−−…プールバー『ブルーパロット』
寺井黄之助が経営するこのバーでは、実佳の学生時代の友人である福井柚嬉がバーテンダーとして働いている。
ダーツやビリヤードに興じるために若者も多く集うこのバーは、隠れ家というよりも洒落た大衆酒場と表現したほうがしっくりとくる。
高校時代の友人の結婚式に出席した実佳は、二次会を終えたその足で久しぶりにこのバーに立ち寄った。
素面とまではいかないが幾分かスッキリしている頭は、まだ飲み足りないという信号を送っている。
もう少しアルコールをいれてから帰ろう
と、最寄駅に着いたときに思いついたのが、帰り道にあるこのバーだった。
今の実佳は、アレンジした髪を纏め、シックな濃紺のドレスに身を包んでいる。明らかによそ行きなドレスコードに引き出物ももれなく持っているため、実佳が結婚式帰りであろうことはすぐに察しがつく。
左手の薬指を囲むリングなんて無い。着飾った女が一人寂しくバーで酒を煽っていれば、周りはさぞ哀れな眼差しで実佳を見るだろう。
そんな考えは浮かんだものの、店に立ち寄ることへの躊躇いが生まれたかと言えば、そうでもない。
実佳は元来そんなものを気にする質でもないし、どちらかというとこの状況を少し楽しんでさえいる。
それは幸せを掴んだ友人の晴れ姿を見て確かに祝福の念が生まれたこともあるが、単純に、久しぶりにオシャレに着飾り、気分が高揚して浮き足立っているせいなのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
ドアをくぐりカウンターに向かうと見知った壮年のバーテンダーが実佳に声をかけた。
こちらに気づく気配がない様子を見て、実佳はにやりと悪戯っ子のような笑みを零した。
「お久しぶりです。大畑さん」
大畑と呼ばれたバーテンダーは、久しぶりという言葉と自分の名前を呼ばれたことに不思議そうな表情を浮かべる。
しかし、数秒の後「あぁ」と納得がいったかのように頷くと、人の好い笑みを浮かべた。
「貴女でしたか。素敵な装いですね」
「ありがとうございます」
「今日はなにか特別なことでも?」
「はい。友人の結婚式に」
「それは、おめでとうございます」
にこやかな笑みを浮かべ、
平日の夕方過ぎということもあり、店内の客はまだ疎らだ。
「すみません。福井は今日休みで」
「お構いなく。今日はただ呑みたい気分だっただけなので」
「何を召し上がりますか」
「モヒートをお願いします」
「かしこまりました」
今日の主役であった友人のドレス姿を思い浮かべる。
眩しいほどの白いベールを全身に纏い、父親と腕を組んでバージンロードを歩く姿はだれもが息を呑むほど美しかった。新郎はとても優しそうな人で、きっと彼女を幸せにしてくれる。
結婚か−−…。
幸せそうな姿に羨望の念は抱いたが、すぐに結婚したいかと問われれば、そういう訳でもない。流れに身を任せ、この人が良いと思えるような素敵な人に出会えれば、したいと思うのかもしれない。
ふわふわした考えで人生を歩んでいたら、既に20代も後半に突入していた。
結婚は墓場だとよく聞くが、そんな結婚をするくらいなら独身でいた方がマシだと思ってしまう。
結婚するなら工藤夫妻のように仲睦まじく、羨むような家庭を築きたい。
「隣、いいですか?」
声をかけてきたのは好青年
「どうぞ?」
「
「そうですね…。では、ブルームーンを」
私の注文を聞いたバーテンダーは僅かに瞠目し、肩をすくめ苦笑を漏らしながらカウンター内に戻って行った。
「ブルームーンか…。美しい色のカクテルだね」
本当にここは日本なのだろうか。私が出会ってきた中でも気障なセリフを
