実家かヨシフか。私にかかってくる電話なんてほぼこの二択である。だから、ろくに確認もせず出てしまったのだ。
いや、確認したところで非通知でもない限りはさして深く考えずに出ていた気がする。ド田舎もんのリスク管理意識なんてそんなもんだ。

「はい、もしもしー」
『あっはい、あのー……これ、島崎さんの連絡先であってますか……?』
「なんて?」
『や、し、島崎さんの……』

ヨシフの声よりもいくらか低い、知らない男性の声だった。
いや、そんなことより。ただの間違い電話にしてはピンポイントで聞き捨てならない名前が入っていた。それに尋ね方も妙だし、自信なさげだし。

「そんなわけないよ!」
『ちがうんですか!?』

この意味不明なシチュエーション、作り出せるのはこの世にただ一人しか存在しない。そもそも何で私のケー番が教えてもいない相手から外部へ流出してるんだよ。
リスク管理意識に乏しいとは言ったが、流石にあんな不審人物にへらへらと番号を教えるほど低くはない。いくら見た目がめちゃくちゃにタイプだったとしてもだ、絶対に連絡先を渡したくない人間としての「ライン」というものがある。

「あのお、あなたはいったいどうやってこの番号を……」
『……ハッ、い、いいいや俺は決して怪しい者ではなく! 職にも就いてるし! 必要だったらここに電話しろって……!』

職にも就いてるし。就業の事実をある程度の身分証明として用いようとする感覚は、少なくとも島崎よりかは私寄りである。
ということは、奴と組んで悪ノリしてる的なDQN仕草ではなさそうだ。いくらか警戒心のハードルが下がる。

『島崎さんの携帯じゃないのは分かったけど、連絡は取れ……るんです、よね……?』
「誰が?」
『あ、あなたが』
「取れませんが」
『なんで!?』
「な、なんで!?」

まったくと言っていいほど会話が進まない。状況が理解しきれていないのは向こうも同じらしかった。
ひとまず電話をかけてみれば謎は解けるだろうみたいな、そういう考えだったようだ。アイツわざと足りない説明してきそうだもんな。ちょっと電話向こうの彼に同情してしまう。
そんなことを考えつつ、双方とも次に発する台詞を思いつけないまま十数秒が経とうとした、その時だった。

「──キミ、さっき何か失礼なこと考えたでしょう」
「出ッッ!!」
『!?』

背後から聞き慣れたくなかった声が聞こえてきて、そのまま流れるように携帯を奪われた。

「すみませんね芹沢くん。少々遅れました」
「!??」
『あ、し、島崎さん』

99%確信していたことではあるが、やっぱり全部お前のせいかよ。
ガンを垂れていると島崎は私に背を向けて、おまけにしっしと追い払うように手を振ってきた。不法侵入してる人間がやるなそんなジェスチャー。
第三者が存在する手前なかなか普段のように食ってはかかれず、渋々ながらも大人しく島崎と「セリザワくん」と呼ばれた見えない彼の会話が切れるのを待った。

「ええ、構いませんよ。それではまた」

通話を終えてこちらを振り返ってきた島崎に、謝罪などをしてきそうな様子は微塵もない。
もういいかと溜めに溜めたお気持ちを表明してやろうとしたら、絶妙に一瞬早いタイミングで向こうの方が先に言葉を発してきた。本当に性格の悪い男である。

「今、出られる格好ですか?」
「何でそんなこと……」

答えなきゃいけないんだ。と、言い切る前に左肩が沈んだ。掴まれた肩をそのまま前に引かれてぐっと距離が縮まる。

「──はいか、いいえ」
「ハイッ!」

瞬間的にではあるが一般人には絶対向けてはいけない類のとんでもないプレッシャーをかけられた。覇気か? 軍隊みたいな返事をしてしまったじゃん。

「では外に」

簡潔にそれだけ言って島崎は姿を消した。
なんかもう普通にお上に報告していい気がしてきたな。更生の見込み無し、依然として危険人物、と。

「……あっ!」

そういえば携帯を返されていない。となると、どこへ個人情報を売られるか分かったもんじゃないので無視するわけにもいかない。そろそろ極まってきた私の反抗心をもしっかりと計算に入れている行動だった。

