不二先輩の誕生日は四年に一度しかないらしい。ただでさえ年上の彼氏へのプレゼントなんて大きな悩みの種だというのに、それに加えてこの特別感。正直言って、私には荷が重い。ありがたいことにお付き合いが続き、今年ついに私は本当の先輩の誕生日、つまり四年に一度の二月二十九日を祝うことになった。というか、なってしまった。
 いや、別に私だって先輩を祝いたくないわけじゃない。祝う気持ち自体は、もちろんすごくある。
 しかしなんというか……先輩は……「キミが選んでくれたものならなんだって嬉しいよ」とか、「キミがいてくれたらそれだけでいいよ」とか、そういうことを本心から言ってしまえるような人だったので、逆に祝い方が決めにくいったらないのである。何をしても喜んでくれるだろうなとはっきり分かるから。
 そんなわけで、私は一人で通学路を歩きながらぼんやりと考えた。——さて、どうしたものか。
 今日は少し暖かくて、コートを着て黙々と歩いていると若干汗ばむような気もしてくる。中途半端な時間帯ということもあって人通りはまばらで、陽気と相まって考え事をするのにちょうどいい。
 趣味に関するものを贈るのはリスキーすぎる気がする。アクセサリーは……付けられる時も限られてくるし、ちょっと背伸びしすぎなんじゃないだろうか。マフラーは……もう春になるし……。あとは文房具とか、花とか……。うーん、まあ、悪くはないけど、無難って感じだ。せっかくなのだから、普段できないようなことがしたいというのは、欲張りすぎだろうか。
 植え込みやお店やお家の壁をぼんやりと眺めていると、後ろからやってきたちょっと派手めのエンジン音が私の近くでやんだ。振り向くと、見覚えのある赤い車が停まっている。
「晴ちゃん?」
「由美子さん! こんにちは」
 車の窓を開けて、由美子さんは私に言った。
「周助は一緒じゃないの?」
「はい、私、今日部活がない日で……先輩に言ったら、先帰ってていいよって言われたので」
「そうなの。……ねえ晴ちゃん、もし暇だったら家来ない? いいものあるわよ」
 由美子さんは内緒話をするようにそう言って、きゅっと口角を上げてみせた。隙なく巻かれた髪が揺れる。頬がふわっと赤らむのを自覚するかしないかのうちに、私は半分無意識のまま「はい!」と返事を返していたのであった。

   ◇ ◇ ◇

 どうやら今日は、由美子さん以外の家族はみんな、何かしらの用事で出払っているらしい。不二先輩のおうちにはそれなりにお邪魔したことがあるけれど、それはもちろん先輩に連れられてのことだったから、なんだか慣れない雰囲気で落ち着かない。私は由美子さんに促されて玄関に足を踏み入れる。「おじゃまします……」おどおどとした声に、由美子さんがくすっと笑いをこぼした。先輩と同じ笑い方だ。それに気づいて、浮き足立つ気持ちを抑えようと、唇をむにっと合わせた。フローリングの上を由美子さんの後に続いて歩くと、うっすら香水のにおいがする。
「あの、いいものって?」
 促されてダイニングテーブルの椅子に腰掛けてから、無闇な緊張から意識を逸らしたくて聞く。由美子さんは答えを教えてくれないまま、「ちょっと待っててね」とキッチンの方に歩いていった。
 キッチンということは、もしかして食べ物? お手製のパイとかを食べさせてもらえるのかな。由美子さんのお菓子、どれも美味しいんだよね……。いやいや、そんな、いただく前から期待しすぎ。厚かましい……。
 私が一人で百面相をしている間に、由美子さんはやかんに水をくんで、お湯を沸かし始めていた。
 なんだろう、と思っていると、「ミルクティー、好き?」と聞かれて、それが紅茶用のお湯であることに気づく。「は、はい!」と、座ったままキッチンに向かって声をはった。
「あの、お手伝いしましょうか」
「いいのよ。せっかく来てくれたんだから、おもてなしさせて。紅茶、ミルクに合うやつにしておくわね」
 やわらかく語尾を上げて言われる。やがて由美子さんは、何かの箱を持ってリビングに戻ってきた。
 はい、と、ハートマークがつきそうな上機嫌な声。それと共にテーブルに置かれた白い箱は、厚紙で作られていて、持ち運びできるように取手がついていて……どうにも見覚えのある形をしている。
