我が家に上がり込む時のお決まりである。チャイムを鳴らして私に出迎えられるやいなや、跡部は「ほらよ」と玄関に立ったまま私に紙袋を手渡してくる。受け取って底に手をやると、厚めの紙越しにひんやりと冷気が伝わってきた。「ケーキだ!」思わず黄色い声が出た。しかもよく見たらこれ、私が気になってたチーズケーキ……! 確か、限定何個とか、朝から店前に長蛇の列とか、そういうワードと一緒に紹介されていたはずなのに……。
「跡部……跡部ってすごいね……」
「当然だろ。俺を誰だと思ってやがる」
 私の感嘆に、跡部はなんでもないように、にやりと笑って言う。私は「お茶淹れるね!」とスキップでもしそうな勢いでリビングにかけこみ、テーブルの上にケーキの箱を置いてキッチンに向かった。
 大体の場合、跡部は私の家に泊まっていく。手は出されたり出されなかったりする。いやごめん、この言い方はちょっと跡部に失礼だった。正確には、したりしなかったりする。つまり、どうやら跡部は、本気で私の家のことを気に入ってしまっているようなのだ。いや、あの、跡部がそういうことをすることしか考えていないような人間だとは私も思っていないけれど……。庶民としては、まあ普段あんな豪邸に住んでれば物珍しくも思うか、とか、あとは一応こっそりと、私がいるからっていうのもなくはないよね、さすがに……とか、そんなことを思うばかりである。
 まあつまり、おいしいお菓子をゆっくり味わってなお、私たちにはたっぷり時間がある。だから暇を持て余さないように気を使っているのかもしれない。それとも、跡部なりに親しき仲にも礼儀あり、を実践しているのか……あとは純粋に私を喜ばせようとしているって線もあると思うけど……。まあ、私としてはありがたいことである。美味しいものは好きだし、紅茶を淹れるチャンスが頻繁にやってくるわけだし。
 キッチンの棚に並べてある紅茶の缶を見わたす。チーズケーキか。それも確か、濃厚系のベイクドチーズケーキ。もしかしたら紅茶じゃなくてコーヒーが合うのかもしれないけれど、私はこういうとき、もう絶対紅茶を淹れてやるという気でいるので、意地でアッサムの缶を手に取った。ミルクティーに合う紅茶にしておいて、ミルクは入れたかったら入れてもらうことにする。好みに走っても文句を言われないことが分かっているので、ここ数年はやりたい放題である。

 跡部と付き合うようになってからというもの必死で練習した甲斐あって、跡部は私の淹れた紅茶を「美味い」と評してくれる。お世辞ではないらしい。一度気になって「ほんとに? 跡部が私のこと好きっていうのを抜きにしても美味しい?」と確認したら、「バーカ」ののちに、「ちゃんと美味い。最初はひどいもんだったが、今は客観的に見ても合格だ」との評価が返ってきた。
 跡部とは中等部の生徒会の頃からの付き合いなので、彼の言う『最初』というのもその頃を指すのだと思う。確か、生徒会が珍しく暇だった時のことだった。専用のふかふかつやつやのソファに座っていた跡部が、ふいに「おい、満谷」と私の名前を呼び、「お前、紅茶を淹れてみろ」と言い出したのだ。「え……いいけど、私別にうまくないよ」「いい。誰にでも最初ってもんはある。どうせ今は暇だからな、俺様が飲んでやるよ」とかなんとか、要するに、跡部に紅茶を頼まれたので断りきれずに一応淹れてみることになった、という流れだったはずだ。中学生の私はそれまでろくに紅茶を淹れたことがなかったので、跡部に出す前に毒味を兼ねて一口飲んだ時点で、これは跡部の舌に合うはずもないと自分で分かる出来栄えだった。これは絶対怒られる……。と、諦めの境地に達しながらカップを差し出した記憶がある。
 なのに跡部ときたら、この最初の紅茶を飲んだ時からずっと「美味い」を言い続けているのだ。だからもしや料理(?)は愛情♡ の愛情♡ 部分だけで気持ちを保たせているんじゃなかろうなとひそかに思っていたが、『今は客観的に見ても合格』というセリフを鑑みるに、ちゃんと美味しくなっていたみたいだ。(そしてちゃんとひどいもんだと思っていたらしい。言って欲しかった……。ずっとどういう風の吹き回しかと気が気でなかったのに……。)
 そんなわけで私は分かりやすく浮かれてしまって、それからというもの跡部に紅茶を淹れるチャンスがあれば逃さなかった。それが確か、大学生の頃の話だ。