「ちょっと島崎さんあなたねえ!」
「失礼、」
「え?」

今度こそとずかずか歩み寄っていったのだが、文句の一つもぶつけてやる前に再び遮られた。
手が私の腕に触れて、幾日ぶりかの不思議な感覚に襲われる。「失礼」ってお前今のところ私に対する言動全てが失礼だろうが。


「どうも、待たせましたね」
「うわっ!? ……あ、島崎さん」

飛ばされた先で、さっきまで電話越しに聞いていた声が直接耳に入ってくる。
「セリザワくん」と呼ばれていた電話の彼と目が合った。少し戸惑っている様子で、やはり彼も完全に事態を理解している訳ではなさそうだ。
というか、二人はいったい何繋がりの知り合いなんだろう。見た目からしても正反対のタイプっぽいし。
人の良さそうなこの男性がかつて……というか、少し前にヨシフを傘で吹っ飛ばした厄介な超能力者その人だなんてまさか夢にも思っていない私は、ますます島崎亮という人間への謎を深めるのであった。

「さっきはどうも……」
「い、いや、こちらこそ突然すいません……」

へこへことお互いなんとも言えない感情で頭を下げ合っているのを、元凶はいつもの笑顔で聞いていた。反省とか謝罪とか、そういう気持ちはやはり無いらしい。持ってないのかもしれない。

「では、私はここで待ってるんで」
「うん?」
「え、島崎さんは来ないんですか」
「そのために連れてきたんですよ、これ」

再び事情の分からない展開が始まった。ここで説明を求めたところでちゃんとした言葉は返ってこなそうなので、口を挟みたい気持ちはぐっと堪える。何だか人として軽んじられている呼称が聞こえた気もするが。

「ね、なまえさん」
「なっ、なんで名前なのさ」
「キミのセンパイがそう呼んでいたので。じゃあ聞きますが、名字は何と?」
「いま!?」

セリザワさんまでぎょっとしてるじゃないか。こいつらどういう関係? みたいな。それはこちらも同じ気持ちだけども。
フルネームを知られることに抵抗が無いわけではないものの、このまま名前で呼ばれ続ける方が精神衛生上よろしくない。仕方なく名字もお伝えすることにした。

「みょうじです。みょうじなまえ……」
「島崎亮です」
「エ? 存じ上げてますが」
「ファンの方ですか?」
「顔ファンではあるわな」

脳直で言葉を返した後に、困った表情のセリザワさんと目が合って我に返った。やばい、島崎亮と同タイプの話通じない奴だと思われてしまう。
咳払いを一つして、コイツが勝手にべらべら喋ってるだけで私は何も言ってませんが? という風を装った。セリザワさんの困り眉がますます下がってしまった。

「冗談です。ほら、行ってきてください」
「だから何も分かんないんだってば!」

その手ぶりは明らかにしっしっと私を追いやろうとするものだった。二度目である。せめて「行ってらっしゃい」くらいの愛想は取り繕えないわけ?
無駄に粘りやがって、と雄弁に語る顔で億劫そうに片眉を上げながら、島崎は顎でくっとセリザワさんを示した。

「彼に着いていけば大丈夫ですよ。ねえ?」
「い、いや……説明はした方が……」
「おや、面倒な自己判断力を身につけましたね」
「えっ」

ひどすぎだろ。この人たちがどんな関係なのかはマジでまったく分からないけど、それにしたってなんてチクチク言葉だ。他人を平気で迷惑に突っ込みながら面倒な自己判断をしまくっているのは自分自身だというのに。
セリザワさんに言いたいことだけを言って、島崎は会話の相手を私に戻した。

「みょうじさん。更生ですよ、更生」
「更生……? あ〜あの、前に言ってた」
「ええ、私に善行を積ませる目的があったでしょう? それさえ覚えていれば問題ありません」
「はあ」