 「ケーキですか?」私も私で声のトーンが上がっていた。
「そうよ。ちょっといいとこのやつ、気になってたから買っちゃった。今紅茶淹れるから、その間にどっちがいいか選んでくれる?」
「えっ、あの、いいんですか」
「いいのよ。私が食べたいのを買ってきたから、ね?」
 ウインクをひとつ。そして、組み合わさっていた箱を解くように開いて、中を見せてくれた。
 そこには、つやつやと輝くフルーツタルトとチョコレートケーキが、宝石箱の中の宝石のように収まっている。「わあ……」と感嘆の声をあげて、きれいだ、おいしそう、いただいてしまっていいのだろうか、というか、どっちにしよう、迷う……! などと考え込んでいる間に、由美子さんはあっという間に紅茶の準備を終えて、良い香り(この場合は紅茶の香りのこと)をさせながら戻ってきた。
「決まった?」
「じゃ、じゃあ……フルーツタルトがいいです」
「いいわね。取り分けたげる」
「ありがとうございます……」
 き、綺麗なお姉さんと二人っきり……。膝に揃えた手をもじもじと動かして、これは私は悪くないと思う、由美子さんなんだもん、などと自分に釈明を試みている。
 ティーカップに紅茶を入れてもらって、二人でいただきますを言い、一通り逡巡してから、おそるおそるフルーツの区切れ目のところにフォークを入れた。
「わ、美味しい」
「これは……すごいですね」
 フルーツの爽やかな酸味の後に、甘味とバターやクリームの香りが駆け抜けていく……。後味の上品さといい、フルーツ自体のとんでもない美味しさといい、ちょっといいとこ、の「ちょっと」は、私のような庶民にとってもちょっとなのか、怪しいところだと思う。「本当に私でよかったんですか?」と聞いたら、「晴ちゃんがよかったの」と、またにっこりされる。
「う、うれしいです。ありがとうございます」
「どういたしまして。ああそうだ、さっき会った時、何か悩んでるみたいだったけど、どうしたの?」
 そんなに分かりやすかっただろうか? しかし今の私の悩みを由美子さんに相談できるのは、正直かなりありがたいかもしれない。私は思い切って、「あの、もうすぐ……周助さんの誕生日じゃないですか」と話し始めた。
「そうね」
「それで、誕生日のお祝いをどうしようかって考えてたんですけど、なんか、何をやっても喜んでくれそうで……。そうなると、逆に何をプレゼントすればいいのか分からなくて、困ってたんです」
 ああ、と由美子さんはため息混じりに頷いた。
「ホント……めんどくさいわよね、周助って」
「め……、」
 すごい言い方されてますよ、先輩……。実の姉ゆえの容赦ない言い方に、私は苦笑した。
「趣味とかも私が手出していい感じじゃなさそうだし、かと言ってそれ以外だと無難だなあと思って、どうしたものかと」
「そうねえ。ま、別に趣味のものでもいいと思うわよ。っていうと、また選択肢が広まって大変か」
 上品に口元に手をやって考え込む由美子さんの仕草が先輩とそっくりなことに気づいて、私はまたひそかにどきどきした。
「もう、こんなに真剣に考えてくれるかわいい彼女がいるんだから、それでいいってことにならない? もったいないわよ、何しても喜ぶやつにお金と時間使うの。あいつ、多分晴ちゃんがあげるものなら、ペットボトルのフタとかだって大喜びするわよ」
「そ、そういうわけには!」
「ふふ、冗談。でも一応、周助にもそれとなく、今欲しいものがないか聞いておく? あんまり期待はしないでほしいんだけど」
「そうしていただけるとありがたいです」
 でもやっぱり、実のお姉さんからもそう見えてるんだ。先輩は何をあげても喜ぶ……。私があげたものなら。心の中で繰り返して、頭を抱えたくなるような、照れ臭いような気持ちになる。
 「じゃあ、また連絡するわね」そう言って、由美子さんはケーキを一口食べた。それにつられて、私も一口、フォークを口に運ぶ。美味しいケーキ、美味しい紅茶、すてきなお姉さん。夢みたいだった。
 ——その後は、一般的な女子トークに花を咲かせたと言える。私が由美子さんの紅茶を褒め称えたり、お洋服を素敵ですと言ってみたり、それで満面の笑みになった由美子さんが、今度占ってあげましょうか、と言い出したり……。
