ストーカー行為が本人にバレる、というとんでもないハプニングから気が付けば3ヶ月が経とうとしていた。
初めこそ五条さんを見かける度に挙動不審になっていたが、そんな私に反して五条さんはいつも通りで、まるで何事も無かったかのように日常を送っていた。
悪意すら感じないそれは、自分が存在しているのか不安になるほどだった。
ショックを受けなかったのかと言われれば嘘になる。
しかしあの日のことを言いふらすでも、高専を辞めさせるでもなく、自分に関わらなければ今まで通りで構わないと言ってくれた五条さんは優しいと思ったし、水に流してくれたことに感謝すらしていた。
そんな優しくて大好きな人が唯一私に願った最初で最後のこと。
それを叶えてあげるため、意識的に五条さんの存在を気にとめないよう努めた。
それからなるべく視界に入らないことも心掛けた。伊達に数年ストーカー紛いのことをしていた訳ではないので、五条さんが好んで休憩に使う場所や行動パターンは把握している。
以前は偶然を装って近くを通り掛かることもあったが、今は近寄らないよう気を使っている。
そのおかげか五条さんを見掛ける回数はぐんと減ったし、見掛けたとしても動揺することは無くなった。
何より仕事に打ち込むことで少しずつ暗い気持ちが薄れていったし、上司には有難い評価を頂いて、恋に現を抜かさないって最高だ、なんて思い始めていた。
今日だって明日までに終わらせれば良い書類の制作を既に終わらせたし、定時まであと30分はあるというのにやることが無い。
だからと言って誰かの仕事を手伝ってやるほど私は優しくない。
というより、久しぶりの定時帰宅チャンスを逃したくないのだ。今から手伝いを買って出てそのせいで残業なんて正直たまったもんじゃない。
こちとら、昨日も一昨日も4時間近く残業だったのだ。急な任務に駆り出されたせいなので仕方無いけれど、今日こそは定時に帰宅して家でゆっくり休みたいのだ。
そういう訳で、こうしてエクセルを開いたまま意味もなく液晶と睨めっこをしながらあれこれ考え事をして時間を潰しているのである。
しかし全くキーボードに触れず液晶を見ているだけというのはそろそろ不審に思われるかな、なんて思った時、背後からよく通る声が聞こえてきた。
「…さん、苗字さん!」
「あ、ご、ごめんなさい、ボーッとしてた」
「考え事中にすみません。これ伊地知さんに渡しておいてもらえないでしょうか」
「伊地知さん、あと1時間もすれば戻ってくる筈だけど…」
「私、今日このあと外せない予定があってどうしても早く上がりたいんです。…ダメですか?」
「…ううん。いいよ」
「ありがとうございますっ!じゃあよろしくお願いします!」
花が咲くような笑顔を見せた彼女は自身の腕に嵌められた華奢な腕時計を気にしている。
お先に失礼します!と元気よく声を掛けながら事務室を出ていく姿は誰が見ても浮かれていると分かるものだった。
彼女は今年の春から人手不足に喘ぐ東京校の応援として京都校から赴任してきた補助監督だ。
私よりひとつ年下で、よく笑う、そこに居るだけで場が明るくなるような子で、おまけに気は利くし顔も可愛いときたら、若い男性補助監督を中心に人気が爆発して、誰が彼女を射止めるのかと皆躍起になっていた。
そんな様子を横目で見ながら私は、常に死と隣合わせの仕事に就いているという自覚が足りないのでは、と冷めた感想を抱いていた。
だって、今日は僕とランチしましょう、今日の夜は暇ですか、なんてやっているのをほぼ毎日見せられていればこちらのやる気も削がれてしまうというものだ。
命懸けの仕事だからこそ、そんな息抜きや楽しみに飢えているということも充分に考えられる。
何より私自身つい数ヶ月前まで恋心を拗らせストーカー紛いのことをしていて、今だって五条さんへの想いが消えた訳ではないのだから気持ちが分からない訳では無い。
しかしそれを差し引いても彼らの様子は目に余るものがあり、苦言を呈する人もいた。
"年増のやっかみ"とか"妬み嫉み"だとか酷い言われようで聞く耳は全く持たれなかったが。
これだから男尊女卑が残る呪術界は、とウンザリしたが、不満はあっても一石を投じてやるつもりは更々無い。