なんかもうあのへんの話、嘘っぽすぎて適当に聞いてたからな。あんま覚えてないよ。
白けた目で島崎を見上げると、奴は無駄に綺麗に口角を上げてみせた。

「あまり詳しくは言えないんだ、キミのつく嘘は壊滅的だから」
「それ末端だけ捕まるタイプの詐欺じゃない!?」
「ハハハ、それではまた」

なにわろてんねん。新たな罪を重ねて更正を図ろうとするな。どういう計算なんだ。
……いや、そんなもの無いのか。誰に許されようが許されまいが、この男にとってはどっちでも、どうでもいいんだから。それっぽいことを適当に言っているけども、結局は私を使った新しい暇つぶしを思いついたという話に過ぎない。
自由人に取り残された私たちは、とりあえずもう一度へこっと頭を下げ合った。絵面がもう完全に被害者の会だった。

「ええと、その〜……みょうじ、さん?」
「そうです。あなたは……セリザワ、さんで合ってますか?」
「あ、ハイ。芹沢で……」

ハハ……と愛想笑いを浮かべつつ、彼にそれとなく探りを入れてみた。なぜ私はここに連れて来られる羽目になったのか、少なくとも島崎よりかはまともな説明をしてもらえるはず。
意図を察してくれたらしい芹沢さんは、ハッとした顔をしてすぐ近くのテナントビルを指した。

「とりあえず、着いてきてくれるかな。あそこが俺の職場だから」
「わ、かりました……?」

彼の仕事に関係していることだけが判明した。けど、それだと彼の職種すら知らない私に任せた意味がますます謎だ。芹沢さんも他人が間に挟まってくるなんて考えていなかったみたいだし。


「──で、彼女が代理人か?」

案内されて入った先に居たのは明るい髪色の男だった。「霊とか相談所」と銘打たれていた室内にその人以外の姿はない。

「や、なんというか……入り組んでて」
「入り組んでる?」

私たちを交互に見て彼は首を傾げた。ちょいちょいと芹沢さんを手招きして、何やらこそこそと言葉を交わしている。やはり島崎が私という異物を投入したせいで面倒なことになっているらしい。

「あー……俺たちはだな、悪霊を祓う……いわゆる除霊ってのが出来る奴を探してるんだが……」

かなり言葉を選んでいる感じだが、慎重になる気持ちも理解はできた。
もし私が超能力に縁遠いというか、実際目の当たりにしたことのない純然たる一般人だったとしたら、彼の言ってることを信じられたかどうかは分からないし。

「や、そういうことなら私じゃなく」
「この嬢ちゃんには出来ねーと思うぞ」
「っ、で!?」

真横から渋い声が割り込んできたせいで返事の言葉尻が汚い濁音に変わった。
恐る恐る隣を向くと、そこには何だかふよふよとした……緑色の、よく分からないものが浮いているではないか。

「えっ、な……ななっ、」
「ほら、可視化して初めて俺様が見えたっつーツラだろ」
「確かに、幽霊は見えなそうだな」

ビビり散らす私を余所に平然と会話が続けられていくので、悪いものではないようだ。なに? もしかしていちいち説明を求める私の理解力の方が足りてないのか?
私がテレポーターだったら何もかも投げ捨てて帰ってやれるのに……と何故か妙に有り得た気がする空想を追い払いつつ、さっきから飛び交っている除霊だの代理だのという単語の意味に思考を傾ける。
まあ、十中八九島崎のことでしょう。やってんの見たことないけど除霊くらいできんだろ。ぶっちゃけ祓われてほしい側の人間ではあるが、それはさておき。

「……私、ある人から代わりに行ってこいって言われてて。何で代理立ててんのかは知らないけど、あいつなら多分、除霊? も出来ると思うんです。一応すごい超能力者らしいし」
「あ、あいつ……」
「ん? あんた、もしかして超能力どうこうの話が通じるクチか?」
「あー、まぁ」

超能力の当事者であることは黙っておこう。なんとなくそう思った。
今はちょっと、たまたま手違いでね、エスパーとして働かされてるだけで、元々は力を全く活かさずに生きてたわけだし。私は彼らの求める「除霊」も出来ないのだから、代理人として関わるだけで十分だろう。