 そんなこんなでケーキを食べ終え、紅茶を飲みつつそろそろお開きかな、という気配が漂ってきた頃に、玄関のドアが開く音がした。「ただいま」の声からして、帰ってきたのは一人ではなさそうだ。
「裕太、ボクが荷物置いてきてあげようか」
「いいよ別に……」
「そう? 残念だな」
「なにがだよ」
 リビングの扉が開いて、不二先輩と裕太さんが入ってくる。二人してラケットバッグを持っているので、座ったまま見上げるとなんだか体積がすごい。
「晴ちゃん。やっぱり来てたんだ」
「はい、帰り道で由美子さんにばったり会って……」
「あっ、姉貴……ケーキ食べたのか?」
「本当だ。ねえ姉さん、ボクたちの分は?」
「女子会だから二人の分はありませーん」
「ちぇ、なんだよ」
「晴ちゃんに会わなかったらどうするつもりだったの?」
「まあ、最初は独り占めするつもりだったけど」
「太るよ、姉さん」
「うるさいわね……。食べても太らない人たちに言われたくありません」
 会話の流れが一気に速くなって、うまく口が挟めなくなる。由美子さんは、不二先輩のじとっとした目と、ケーキが食べられないことがわかった裕太さんが口を尖らせているのを無視して、「でも、晴ちゃんとお話できてよかったわ。おかげでケーキもすっごく美味しく感じたし」と私に向かって微笑んできた。
 由美子さんの言い方になんだか嬉しくなってしまって、えへ、とちょっとだらしない笑みを浮かべている。「ね」といたずらっぽく首を傾げられて、はにかむのが止められない。「は、はい。私も嬉しかったです」
 不二先輩はそんな私のことをじっと見つめた後に、もしかして、と言い出した。
「晴ちゃんって、ボクより由美子姉さんの方が好きなの?」
「そ……、! !?」
 思ってもみない言葉に、どきりと心臓が危うい鼓動を打つ。
 慌てて先輩の顔を見たら、分かりやすく拗ねた顔だったので安心した。「そんな、」途中まで言って、由美子さんと裕太さんが何とも言えない生暖かい視線をこっちにやっていることに気づき、何と言えばいいか分からなくなる。
「冗談だよ」
 先輩は笑って、「晴ちゃんの真面目なところ、ボクはかわいくて好きだけど、時々心配になるな」と首を軽く左右に振る。
「あの、というか、そろそろおいとましますので……」
「そうだね。外、もう暗かったし」
「周助、送って行きなさいよ」
 むっとしたような顔で「言われなくてもそうするつもりだったけど」と返し、先輩は少しだけ性急さを感じさせる声音で「行こう、晴ちゃん」と私の手を引いた。
「晴ちゃん、またいつでも来てね」
「はい!」
 おじゃましました、と言い残し、先輩に手を引かれて玄関を出る。暖かい部屋の中にいたから、夕暮れのちょっと寒い風が新鮮に感じられた。
「先輩、怒ってますか?」
「ううん? ただ、由美子姉さん相手だと収拾がつかなくなるから……早く二人きりになりたくて」
 本気なのか冗談なのか判別がつかなくて、しかもちょっと照れるようなことを言われてしまった。どう答えればよいかわからずに押し黙っていると、不二先輩は「これは本気だよ」とくすりと笑みをこぼす。
「……あの、不二先輩」
「うん?」
「誕生日……、の、ある週の日曜日って、空いてますか」
「実はね、キミのために空けておいたんだ。会ってくれるの?」
「そ、そうなんですね。はい。もしよかったら……」
「もちろん。嬉しいな、もう誕生日プレゼントをもらった気分だよ」
 今回は、ちゃんと先輩が本気なのが分かる。私は内心焦って、「ちゃんと何か考えますから、まだ満足しないでください」と先輩のコートに体当たりした。

   ◇ ◇ ◇

 不二先輩の誕生日は平日だから、きっと学校のお友達に祝われたりで色々と忙しいだろう。それに、私は週末に会えるのだから、当日に時間をとらせてしまうのも申し訳ない。まあ、そもそも先輩は今年から高等部なので、そこまで気軽に会いに行けるわけではないのだけど。
 とにかく、そのようなことを思って日曜まで会わないつもりでいたのに、なんと先輩は誕生日当日に、わざわざ私が家を出る時間に玄関まで迎えにきた。インターホンが鳴り、慌ててドアを開けると、制服姿の不二先輩が「おはよう」と立っている。