自分に害が無ければどうでも良いのだ。
どのみち彼女は期間限定で来ている"お助け要因"で、いつかは京都に戻るのだし。
そう楽観的に考えて居たのだが、この騒ぎは彼女が京都に戻るより早く、思いもしない形で終わりを迎えることになったのだ。
◇
「五条さんじゃ叶わないよな」
「悔しいけど諦めるしかねぇよ」
「あの人、強いだけじゃなくて素顔すっげぇイケメンなんだって」
「あ、お前見たことないんだっけ?俺も1回しか見たことねぇけど同じ人間とは思えないくらいよ。もう羨ましいとも思わない、俺と造形が違いすぎて」
とある日の昼休み。安いパンを齧りながら午後イチで予定されている任務の資料を纏めていると、よく知る名前が聞こえて思わず手が止まってしまった。
気にしていないフリをして聞き耳を立てるのは随分得意になった。勿論五条さんのストーカー時代に。
時折冗談を交えながら話す2人は確かあの子を狙っていたはずだ。
カタカタとタイピングの音を響かせ、さもパソコン仕事に集中しているように見せかけ耳を済ませる。
「しかしさぁ、仕方ないとはいえ俺達の方があの子といる時間は長いのにあっさり取られちゃうと切ないよな」
「しょうがないって。だって自分が女だったらどっち取るよ。御三家当主で金持ちでおまけに最強、んでイケメン高身長の男と、平凡な俺達」
「悩むまでもなく五条さんだな」
「だろー?ま、俺達は身の丈にあった女の子を探そうぜ」
「そうだな」
会話に区切りが付いたらしい2人は既に別の話題で盛り上がり初めている。
一方私はと言うと、澄ました顔をしながら内心衝撃を受けていた。
ここ最近彼女が浮かれていることは誰の目から見ても明らかで、心做しかメイクが華やかになった気がするし髪型もアレンジを加えてみたり派手過ぎないアクセサリーを着けてくるようになった。
爪には薄いピンク色のワンカラーネイルまでして、何かしらの変化があったことは間違いなく、これだけ男性陣からアピールされているのだからついに誰かと結ばれたのかと思っていたが、どうやらお相手は予想もしていなかった五条さんだったらしい。
五条さんが彼女にアプローチしている場面どころか親しげに話している様子すら見たことがなかったせいで、些か信じ難くもあったがあれだけ彼女に執心していた彼らが言うのだから本当のことなのだろう。
五条さんの隣に列ぶ彼女を想像して、五条さんにはもっと美しい女性がお似合いなのに、と素直に思った。
あの子は確かに可愛いけれど、可憐で可愛らしいあの子より、凛としていて聡明で美しい女性の方がよっぽど五条さんの隣がお似合いだ。
そんな女性を選んだのなら、私もきっぱり諦めがつくのに。
私と同じ補助監督という立場で歳も近い。
おまけに、大きく系統を分ければ私達は同じ系統だとも思う。
つまり、あの子は一般人の中では特出しているが五条さんと並ぶには平凡だ、ということ。
平凡な彼女が選ばれたということは私に大きな衝撃を与え、その日は全く仕事に身が入らなかった。
◇
「や、久しぶり」
「……」
「ちょっとー、無視?酷くない?」
「…え、あの、私、ですか?」
「キミしかいないでしょ。」
「あ、あの"お約束"は…」
「あー。とりあえず今は無効ってことで」
「は、はぁ……それでご用件は…」
「僕ね、最近お気に入りの子がいるの」
「は、はい」
「ん?その反応は誰か分かってる感じ?」
「え…っと、補助監督のあの子ですよね?」
「あぁ、うん。そうそう。知ってたんだ」
「知ってるというか、噂になってますから」
「へぇ、そうなんだ。まぁ、僕はいつでも皆の注目の的だからねぇ。あの子も男の補助監から人気らしいし」
「……で、それが何でしょうか?」
「んー、ほら、キミってさぁ、僕の"アレ"じゃない?どんな気持ちなのかな、って気になってね」
「あ、アレ、って…」
「あは、僕なりに気を使ったつもりなんだけど、ストーカーってはっきり言った方が良かったかなあ?」
「や、やめてください!それに今は、そういうこと一切してませんし、五条さんのことも、その…もう、何とも思っていませんので…」
「ふぅん。じゃあ僕があの子と付き合っても良いんだ?」