「……芹沢。その『一応すごい超能力者』のこと、信じていいんだな?」
「は……はい! たしか最強とか言われてた気がするし、よく分からないけど……」

誰に言わせてたんだよ。せめて自称でないことを祈るドン引きの私には、残念ながら島崎亮が実質世界で二番目をドヤ顔で名乗っていた男であることなど知る由もない。
ふうむ、と考え込みだした彼を見て、そういえばと手荷物を探った。使わないだろうと奥の方へほっぽっていたが、いやはや何がいつ役に立つかは分からない。

「あのですね」

一言挟んでみると、二人は揃ってこちらを振り向いた。

「直接の証明にはならないでしょうけど……私こういう者でして。あなたを騙すような意図が無いことはご理解頂ければ」
「何々……政府直轄……超能力、犯罪対策……!?」

濫用はするなよと念を押されながらヨシフに貰った、かなりちゃんとした身分証明書である。仰々しい肩書きの割に特別な権限とかは無いのであんまり振りかざせるものではない、とはいっても、だ。怪しい者ではないという保証くらいにはなるんじゃないか。
どうして島崎がここで除霊の手伝いをしようと考えたのかは知ったこっちゃないが、彼らも悪霊がどうこうと言っているし、これは社会貢献活動に属する善行と言っていいのでしょう、多分。
あの男のやることなすことほぼ全てに文句は言ってきたが、島崎亮が「善い人(の、外面)」になってくれるというのは、結局私にとっても望ましいことなのだ。


「……てわけで何とか話はまとまったけどさあ! ほんと今回はいつにも増して酷かったよ!」
「心外ですね。私は“いつも”酷いですか?」
「応ッ!」
「……」

無視すんな。
瓦礫に蹴っつまずくこと早数回。対して状況の最悪な足場をものともせず進んでいく島崎亮の長い脚、もとい背中を睨んだ。
現在地は放置されてそれなりの時間が経過していそうな廃ビルである。霊とか相談所を出るなりコイツは再び現れ、芹沢さんに何やら住所を聞いた後に問答無用で私ごとこの場所へ飛んだのだった。
コツコツと革靴が地を鳴らすペースは速い。まったく悪びれていない様子の島崎亮に苛立ちを募らせていると、不意に彼が足を止めた。

「──ああ、居ますね」
「……」
「キミ、ご自慢のそれで見えないんです?」
「見えないんです!」

私の目は見えるんだけど視えないというか、なんというか。
実在する物ならどんなに遠くにあっても捉えられるけど、幽霊のような存在を視認することは出来ないのだ。正直見えなくて良かったと思うが。
私をしっかり鼻で笑ってから、島崎は片手を宙にかざした。おお、なんかこういうの見るの初めてだ。
態度に終始思うところはあるものの好奇心には抗えず、少しワクワク感すら覚えながら除霊作業を見学、しようとしたのだが──ドガァァァン!!

「は?」
「終わりました」
「エ?」

彼のかざした手が一瞬光を帯びたように見えた次の瞬間、ビル全体がヤバい音を立てて一度だけ大きく揺れた。ちょ、直下型地震かと思った。
当の本人はけろっとした顔で事もなげに「帰ります」などと供述しており、や、いや、ちょっといまの、おかしいでしよ。

「あ、あああのさ、こ、こういうもんなの!?」
「何が」
「じょ、除霊がだよ」

首を傾げながら思案するように宙へ顔を向け、三拍ほど間が空いた後のこと。
島崎は、何故か半笑いでこう言った。

「さあ」
「さあ!?」
「知りませんよ、やったことないんで」
「しりませんよやったことないので!?」
「火力はあるに越したことないでしょう」

まさかの脳筋フレーズに私の表情筋はぎこちなく引きつった。
祓えたから別に問題ありませんよ、と島崎は方向転換をして横を通り過ぎていく。
こんなところに置き去りにされてはたまらない。慌てて黒い背中を追った。