「あ……、朝練とかないんですか?」
 普段なかなかないことなので、うっかり第一声がこれになってしまった。私が後悔していると、「今日は休み。家族の次にキミに会いたかったから、来ちゃった」と手をそっと握られた。思わず「うわあ!」と声が出る。これで第二声だ。先輩に情けない声をからかわれないうちに、「いや、あの、お誕生日おめでとうございます!」と第三声でやっと本来言いたかったことを言った。
「ふふ、ありがとう。ボクもついに四歳になったよ」
「閏年ジョークだ……」
「とりあえず言ってみたくて」
 ねえ、一緒に学校まで行こう。そう微笑まれたので、私は素直に「はい」と頷いた。それから、今のうちに話したいことを話そうと思って、口を開く。
「あの、先輩。日曜のことなんですけど」
「うん」
「先輩がしたいこと、全部付き合う日にしようと思ってて……」
 冬の朝日に照らされた先輩は、私のことをまじまじと見つめた。白い息とともに、「えっと……それはどういう?」と聞かれる。
「ええと、たとえば、先輩って……たぶん……。わ、私のこと、すごく好きじゃないですか」
「う……うん。その通りだね。それで?」
 二人して頬を赤くしながら話す。
 というか、先輩まで顔が赤い。話を続けるために、それを一旦朝の冷たい空気のせいだということにしておいて、私は前を向いた。
「でも、私、すぐ照れて固まっちゃうから……、先輩は優しいから、私のために、こう、色々我慢してくれてるんじゃないかと思って……。だから、日曜日は、先輩のしたいこと、私に気を遣って我慢しないでほしいんです。それがプレゼント、みたいな……」
 言いながら、なんだこれ、と自分で恥ずかしくなる。
 頑張って考えた結果がこれだったので……そして由美子さんからの情報も、やっぱり欲しいものが特にないらしいということだったので、もう、これが一番特別なんじゃないかと思って……。
 少なくとも、私が最初思っていた「せっかくだから普段できないことをやりたい」という意味では大正解ではある。あるのだが、やはり本人を前にすると、とんちんかんなことを言っているような気がしてならない。
 私は眉を下げ、目を細めながら、隣の先輩の様子をおそるおそる伺った。先輩は少しの間、私と目を合わせたまま瞬きを数回して、それから「ボクは嬉しいけど、無理してない?」と、優しい声で聞いてくる。
「無理っていうか……、多少の無理は承知です。せっかくなので、無理したい……みたいな感じです」
「ずっとこの距離で歩くよ?」
 先輩はぐっと顔を近づけて囁いた。
「それはまあ……、はい」
「写真もいっぱい撮るよ?」
「……先輩が撮りたいと思ったらいつでも撮っていいです」
「嬉しくなって、キスしちゃうかも」
「う……、それは、日曜日までに覚悟しておきます」
 先輩はまだ気遣わしげな視線を送ってくる。本日の主役なのに!
「ちゃんと、その、私は先輩が一番好きなので」
 やけくそで手を強く握る。
「もしかして、この間のこと本気にした?」
「そういうわけでは……」
 本気じゃないってわかってたけど、でも、せっかくだから、こういう時じゃないと言えないから、ちゃんと言っておきたくて。
 頭の中で並べ立てて、これって結局本気にしてるのかもしれないな、と気づいた。
「いや、そうですね。本気にしました。あれはかなりどきっとしたので」
 先輩が珍しく呆気に取られている。私はにやけるように口角を上げた。
「ちょっと反省して……。まじめにプレゼントをやることにしたんです」
「あはは! ……うん、ありがとう。素敵なプレゼントだね。ボクにはもったいないくらいだよ」
「待って、まだあるので、ちゃんとしたプレゼントも別にあるので、まだ満足しないで!」
「嬉しすぎて、授業が手につかないかも。当日までもつかなあ」
 にっこりと笑って歩く先輩の横顔があまりに嬉しそうだったので、私は慌てて「授業はちゃんと受けてください!」とつないだ手をぶんぶんと揺さぶってみた。





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