「…お好きにすれば良いかと…」
「へぇ。じゃ、お好きにさせてもらうよ」
ひらひらと手を振りながら去っていく後ろ姿を見送りながら、私はただ混乱していた。
五条さんと話すのは3ヶ月ぶりだった。
もう二度と視線が絡むことも言葉を交わすことも無いのだと諦めていたせいで自分が話し掛けられたのだと気付かなかった。
数ヶ月前まではさぞ喜んだであろうこの状況も、今はただ意味が分からず恐ろしい。
話し掛けられた理由も会話の内容も意味不明だった。
わざわざ約束を反故にしてまで何事かと思えば、自分の"元"ストーカーに惚気を聞かせるなんて、性格が悪いにも程がないか。
五条さんの同期である家入さんは彼を『クズ』と呼ぶことがあるけれど、初めてそれに同意したくなった。
いや、単に惚気を聞かせに来たのではなく、『あの子に余計なことはするな』と釘を刺しに来たのかもしれない。
妬んだ"元"ストーカーが激情に駆られて危害を加える、なんて在り来りな語だ。
だけど私は残念ながら非常に小心者で、術師になれなかったのも才能云々以前に呪霊と対峙することが恐ろしくて気を病んでしまったくらい、臆病者なのだ。
そんな私が人に危害を加えるなど有り得ない話なのだが、私の人となりなど五条さんが知る由もないので警戒するのは当たり前と思える。
それにしても、五条さんは本当にあの子を大切に思っているらしい。
まだ付き合ってはいないみたいだけど、最近では高専内でも仲睦まじく話す様子を見掛けるし、相変わらず定期的に食事に行くなどしているらしい。
2人がくっつくのは時間の問題だ、と誰もが思っていた。当然、私も。
私と同じように一般家庭の出身で、補助監督で、歳もひとつしか変わらない。
ひとつ、私とあの子の間に顕著な違いがあるとすれば"愛らしさ"だろう。
私にもあの愛らしさがあったなら。
私にも五条さんの隣に立つ未来があったのかもしれない。
◇
「あの、五条特級術師…」
「ねー、それやめて。よそよそしくて嫌」
「よそよそしいも何も…というか、あのお約束って結局無いことになったのですか?」
「話さないってやつ?無しでいいよー。てか、キミは僕に無視されてる方が良いの?」
「そういう訳では…」
「だよねぇ。だってキミ、僕のこと大好きだもんね」
「な、やめてください!」
けらけらと楽しそうに笑う五条さんは、ベンチに座る私のすぐ隣にどっかりと腰を下ろしてこちらに顔を向けている。
どういう訳か、あの日から高専の廊下や職員室ですれ違う度に呼び止められ二言三言交わすようになった。
それは仕事の話というより、他愛もない話ばかりで、正直私は非常に困っていた。
だって、これまで私と五条さんは任務以外では殆ど話をしたこともなく、あの一件からは全く話さなくなっていたのだから、いきなり世間話をするような仲になるなど不自然極まりない。
五条さんは私の好きな人ということを抜きにしても、先輩でもあり上司でもあり、話し掛けられれば無碍には出来ず、おまけに常に人がいる状況だったせいで『あの約束はどうなったのですか』と切り出すことも出来なかった。
そのせいで私は、『五条さんとあの子がくっつきそうなタイミングで五条さんにちょっかいをかけだした最低な女』という最悪のレッテルを貼られることになってしまった。
あからさまに好奇の目を向けられ、コソコソと陰口を叩かれ避けられるようになったことは少しだけ応えたが、元々仲良くしてる人などいなかったせいで大袈裟に気に病むこともなかった。
それでもやりづらさを感じるのは事実で、五条さんには2人きりで話せるチャンスがあったら『約束はどうしたのか』と聞くつもりだった。
そして遠回しに無闇矢鱈と声を掛けないでほしいことも伝えたかった。
「なーに急にボーッとして。考え事?」
「あ、すいません」
「僕のこと好きだなー、って?」
「ち、違いますよ…」
「じゃあ何?思い詰めたような顔してたけど」
「…五条さんは最近、どうして私に構うんですか?」
「あれ、自分に気があるかも、とか思ってる?」
「思ってないです!そうじゃなくて…五条さんはあの子のことが好きなんですよね?五条さんが私にそんな気が無くてもあの子が悲しみますし、仕事に関する会話以外はあまりしない方が良いかと…」
