担任でもない五条先生に進路相談をしたあの日から早くも1ヶ月と少し、世間はすっかりクリスマスモードに突入していた。
年末年始に向けて慌ただしいのはどこも同じだが、私達呪術師は実はそうでもない。
呪術師の繁忙期というのは春先から初夏に掛けてで、年末年始は落ち着いている。
とは言え呪霊はいつどこで発生するか分からないので暇という訳では無い。
それでも呪術師にとっては比較的、暇と言えるこの時期に、遊びたい盛りの私達がイベントを画策しない訳がなかった。
「やるでしょ、クリスマスパーティー」
「マジで?俺達三人で?」
「仕方ないじゃん悲しいことに私達一、二年と全然仲良くないんだもん」
「後輩に全く慕われてない切なさよ」
「特に二年な」
「一、二年は才能ある奴か家柄良いとこの出ばっかだから俺達みたいな平凡なのは尊敬出来ないんだろうな」
「私達全員一般家庭出身だしねぇ。てか普通に尊敬されるような事もしてないし敬われなくて当然よね〜普通に仲良くはしたかったけど」
呪術界には古めかしい悪しき慣習がいくつも残っている。そのうちのひとつに家柄至上主義というのもあって、御三家を初めとした由緒正しき家の出の人間は基本的にそれを誇りに思っているし私達一般家庭出身の術師を下に見ている。
勿論、例外はある。五条先生は御三家がひとつ五条家の現当主だが私達を見下すようなことはしない。
平均して一学年に一人は呪術師家系出身の生徒がいるらしいのだが、私達の学年には術師家系の出はいない。全員普通の一般家庭出身、おまけに術式もさして良いものでもない。
平たく言えば、超平凡の超地味な学年。それが私達だった。これであの特級呪詛師夏油傑のように一般家庭出身でありながら術式と才能に恵まれている者が一人でもいればまた扱いも変わっていただろうに。
残念ながら全員平均値ど真ん中故に後輩達には舐められまくりである。
"クリスマスパーティーやろうよ!"と持ち掛けてみたところで脅威の参加率ゼロを記録してしまいそうなので大人しく同期三人で開催することにした。
「鈴木にも声掛けようぜ」
「鈴木先生クリスマス予定無いのかな」
「無いだろ」
「うっわ失礼な奴〜鈴木先生だってまだ二十幾つでしょ?デートの予定のひとつやふたつあるかもよ〜」
「僕はね〜クリスマス何の予定も無いよ〜?」
「うわぁ!五条先生!」
私達の背後からにゅっと音も無く顔を出した五条先生に思わず飛び上がると、"驚きすぎじゃない?"と笑われてしまったが、こんなの誰でも驚くだろう。
「音も無く現れるの辞めてくださいよ…何か用ですか?」
「用がなきゃ来ちゃダメなの?」
「いや、そういう訳じゃないですけど…」
私としては五条先生に会えることは嬉しいのでいくらでも来てもらって構わないのだが、それはそれとして雑談する為だけに教室に寄るほど仲良くなった覚えはないので何事かと思うのが普通だと思う。
「たまたま通り掛かったら楽しそうな話してるから顔出しちゃった。クリスマスパーティーやるの?」
「あー、クリスマスパーティーって言っても私達三人と良いとこ鈴木先生の四人ですけどね」
「そうなの?一、二年は誘わない感じ?」
「誘っても参加しないんじゃないですかね…特に二年生は」
「ふぅん」
「あ!五条先生はクリスマス予定あるんスか?無ければ五条先生も来てくださいよ!」
「いっつも同じメンバーだから正直マンネリ化してたんですよね。良いよな、名前!」
「あ、うん、全然それは構わないけど」
そんなことをしたら、あの後輩ちゃんの怒りを買いそうだ。物凄い形相で"苗字先輩五条先生のこと好きじゃないって言ってましたよね!?私を差し置いてクリスマス一緒に過ごすとかどういうつもりですか!?"なんて詰め寄られそうで恐ろしい。
五条先生は予定が無いと言っていたけど、大して仲良くも無い子供達と過ごすくらいなら一人でゆっくり休んだ方が良い、と思わないだろうか。
そんな私の祈り虚しく、五条先生は形の良い唇の端ををきゅっと上げて頷いた。
「皆が良いならお邪魔しちゃおうかな」
◇
12月24日。今日は待ちに待ったクリスマス。
クリスマスを心待ちにするなんて、サンタクロースを信じていた子供の頃以来だ。
学生生活最後のクリスマスを同期達と過ごせる喜びも勿論あるが、それよりも五条先生と過ごせる、ということが何より私の心を浮つかせた。
ずっと憧れていた五条先生と思い出が作れるなんて、ここまで頑張ってきて良かったと心底思った。
正直、何度高専を辞めてやると思ったか知れないが、高専卒という資格が欲しかったことで踏みとどまってきた。
どうにか頑張ってきた一、二年生の頃の私。貴女のおかげで三年生になった今、信じられないことに五条先生とクリスマスパーティーの約束が出来ました。