 揃いのカップをふたつと、ティーコゼーをつけたティーポット。それと、多めに牛乳を入れたミルクポット。お皿とフォークも二つずつ。キッチンの端に置いてあるトレーを使って、リビングに運ぶ。それから、我が家の安っぽいソファに仰々しく脚を組んで座っている(これが跡部の自然体なのだ)跡部に「食べよう」と声をかけると、跡部は「ああ」と頷いて立ち上がった。
 テーブルについて跡部がケーキを取り分けてくれるのを待っている間に、頃合いを見計らって紅茶をカップに注ぐ。陶器のカップに、透き通った赤い水色が美しい。うん、いい香りだ。
「アッサムか」
「うん。さすが跡部。ミルクティーが合うかなと思って」
「その通りだ。よく勉強してるじゃねーの」
「跡部が褒めるから……」
 ていうか、勉強してるの気づいてたんだ。いつの間に……。本当にすごい人だ。
 跡部はご満悦そうに口角を上げて、「早く食べろ」とぼんやりしている私を急かした。「いただきます」とさっそくフォークを取り、チーズケーキに差し込むと、どっしりしたクリーム色の生地は想像よりもずっと滑らかに切り分けられていく。もうこれだけで美味しそうだ。うっとりしながらそっと口に運ぶと、ふわっと豊かなミルクの香りがして、そのすぐ後に、濃厚なクリームチーズがたっぷりの生地が舌にやってくる。口の中で噛み締めるたびにものすごく素敵な風味が広がって、こんなに濃厚でしっかりしたケーキなのに味や食感に全然クセとか引っ掛かりがなくて、ほろほろと美味しさだけを振りまきながらほどけていくようで……。なんていうか、……美味しすぎる!
「美味いな」
 跡部はミルクティーにした紅茶を一口飲んでからそう言った。私もそれにならってカップを持ち上げる。……うん、今回も成功と言って差し支えないと思う。それに、絶対ミルクティーが正解だ。このチーズケーキに下手にあっさりしたものを合わせるのは無粋まである。
「本当に美味しい。すごい。これは並ぶ。跡部大好き」
「また買ってきてやる。それまでにお前はロイヤルミルクティーの淹れ方でも練習しておけ」
「え、うーん……頑張るけど、あんまり期待しないで」
「心配しすぎだ。お前が淹れる紅茶は何でも美味い」
 跡部はそう言って目を伏せ、ふっと息を漏らすように笑う。私は跡部をまじまじと見た。「もしかしてだけど、跡部って中等部の時から私のこと好きだった?」と聞いてみると、跡部のアイスブルーの瞳が大きく見開かれた。
「だッ……、バカかお前は」
 跡部は信じられないものを見る目で私を見た。それから頭痛に耐えるように眉を寄せ、目も一緒に細める。「そういうのは気づいても言わないもんだろうが。正気か?」
「やっぱりそうだったんだ。ごめん、さっきよく考えたら、そうなのかなって」
「謝るな……そしてこの意味分かんねえタイミングで今更よく考えようとするんじゃねえ。何年経ってると思ってんだ。自分が情けなくなる……」
 跡部は手を額にやって、眉間のしわを揉みほぐそうとした。頭の傾きに合わせて、髪の毛がさらりと目にかかる。私はそれを手で払ってあげたい気持ちにかられながら、「今は跡部のこと大好きだから許して」と言った。
「……。もういい……」
 これは普通に照れてる方の『もういい』だ。
 調子に乗って「あの跡部専用ソファって、私たちが卒業したあとどうなったの?」などとちょっかいを出してみると、「んなことばっか言ってるともう買って来てやらねえぞ」とじとりとした目つきが返ってきたので、私は思わず笑ってしまった。





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