「ええと……ちょっと手強かったとか、そういう感じ?」
「低級霊の部類かな」
「オーバーキルじゃん」

これだからノーマルは……みたいな思想が思いきり出ている顔で、島崎はやれやれと首を振った。

「出力の調整って面倒なんですよ。今ので私が誰かに迷惑をかけました? 倒壊させた訳でもないのに」
「強気がすぎるよ」

オーバーキルで合ってるじゃん、何で否定のムーヴ挟んだんだよ。
確かにこの間まで所属していた反社会的集団と、彼らが散々破壊しまくった街の惨状を考えれば、もしかすると多少は丸くなったのかもしれないけども。
相も変わらず瓦礫に足を攻撃されながら、奴に続いて外に出る。
眩しさに目を細めていると軽く肩に触れられ、その後に身体がふっと浮く感覚があった。帰りのテレポートを発動させたらしい。
あれ? 別に外に出なくたってビルの中からテレポート出来たよな。ルーラじゃないんだから天井の有無が関係する訳じゃあるまいし。
まさかこの男、私がふらつきながら後ろを着いてくる様子にウケていた?

「ねえ今のテレポート使うタイミングさ、」
「よかったですね」
「え?」

お前のどうでもいい話なんぞ聞く気はない。そんな意思を強く感じるぶった切り方である。
私に物申させる隙を与えずに、島崎は整った笑顔を傾けた。

「今日はセンパイに良い報告が出来そうで。私も嬉しいなあ」
「適当なこと言いすぎでしょ」

んな喜び方ができるような善良な感性は無い、だったら最初から協力的な態度を示すべき、というかそれが出来るならそもそも悪事に手を染めるはずない、等々。たったのワンフレーズに嘘を詰め込みすぎである。西尾維新の言葉遊びか?
そんなことないよ、とでも言いたげに薄っぺらく笑いながら、島崎はちょいちょいと脇のビルを指した。

「じゃあ、後はよろしく」
「は?」

無駄に爽やかに手を振って、無駄に端正な造形をした男は姿を消した。面倒なやり取りだけ巻き取ってもらおうとすんな。わたしゃ保護者か。
「霊とか相談所」の看板を見上げ、島崎にぶつけ損なったため息を吐き出す。
階段を上って再び相談所に戻ると、ここの主──たしか霊幻といったか──が、挨拶と労いを兼ねてか私に向かって片手を軽く上げてみせた。
芹沢さんは居ないようだ。誰の都合もつかなかったからこそ島崎にまで声がかかったのだし、当然か。

「結構早かったな、ご苦労さん。これからも助っ人は任せていいのか?」
「えっ。えっと……わからないですね」
「お、おう……」

ぽかん。霊幻さんの眉とまぶたが困惑によってわずかに持ち上がった。
だってしょうがないじゃん。代理人なんて良いように言ったけど、実際は単なる伝書鳩である。持たされているのは、除霊依頼に対して「はい」と言ってこい、という指令だけだ。
そもそも何で島崎の奴は、まるでこの霊幻さんに会うのがちょっと気まずい……みたいな態度をとるのか。あながちこの例えが間違っていないことも、つい先日島崎亮がいったい誰にボロ負けしたのかも知らず、私は内心で首を傾げた。

「まあ、でも……一度受けたってことは、そう考えていいんだと思います」

二度目はあるかという打診を予測できないはずは無く、その上で特に言伝を預けられなかった。であるならば、私はこう答える。
ここだけなら私が島崎の思惑を読んでやっているようにも感じられるが、あの男のことだ。どうせここまで織り込み済みだろう。
最低限の意志伝達で私を動かしているのだから向こうの方が何枚も上手だ。

「そう、か……んじゃ、また何かあったら連絡行くかもしれないが、よろしくな」
「私の携帯にか……」
「え?」
「なんでもないです」

システム構造に重大な問題があることは明らかだが、下手に島崎から連絡先を捻り出させようとして奴の「更正」のやる気が無くなってしまう方が困る。私がこの仕事から解放される道は現状これしか無いのだから。
肩を落として脱力しつつ、羽の開いたブラインドに目を向けた。そのままさり気なく“外”を見てみたものの、景色にはとんと見覚えがない。
どのへんだよここ。糸目への新たな怒りが蓄積された瞬間であった。