なんて感慨深い気持ちに浸っていると、部屋のドアが勢い良く開いた。
「お邪魔するよー」
「五条先生!あ…」
任務終わりなのだろう。いつもの黒い上下に身を包んだ五条先生が部屋の入口に立っている。
が、その後ろには先生の背中に隠れるようにして後輩ちゃんが居るではないか。
あ、と声が漏れてしまったせいか、後輩ちゃんは先生の背中からひょこと顔を出し分かりやすく愛想笑いを浮かべた。
「苗字先輩、お久しぶりです。いきなりごめんなさい。私もご一緒して良いですか?」
「あ、うん、勿論!」
「急にごめんね、苗字。皆とクリスマスパーティーするんだって話したら行きたいって聞かなくてさ」
「もう、そんな言い方じゃ私が居たら邪魔みたいじゃないですか!…邪魔でしたか?先輩」
「ぜ、全然!人が多い方が楽しいし!テンション上がって色々多めに用意しちゃったからさ、むしろ助かるよ!ほら、入って入って」
「良かったぁ。じゃあお言葉に甘えて。お邪魔します」
邪魔か邪魔で無いかと聞かれたら、邪魔では無い。人数が多い方が楽しいというのも事実ではあるが、あの子は五条先生への気持ちが強すぎてちょっと面倒ではある。
現に今も、長い睫毛に縁取られた丸い瞳は"何で私を差し置いてお前が先生とクリスマスの予定立ててるんだよ"と語っているし、"やっぱり先生のこと好きなの!?"とも語っている。
必死に"これは誤解です"と目で訴えてみるが、伝わったかどうかは謎だ。
二歳も歳下の少女に怯えるなんて情けない話だが、彼女は見た目の可憐さも去ることながら入学時で既に二級術師という、正に才色兼備を体現している少女だった。
生物としての格が違う。そんな人間に敵意を込めて見詰められたら、怯えてしまうのは動物の本能として至極当然、誰だってたじろぐ、と思う。
どうにかして彼女の誤解を解かねば。残り少ない学生生活を嫌な思い出で締め括りたくない。
私は五条先生のファンではあるが、全くもって恋愛感情は抱いていないのだ。多分。
それに、いつだったか五条先生は言っていた。"好きな人がいる"と。
しかも私の記憶では、その好きな人の特徴は彼女に当て嵌る。
私が知っている人で、かなり歳下で、一緒に居て楽しい人。
彼女が一緒に居て楽しいのかどうかは知らないし個人的にはそんな印象は全くないのだが、心を許した人間にはフレンドリーなのだろう。
先生と彼女は両想いなのにそれに気付いていない。所謂、両片想いというやつだ。そしてお互いの気持ちを知ってるのは恐らく私だけ。
となれば、ここは私がひと肌脱ぐしかない。
可愛い後輩…と思う程の関係でもないが、まぁ、可愛い後輩と憧れの先生のキューピットになってあげようじゃないか。
「あ、先生達はここ座ってください!ちょっと狭くて申し訳無いんですけど…今飲み物とか用意しますね!」
とりあえず二人を並んで座らせることに成功した私は飲み物を取りに席を立つ。
今日の会場に選ばれたのは私の部屋で、理由はただじゃんけんに負けたからなのだが自分の部屋で良かったと思った。
これなら何かと理由を付けて席を立てる。
後輩ちゃんは私と五条先生が話すのをかなり嫌がるので、雑用をこなすフリをして動き回っていよう。そうすれば五条先生との接触を最小限で抑えられる。
「ねぇ」
「わ!あ、ビックリしたぁ…五条先生いきなり背後に立つのやめてください。心臓に悪いです…」
「え〜君がぼんやりしてるだけだよ」
「してません。先生が気配消すから…で、何でしょうか」
「これ、買ってきたんだ。生物だから冷蔵庫入れといてよ」
「生物…?わあ、ケーキ!しかもこれ、駅前の!?めちゃくちゃ美味しいって噂のお店じゃないですか…!」
「え、何なにもしかして苗字って甘党?」
「はい、かなり!うわあ、ここのケーキ本当に食べてみたかったんですよねぇ」
「それは良かった!あとで皆で食べよう!」
「はい!ありがとうございま…す、あの、冷蔵庫入れとくので五条先生はお座りになっててください」
五条先生の差し入れがあまりにも私にとって嬉しいものだったせいですっかり素で喜んでしまった。
ちらりと見えた後輩が私に口パクで何かを言っている。
うーん、あれは多分"出しゃばるな"だろう。
出しゃばった覚えはないが、確かに少し馴れ馴れしかったかもしれない。反省、反省。
「おい名前ー、お前もそろそろ座れよー。お前ずっと動きっぱなしじゃん。鈴木先生遅れるってから先に乾杯しちゃおうぜー」
「あー、うん。そうだね。……と、ちょっとそこどいて」
「はぁ?何でだよ。何でわざわざ俺達の間に座るんだよ」
「良いじゃん良いじゃん私達仲良し三人組でしょー。ていうかここがいつもの私の定位置なんだって。私の部屋なんだから私に従って!」
「うわ、ちょ、押すなって」
