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「満谷ちゃんさあ、もうだいぶ俺のこと好きでしょ」

 及川先輩は牛乳パンの袋を開けながらおもむろにそう言った。いつもの教室、2人で昼ごはんを食べるのにも慣れてきた頃に落とされた爆弾である。私はあまりのことに箸でつまんだ卵焼きをぼとりと取り落としてしまった。

「……!?いや、え!?それは……!さすがに毎日いっしょにご飯食べてるし……仕方ないんじゃないかと思いますが!」
「へえ?」

 先輩は目を細めた。微笑むというよりむしろ得意になっている感じの表情だ。

「でも好きなのは否定しないんだ?」
「ぐっ……!?」

 先輩は完全に今の状況を楽しんでいるようでーーその上、流れでものすごい墓穴を掘ってしまった。こうなった時はどう言い返しても反撃が待っているだろうことは分かっていた。万事休すだ。……一体私にこの先輩に口で勝てる日は来るのだろうか……。謎のうめき声を上げたまま固まった私を、先輩はなおも面白そうに眺め続ける。

「あ〜あ。ホントに満谷ちゃんて…………自分で気づいてないだけで絶対モテてたって……」
「いや……そんなことは無いと思いますが……」

正直色々突っ込みたいところはあったが、このまま理由を聞いたらまた墓穴を掘りそうだったのでやめておく。

「ふ〜ん?でも諸々は置いておくにせよ、俺と話すのは慣れたでしょ?」
「それは……そうですね」

 元々人と話すのが得意なタイプではないことに加え、男の先輩ーーさらにコミュ力高め女子からモテモテの、という形容がつく及川先輩と対峙するのは私にとって中々のプレッシャーで、しばらくの間は緊張が解けなかった。そんなはじめの頃と比べたら、今は格段に進歩していると言えるだろう。

「まあいいことだし、俺も嬉しいんだけど。それはそれでつまんないんだよね。俺としては今は経過地点な訳だし、常にこう……刺激を与えていかないとさ」
「…………」
「じゃあ……うーん、そうだなあ」

 露骨な前置きに嫌な予感がして沈黙を貫いたが、先輩にはあまり効果は無かったらしい。せめてもの抵抗として先輩から目を逸らし、席から近い教室の窓のサッシを全力で眺めているにも関わらず、先輩が今最高にニヤニヤしているであろうことが声で分かってしまった。


「じゃあ……ハルちゃん」

 う、だかえ、だか、ともかくそんな声が漏れた。思わず逸らしていた顔を先輩の方に向ける。そのままニヤニヤしていればいいものを、先輩は何か愛おしいものを見るような笑みを浮かべて私を見ていたので、ますます何も言えなくなってしまった。

「ーーって、呼んでいい?」

 ていうか呼ぶね?そんなわけだから、明日から覚悟しておくこと。

 先輩が矢継ぎ早のセリフを言い終わるやいなや、ものすごくタイミングよく(悪く?)昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。先輩は「じゃ、そういうことで」と立ち上がって、最後に私の顔を確認して笑みを深くすると、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で教室を後にしてしまった。

 ……これから自分のクラスに戻って、授業の準備をしなければならないのに、頭の混乱が引いてくれない。「ハルちゃん……」とひとり呟いて、少しだけ、及川先輩のフルネームが及川徹であることを意識した。具体的な想像(妄想とも言う)に至る前にはっと我に帰り、何を考えているんだと熱くなった顔を手でぱたぱたと扇いだ。