「あの、帰る前に最寄り駅の方向だけ聞いていいですか?」
「ん? あぁいや、そりゃ構わないけど……」

どうやって来たんだこいつ、という顔を一瞬された。どうって……誘拐だが?
とにもかくにも土地勘が無いことは察されたらしい。下手に路地裏などに入る近道ではなく、商店街をまっすぐ抜けるだけの分かりやすい道を教えてくれた。察しの良さをちゃんと善いことに使ってくれる人間性に、何故かいたく感動した。
一応私との窓口は芹沢さんに担当させるらしいが、念のためと最後に霊幻さんの名刺を受け取って事務所を出る。


「ああ、ここ駅の反対側なのか」

“仮”住まいの最寄りも相談所の最寄りも同じ調味駅。話を聞く限りだと駅までの距離はそう変わらないように思えたので、周りが全く知らない町並みであったことが不思議だったけど。そういう訳なら納得だ。

「──なあ」
「ぅわぁ!?」

一手遅れて口を手で塞いだ。周りに人が居なくて助かった。
おっかなびっくり振り返ると、先ほど一瞬だけ姿を見せた、あの……よく分からないけれども、緑色の何かが、浮いていた。

「嬢ちゃん、今何見て判断したんだ? 周りが見渡せるような視点じゃねーだろ」
「え、や、あー……っと……」

年季に裏打ちされた観察眼とお見受けする。いや、彼(?)のことは何一つ知らないけども、この声で歴戦の者じゃなかったら嘘すぎでしょ。
(私にとっては)イレギュラーな存在を前にしては遠見なんて霞んでしまうが、まあ、ご指摘はその通りである。
真正面に建っているのは今しがた出てきたばかりのテナントビル。私が見たのはその向こうだ。

「透視か何かか?」
「いや、ええと……いわゆる千里眼ってやつ……」

ビルを透過した訳ではなくて、視点をビルの上まで移動させただけ。密閉でもされてない限りは隙間から視覚をねじ込めるので、透視に限りなく近いことも出来なくはないが。あくまでも脇にそれた使い方になる。
めちゃくちゃ渋い声で喋るその緑色は、私の答えにぱちぱちと瞬きを返した。瞬き……目……なんだよな?

「またイロモノ持ってんなぁ!」
「メジャーな方では……?」
「名前だけはな。固有名がついてる割にはそう居ないもんだぜ」

そういやテレポートも希少な能力だっていつだか言ってたっけ。ヨシフが。
私意外とヨシフの話聞いてんだな……と最悪な感慨を覚えつつ、もう話は終了したものと思われたので商店街の方へと一歩踏み出す。しかし、ついてきた。

「その目、ここからどの辺りまで見えるんだ?」
「私の体調と集中力次第ですねえ。あと時間か」

この前みたいに場所によっては酔うし、あんまり飛ばしすぎても自分の居る場所分かんなくなってグラッとくるし、物理的な摂理として、目的地に目が届く時間はそこまでの距離に比例するし。
大したことないでしょ、と後ろを見たが、そこには何も浮いていなかった。

「……、どわ!」

妙に思いながらも前へ顔を戻すと視界いっぱいに緑の発光物が広がっていて、眩んだ目を押さえながら何歩か後ずさった。目に興味を示しているのならその目に優しい挙動をしていただきたい。

「超能力者だとかは識別できないことを加味しても、偵察能力としては一級品ってこった」
「はあ」

まあ、お国のお墨付きを得てしまってる訳だからそれなりの価値はあるんだろうけど。
その浮遊体はぐるりと顔を回り込んで、私が向いているのと同じ方角が望める位置についた。つまり、ちょうどあの不気味な巨大ブロッコリーが見える方である。

「例えばよ、あそこからだったらどこまで見える?」
「ええ?」

彼が選んだのは正にそのメガ緑黄色野菜だった。あんな普通には登れないであろう場所を仮定されても困るのだが。
いやでも、元は展望台が立っていたのだったか。だとすれば見晴らしは良いはずだから……

「市内くらいなら割と楽に見渡せる気がするなあ。遮蔽物無さそうだし」
「ほお〜? そうかそうか、なるほどな」

なんか余計なこと喋ってるか? わたし。彼の目がぎらりと光ったように見えて、思わず眉根を寄せた。
けれども千里眼を利用した悪事なんてものがイマイチ浮かばず、あくまでもそれは嫌な予感に留まる。
並の超能力者に千里眼がくっ付いてるならまだしも、私は目を除けばガチの一般人である。視界が共有できる訳でもないし、そこまで便利に使えるとは思えない。