適当に相槌をうち、曖昧に微笑んでは口説き台詞を躱していく実佳の脳内では、どのようにこの場を切り抜けようか思考が巡っていた。
知人の店の大事な客を無碍に扱う訳にもいかない。かと言って、誘いに乗る気もさらさらない。考えあぐねていると、さらに肩をつめられ耳元で囁かれる。
見かねたバーテンダーが「お客様」と声をかけようとした時、まったく違う方向から別の男の声が聞こえてきた。
「”できない相談”」
言葉を発したのは、実佳を挟んで優男とは反対側に二席空けて座っていたニット帽を被った男だった。
おそらく自分たちに投げかけられたらしいその言葉に、優男は眉根を寄せて意味が分からないとでも言うように笑った。
「なんだって?」
「ブルームーンの酒言葉だ。誘いを断るときに使われることがある、定番のカクテルの一つだよ」
残念だったな。
此方をちらりと見やり、言い放った男は特徴的な目を持っていた。翡翠色の瞳はただ見つめているだけなのにどこか鋭い。
突然口を挟んできた名も知らない男に、私の意図と返事を告げられた男は、一瞬呆けるた悔しさが羞恥からか、顔を真っ赤にして紙幣を置いて店を出ていった。
「ありがとうございました」
「気にするな。俺も穏やかに呑んでいたかっただけだ」
「だが、ブルームーンには「完全なる愛」という意味もあると聞く。捉え方は人によるが、今後は気をつけるんだな」
「えぇ、そうします」
「お酒、詳しいんですね。過去にも?」
「まさか。ただの酒好きさ」
「それに、俺はそんな誘い方ができるほど器用じゃあない」
「へぇ…意外です」
「煙草を吸っても?」
「どうぞ」
ポケットから取り出した箱から煙草を一本取り出し、マッチで火をつけ煙を燻らせる。流れるようなその動作を、横目でぼんやりと眺めていればある一点に目が留まった。
まるで芸術品のような、この世に二つと無いだろう無骨な手に実佳の目は釘付けになる。
素敵な手…
「また、此処に来ますか」
「…さぁな。もしかしたら、もっと違う場所で会うことになるかもしれん」
あの手とももうお別れか…と思うと惜しい気もしたが、まさか写真を撮らせてくださいなどと言えるはずもなく。さすがにそこまで無礼ではない。
些細な面倒ごとはあったが、総じて非常に良い日だった。
明日は−−…13日の金曜日か。
日本でも縁起の悪いとされる日付け。明日は大人しく家に引き籠もるとしよう。
古びたアパートへの道を辿った。
*
『少し変わってるけど、頭はそれなりに良いし、"腕"は本物だよ」
『ホー…。ボウヤのお墨付きというわけか。だが、この計画には相応の危険も伴う。一般人はあまり関わらせたくはないな』
『でも…』
『しかし、キミが一目置くその彼女には興味ある。…信頼に足る人物かどうかは、自分の目で確かめさせてもらおう。』
なるほど。さすがは世界的有名理小説家、工藤優作氏と同じ血筋を引いているだけはある。なかなか面白い女性だった。
「あぁ、先ほど会ってきた。ボウヤの言う通り、なかなか女性のようだな」
『じゃあ…」
「だが、残念ながら不合格だ。これから世話になる”有紀子さん”には負担をかけてしまうことになるが………−−彼女はこの一件には関わらせない」
もう、関係のない一般人を巻き込み地獄へ道連れにするのは御免なんだ。
(備考)
・プールバー…ビリヤードのあるバー。
・ブルーパロット…まじっく快斗でもお馴染みのバー。81巻「探偵はBARで〜」シリーズに登場。作者曰く、両店は同一であるとのこと。
・寺井黄之助…怪盗キッドお付きのあの人。バーの経営者。作中の登場は未定。
・福井柚嬉…81巻「探偵はBAR〜」シリーズに登場。ブルーパロットで働く26才のバーテンダー。今作品では、中学時代からの友人という設定。