「あぁ、そういうことね。んー、そうだなぁ」
五条さんは長い手をベンチの背もたれに預け、考えるように空を見上げた。
そして数秒の沈黙のあと、再度こちらに向けた顔には楽しそうな笑みが携えられていた。
「僕ってさ、すっごく性格悪いの。」
「え?は、はぁ…」
「嫉妬してるところが見たい、っていうのかな。僕のこと、好きかどうか試してみてるっていうのもあるかもね」
「そ、そんな…」
「だから残念だけど、キミがどんなに周りから酷く言われても気まずくなっちゃっても、やめられないかな」
きゅっと上がった口角は快活な子供を連想させるものなのに、その口から発せられる言葉の残酷さ。
五条さんは、私が五条さんを未だに好きということを理解した上で、あの子の嫉妬する姿が見たいが為に、または自分が愛されている実感を得る為に私を利用しているのだ。
その結果、私がどんな扱いを受けているのか、それも知りながら。
あまりにも残酷な男だ、と思った。
性格が悪いだとかクズだとか、そんなレベルの話じゃない。
「あ、そんなことよりさ、今度僕にもお弁当作ってきてよ」
◇
五条さんほど完璧な人間などこの世にはいないと私は本気で思っていた。
事実、あの人より秀でたものをひとつでも持つ人間なんてそうは居ない。
しかし五条悟はひとつだけ持ち得ないもの、欠点があったのだとこの時私は気付いてしまった。
それは女を見る目だ。
「こ、の!クソ女!悟さんに色目使って!邪魔しないでよ!」
「だから…何度も言うけど私は五条さんに色目なんて使ってないし邪魔するつもりもない」
「嘘よ!最近しょっちゅう話してるし、この間なんて、貴女にお弁当作ってもらう約束をしたんだって楽しそうに話してたのよ!」
「それは五条さんが勝手に言ったことで私は作るなんて約束してない」
「なら、どうして悟さんはいつまで経っても私と付き合ってくれないのよ!あともう少しなのに、絶対私に気があるはずなのに…!」
「そんなの私は知らない。私には関係ない」
「とにかく!もう悟さんに関わらないで!仕事以外で話しかけたりしないで!」
「…元々仕事以外で私から話しかけることなんて無いよ。そういうことは私じゃなくて五条さんに言って。」
「っ、そういうスカした態度がムカつくんだよ!」
「いっ、た…」
思い切り突き飛ばされたせいで背中が壁にあたり鈍い音を立てた。
思わず歪んだ私の顔を一瞥して大股で去って行く後ろ姿を見つめながら、五条さんに見せてやりたかったな、と思った。
あなたが今夢中になってる女の子は、嫉妬に狂って人をクソ女呼ばわりした挙句、手を出すようなとんでもない女なのだ、と言ってやりたかったけど、『嫉妬してるところが見てみたい』と宣ったことを思うと、彼女に幻滅するどころかむしろ喜ぶのではないかと思いうんざりした。
五条さんとあの子はやっぱりお似合いだ。
そう思うと、今までの気持ちが嘘のように冷めていき全てがどうでも良くなった。
なんで私はあの人のことが好きだったのだろうか。その答えは案外すんなりと出た。
五条さんのことを知らなかったから。
五条さんの性格も思考も、私はよく知らなかった。
目に見えている部分だけが好きだったのだ。
以前より妙に関わりが増えたことで見え始めた五条悟という人間。私は五条さんの内側は愛せないらしい。
『気持ち悪い』と言われても尚、気持ちは変わらなかったというのに、今はもう微塵も好きとは思えず、むしろ"あなた達のオアソビに私を巻き込まないでほしい"と怒りさえ感じていた。
今度また五条さんに絡まれたら、その時ははっきり言ってやるのだ。
『もう私に関わらないでください』と。
◇
「名前ー!あれ、聞こえてないのかな?おーい!名前ー!」
五条さんへの気持ちが消えたあの日から、幸いなことに五条さんの出張や私の休みなどが上手く重なり奇跡的に1ヶ月近く顔を合わせることはなかった。
その間もあの子を筆頭に棘のある態度や好奇の視線、陰口などは続いており居心地の悪さは相変わらずだったが、そのどれもが"五条さんを狙っている"、"あの子から横取りしようとしている"、というような的外れなものばかりで心底どうでも良かった。