「そう警戒すんなよ、俺様は別に野蛮なことを考えてる訳じゃないんだぜ?」

訝しみが露骨に顔に出ていたのか、緑のそれは身体から手を……伸ばして? 生やして? 私の肩をぽんと叩いた。不思議と実際に叩かれた感触がある。

「何なんだか知りませんけど、私いま自分の仕事以外やってる余裕無いので……」
「仕事だぁ? どんな事情がありゃあお嬢ちゃんみたいな一般人が“あんなの”と手組むことになるんだよ」
「あんなの」

ひくりと口角が引きつった。もしやこの人魂、島崎亮をご存知あり?
奴とぐだぐだ喋っていたのは事務所の真ん前だったので、関わり合っていることを把握されてることにはまあ、突っ込まないが。見られているのに気づいたところであの男もいちいち気に留めないだろうし。

「あいつがこの間まで何やってたか知ってんのか?」
「まあ、伝聞としては……アレが何もやらかさなきゃ私はここに連れてこられなかったし……」

どうやら知られ崎亮だったらしい。
あの男は……このあたりの事情を把握してる上で、霊とか相談所に近づいたのだろうか。流石に無いか、リスクがでかすぎる。
ん? でも、芹沢さんとは知り合いだったんだよな。それってつまり……どういうことだってばよ、サスケ。
もう少しで何か一つの真実にたどり着きそうな気もするが、鈍感夢主としての生来の性が邪魔をした。単純にさほど興味が無いからというのもあった。世界線が変わろうともそのへんは同じなようだ。
私の行き過ぎたメタ認知はさておき。島崎亮へのナメた感情が透けて見えてしまったのか、緑色の彼はにやりと笑った。

「お前さん、付け入る隙がありそうだな」
「えぇ〜?」

例えば在宅ワークが可能などの条件次第では……。良くも悪くも嘘が下手な私である、案外満更でもない声音になった。

「どうだ、あの神……ブロッコリーを拠点として」
「転職条件わりぃ〜〜」
「あぁん?」

絶対オンラインに対応してなさそうな職場環境。ちょっとまだ現職キープでお願いします。
私の態度の悪さが想像以上だったのか、心なしか幽体が萎んだように見えた。
いや、いやいや。気持ちの問題であるのも確かだが、ぶっちゃけ6割方はそうだが、とはいえ別にそれだけの理由で断ったわけではない。さすがにね。

「何やりたいのかは知らないけどさ。多分そこまで役に立たないよ、千里眼っていっても」

その場の音が聞こえる訳ではないし、出力にいち一般人でしかない私の主観が挟まる以上はギャップだって生じる。
正直、真面目に何かをやるつもりなら介在させるべきじゃないのだ、こんな半端な能力。
手を尽くした結果、こんなのに頼らざるを得なくなったのだろう公務員エスパーのヨシフは別として。

「他に誘いたい相手とかいないの? 超能力者の知り合いとかいるんでしょ」
「……」

なんだ、妙に気まずそうな顔をさせてしまったが。もしかして俺、何か穿っちゃいました?
沈黙を保ったままふよふよと浮かんでいるのを眺めていたら、人魂は何故か突然爆発した。

「誘いたいってダチと遊ぶガキじゃねえんだからよ! あくまでも声を掛けるのは俺様の綿密な計画上……」
「はあ」

この幽霊、思春期みたいなことを言い始めたな。まあ何にせよお前に言われるまでもないってことなんでしょう。実際そこまで突っ込んで話すような間柄ではないし。
よほど突っつかれたくない事項だったのか、彼からのダル絡みは人通りの多い商店街へ到着するまで続いた。
急に見えなくなったのは可視モード? とやらが解除されたからのようだ。最後にそう説明してくれる声だけが聞こえてきた。
言い方からして、居なくなったのではなく私の方から見えなくなったというだけらしいので、適当に駅前で時間を潰すことにした。仮住まいの場所をこれ以上訳の分からん存在に教えたくないからな。
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