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 梅雨の間の晴れ間は貴重だ。久しぶりに見た気すらする太陽に目を細めて、私は今日も自主練に励む。この曲を練習し始めて最初の合奏まであと少しだから、今のうちに一通り吹けるようになっておきたいところだ。
 ホワイトボードを確認すると、いつもの練習内容と教室の脇に、「金管は外使ってオッケーです!」と書かれていた。外……というのは本校舎と体育館の間の通路のことで、通る人が少ないことからよく練習場所として解放されているのだ。春秋はわりと人気の場所だが、今日はさんさんと照りつける太陽にみんな気が引けたのか独り占めできた。

 譜面台をがたがたと音をさせながら持ってきて、楽譜を風で飛ばないようにチューナーで抑える。中々滑らかに吹けるようにならないフレーズが2つほどあるから、そこを克服しなくては。メトロノームのテンポをゆっくりめに設定して、それから少しづつ速くして慣れていけばなんとかなるだろうか。
 正直何度も同じところを吹くのは好きではない。上手くいくならともかく、上手くいっていないのだから尚更だ。それでも繰り返していると少しずつテンポを上げられるようになってきて、あともう一踏ん張りというところまで吹けるようになった。体温でぬるくなったマウスピースから口を離して、少し深呼吸をする。あともう少し、頑張ろう。そう意気込んでいると、誰かが私に声をかけてきた。

「あ、おつかれ〜」

 振り返るとそこには動きやすそうなTシャツ姿の男子生徒が立っている。この感じは運動部の先輩だろうか。それにしてもなぜ声をかけてきたのだろう、ひとりで練習していたから目立ったのかな。私がそう考えていると、目の前の男子生徒は少し不思議そうな顔をして続けた。

「あれ、この間会ったよね?」
「会って……?」

 しばらく思考を巡らすも心当たりが浮かばない。私は委員会にも所属していないし、吹奏楽部以外の先輩と話す機会なんてそうないから、この先輩のことも会ったなら覚えていると思うんだけど。

「会った……っていうか、目が合った?ホラ、教室から俺のこと見てたでしょ」

 そこでやっと気がついた。彼こそあの時のバレーボール部員だ。忘れていてくれなかったのか……。今となっては軽率な自らの行いを悔いるばかりである。

「あの、ハイ、そうです……」
「やっぱり!よかった、反応薄いから間違えたのかと思った」
「ハイ、スミマセン……」

 なんというか気まずい。返答がしどろもどろを通り越してロボットのようになる私に男子生徒は「なんでそんなしどろもどろなの」と笑う。

「いえ、あの、なんというか……あの時はすごくばっちりと目が合ってしまったので……」
「ああ、そのこと?確かにちょっとびっくりしたけど。あの時も固まってたよね……ええと、何ちゃん?」
「満谷です……」
「満谷ちゃんはなんであの時こっち見てたの?」

 別に俺目当てってわけじゃないんでしょ?と冗談交じりに聞かれてぶんぶんと首を縦に振る。これ以上変な勘違いまでされるわけにはいかない。焦りながらも必死の弁明を試みる。

「いえ、あの、練習場所から体育館がよく見えるので……なんとなく、ですかね………」
「ふーん」

 答えたはいいものの相手は最初から私が何か目的を持って体育館を見ていたとは思っていなかったらしい。まあそうだよね〜となんとも気の抜ける返事を返してきた。

「いや、最初は俺のこと好きなのかな?って思ったけど、今日の様子見てたら違うっぽいし。だって満谷ちゃん、そもそも俺の名前も知らないでしょ」
「はあ、まあ、そうですね……」

 誤解されなかったことにほっと胸をなでおろす。わりとあからさまな私の様子に男子生徒は笑った。

「俺、及川徹。知ってると思うけどバレーボール部所属だよ」
「及川先輩……。あの、重ね重ねにはなりますがこの前は申し訳ありませんでした……」
「いいよ。満谷ちゃんの反応けっこう面白かったし」

 じゃあね、練習頑張って〜!と言い残し、及川先輩はあの時のようにひらひらと手を振って行ってしまった。私はそれを呆然としながら見送って、しばらくすると気が抜けてはあ、と大きなため息が出る。
 大変な目に遭った……。しかも名前まで覚えられてしまった。いや、本人は特に気にしてなさそうだったしまだよかったかも。

 無理やり思考をポジティブに切り替えて、のろのろと持ったままだったトロンボーンを構え直した。

 部活の時間はまだ続く。