願わくば、五条さんとはほとぼりが冷めるまで会わないままでいたい、と思っていたのだが当然それは無理な話で、ついにある日の昼下がり、五条さんは職員室に顔を出した。
この1ヶ月、あの子も五条さんと会えていなかったのか、五条さんの姿を認めた瞬間ぱあっと花が咲くような笑顔を見せたが、五条さんが開口一番に口にしたのは私の名前だった。
流石にそれは私も予想外で、一瞬自分の名前が呼ばれたことに気付けず反応が遅れた。
続けて名前を呼び続ける声に自分が呼ばれてるのだと理解したが、何故呼ばれているのかは理解出来なかった。
無視することも出来ないのでひとまず返事を返したが、頼むから目立つことはしないでほしい。
「ちょっとこっち来てくれるー?」
「ここじゃダメですか」
「ダメだねぇ」
「…分かりました」
この場で出来ない話など私達の間にあるはずないのに、無駄にこういうことをするから私は誤解されて陰口を叩かれ居心地が悪くなる。
やめて欲しいが、これもあの子を嫉妬させるためのオアソビのひとつだろうから言ったところで聞いてはくれないのだろう。
本当に、悪趣味な人だ。
あの子の視線が痛い。背中に突き刺さるようだ。またこの間のように詰められるのだろうか。
「あの、それで用件は」
「ねぇ、最近なんか冷たくない?」
「そうですか…?変わらないと思いますが…というか暫く顔を合わせてませんでしたし、冷たいも何も無いと思いますけど…」
「冷たいよ。そういうとこ。前は僕が話し掛けると喜んでたじゃん」
「よ、喜んでなんて…!」
「僕と話せて嬉しいって顔してたよ。1ヶ月会わない間に何があったの」
「何も無いですよ。…ただ、この際だからハッキリ言わせてもらいますけど、もう私に関わらないで頂きたいんです」
「は?」
「五条さんとあの子のお遊びに私を巻き込まないでください」
「何?どういうこと?」
「ですから、あの子を嫉妬させる為に私にちょっかい出すのをもうやめて頂きたいんです。あの子、五条さんのことちゃんと大好きですよ。五条さんの狙い通り私に嫉妬して凄く怒ってました。ちゃんと愛されてますから、安心して大丈夫ですよ。だからもうやめてください。知ってると思いますが、私変な噂立てられたりしてて結構困ってるんです。」
「……あー、なるほどね」
「…元はと言えば私が五条さんに不快な思いさせちゃったのに…それなのに、あのお約束無かったことにして普通にお話してくれるようになって、そこは本当に感謝してます。そんな私がこんなこと言うのはどうかと思いますが、でも、これからはお仕事の話だけをする、元々の関係に戻りませんか?」
「うーん…嫌」
「え?」
「だから、嫌って言ったの」
「なんで…」
「だってさ、僕好きになっちゃったんだもん。君のこと」
「はぁ…?」
「え、あれ?嬉しくないの?なんか思ってたのと反応違うなぁ。もっとこう、嬉しくて涙出ちゃう!とか想像してたんだけど」
「い、いや、ちょっと意味がわからな、くて…五条さんってあの子のことが好きなんじゃ、」
「ん?好きじゃないよ。僕そんなこと言ったっけ」
「…お気に入りだ、って言ってたと思います」
「…あぁ、あったねー。あれね、嘘。そうやって言ったらキミはどんな反応するのかなって気になって言ってみただけ。」
「は、えぇ…?でも、私五条さんのス、ストーカー紛いのことして五条さんだって、き、気持ち悪い、って…」
「あの時はね。キミのことよく知らなかったし知らない奴が自分の写真持ち歩いてるとかキモいでしょ、普通に。でもさぁ、あれから妙にキミが目に付くようになっちゃって。一生懸命僕を意識しないように振る舞う姿とか悲しそうな顔とか可愛くて」
「…悲しそうな顔が可愛いって、おかしいですよ」
「えー、ストーカーしてた人におかしいとか言われたくないんだけど」
「っ、それはそうですけど…!」
「まぁまぁ、話は最後まで聞いてよ。でね、もっとキミの色んな顔が見てみたくて、でも関わらないって約束はそのままにしておきたかったからどうしようかなーって考えてたワケ。そうやって時間ばっかり過ぎてって、キミは僕に興味無さそうにしはじめるしそろそろ何かアクション起こさなきゃ、って思ってた時あの子に言われたの。"五条さんに憧れてたんです"って。これ使えるなと思って」
「使えるって…」
「悲しかったでしょ?僕とあの子が仲良くなっていくのが」
「……最低です」
「何で?君のせいだよ?僕のこと隠し撮りしてその写真持ち歩いちゃうくらい好きだったくせに、あっさり離れていこうとするから」
そう言った五条さんの声は低く、得も言われぬ不安に襲われる。
あんなに好きだったはずなのに、何を言われても響かない。
溢れて零れた水を器に戻せないように、人の気持ちもまた二度と戻ることはないのだと私は思う。
戻るのではなく、いちから構築していくしかないのだ、と。
「ちょっとからかい過ぎちゃったかな。謝るから、あんまり拗ねないで」
私は五条さんが好きだった。
結ばれなくても良いから、写真を眺めているだけで、幸せだった。
だけどそれは五条さんの"外側"が好きなだけで、"五条悟"という人間を私は何ひとつ理解していなかった。
"完璧な五条悟"という偶像を作りあげ、自分は五条さんの中身まで全て好きなのだと思っていた。
彼をクズと言う硝子さんにも、尊敬はしていないと言う七海さんにも、五条さんに振り回されて辟易しているという伊地知さんにも同調出来なかったのは五条悟を"知らないから"。
よく考えなくてもわかる事だった。
私より付き合いが長く信頼されている彼らの言うことに私が同調出来ないのは五条さんを知らないからだと。
今なら『クズ』も『尊敬していない』も分かるし、振り回されて辟易し胃を痛める伊地知さんの気持ちも分かる。
「まぁ、つまり話は長くなったけど、そろそろ付き合おうよ、って話なんだけど」
1ヶ月前、五条さんへの気持ちが消えたあの日までの私なら、この言葉にどれだけ喜んだことだろうか。
しかし今の私はそれを喜ぶことも、応えることもできない。
「……ごめんなさい」
「…それは何に対しての謝罪?」
「五条さんとは付き合えないです」
「だぁから、もう拗ねないでよ。本当に僕は初めからあの子のことは好きじゃなかったし、思い返せばキミが写真をぶちまけたあの日から僕はもうキミに惹かれてたんだと思う。自分でも流石にちょっとやり過ぎたかなーとは思うよ。でもほら、それは今までキミが僕を盗撮してたことと相殺ってことで、ね?」
「ぜ、全然意味が分からないです。そういう事じゃ無いんです。拗ねてるとかじゃなくて、私、五条さんがあの子を使って私を試すようなことしてたのがどうしても、その…嫌、というか…」
「だからさっきも言ったけどそれはキミのせいでしょ。キミの可哀想な姿が可愛いからいけない、キミから好きになっておいて僕がその気になったら離れていこうとするからいけない。違う?」
それがふざけているわけでもからかっているわけでもない事は一目瞭然だった。
五条さんは、きょとんとした様子で顎に手を添え首を傾げている。
言葉は通じるのに話が通じないことのどれ程恐ろしいことか。
「素直になりなよ。キミは僕が好き、僕はキミが好き。だから、ね?僕と付き合おう」
静かに下げられた目元の黒い布から覗いた青い瞳は私が大好きだった色だった。
素顔を見たことがあるのはこれで2度目。
たった1度しか見たことが無いブルートパーズよりも美しい宝石に私は恋していた。
その頃の気持ちを必死に手繰り寄せて、私はもう一度この人を好きになれるだろうかと自問自答する。
答えが出るよりも先に本能が警鐘を鳴らし、こくりと小さく頷いた。
警鐘は果たして何に対して鳴り響いたのか、私は分からない。
話が通じない異常性に対してなのか、会話の端々から垣間見える執着のようなものに対してなのか、それともこの男がその気になれば全てを力でねじ伏せることが出来るということに対してなのか。
或いはその全てなのか。
私の小さな首の動きを決して見逃さなかった五条さんは、おかしな表情で固まる私とは反対に嬉しそうに笑った。
「良かった。改めてよろしくね」
どこか仄暗く光る青い瞳を見つめながら、これまでの軽率な行動を思い返し後悔しても、全てはもう手遅れなのだった。
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