五条先生の隣に座るのを避ける為、同期二人の間に無理矢理押し入った。
多分、同期二人は気を利かせてわざと先生の隣を空けておいたのだろう。私が五条先生のファンだから。現に、同期二人は不思議そうな顔をしている。
ありがとう、心優しい同期達。だけど今日ばかりは、五条先生のファンでは無くキューピットで居なければならないのだ。その為にも私は五条先生の隣というキラキラ輝く特等席を、アホ面でコーラを飲み干す同期に譲るのだ。
◇
珍妙なメンバーで始まったクリスマスパーティーは、早くも開始から二時間が経とうとしていた。
遅れていた鈴木先生も到着して持ち寄ったご馳走を食べてそれなりに盛り上がっていた頃、ついにお楽しみの時間がやってきた。
「さぁさぁ、そろそろケーキ食べようよ!僕張り切って超スペシャルなケーキ買ってきたんだから!」
「え、五条先生ケーキ買ってきたの!?俺もケーキ買ってきちゃった!しかもホール!」
「うん、僕もホールだよ!まぁ二つ食べれば良い話じゃない!」
「えぇ、二つも食えるかなぁ」
私が今日最も楽しみにしていたもの、それは何を隠そうケーキだ。五条先生が買ってきてくれたあのケーキは勿論、同期が買ってきてくれたホールケーキだって楽しみにしていた。
テキパキと素早い動きでカトラリーを用意する私と、ケーキを冷蔵庫から取り出しテーブルの上を片付ける五条先生。
そんな私達とは対照的に、他の皆はあまりテンションが上がっているようには見えなかった。
「うわ、すっげぇ…五条先生の方のケーキ、なんかめっちゃ凝ってるしデケェ…」
「うわぁ〜!本当だ!繊細なデコレーション!目で見ても美味しいとか完璧なケーキ…!」
「それと比べたら俺のケーキ…なんか…ちょっとアレじゃね…」
「なぁに言ってんの!お菓子はどれも素晴らしいんだよ!アンタが買ってきたケーキも私は食べるの楽しみ!てかこのお店踏切の近くにある洋菓子店でしょ?ここ昔からあるらしいんだけど、もうそれだけで美味しいって証拠じゃない!味が確かだから昔から地域の人に支持されて何十年もお店が続いてる。そんなお店のケーキが美味しくないわけが無い!あー、楽しみ!」
しまった、つい早口で捲し立ててしまった。
私は昔からとにかく甘い物が大好きで、趣味は新作お菓子の開拓、カフェや洋菓子和菓子店の開拓である。多分私の死因は糖尿病からくる何かしらの病気だと確信している。
皆が"食べられるかな"なんて心配していたホールケーキ二つ、おまけに五条先生のは多分8号サイズだから結構デカい。
だけど私はホールケーキひとつくらい難無く食べられてしまう程の甘党だ。
何なら、流石にホールケーキひとつ以上は人間として色々と不味いかなと思って辞めているだけで食べようと思えばそれ以上食べられる。
特別大食いという訳でも無いのに甘いものに関しては昔から別腹なのだ。
だから安心してケーキを食べて欲しい、と思いながら切り分けていると、五条先生が小さく笑った。
「苗字、もしかして僕以上の甘党かもねぇ。僕は常に頭使ってるから甘い物必須なんだけど苗字はそういう訳じゃなさそうだから程々にしなよー?病気になっちゃうから」
「ちょ、その言い方だとまるで私が普段頭使って無いみたいじゃないですか!私だってそれなりに頭使うので糖分を欲してるんです」
「どこがだよ、おまえ普段何にも考えてねーじゃん。最近太った!とか言ってたし脳みそは糖分欲して無いだろ」
「な!太った気がするだけです!体重計乗ってないから!乗ってなければ太ったことにはならないから!」
「はぁ?意味わからん理屈捏ねんな」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ私達を窘める鈴木先生が私の頭を撫でて、それを見た後輩ちゃんが五条先生に何か話している。
あぁ良かった、私達が二人の会話のネタになってくれてるなら何よりだ、と思ったが、五条先生は顔をこちらに向けたまま曖昧に頷くだけで返事をしている様子は無い。
五条先生と後輩ちゃんの──いや、五条先生の様子がおかしい。その異変に気付いたのは私だけかもしれないが、どうしても気になって横目で様子を伺っていると、鈴木先生がふと自身のポケットに手を入れ黒いヘアゴムを取り出した。
「そうだ。そういえばお前、この間俺の部屋に来た時ヘアゴム忘れてっただろ。返そうと思って持ってきてたの今思い出した」
「あ、そうだった。わざわざすみません」
それは確か一週間前、鈴木先生の部屋で夕飯をご馳走になった日のことだ。ご飯中は髪が邪魔だからと縛る癖がある私はその日も髪を纏めて、食事のあとそれを解いてテーブルの上に置いたまま帰ってしまったのだ。
特別飾りが付いてる訳でもない、何の変哲もないただのヘアゴム。捨ててくれても構わないのに、律儀な先生だなぁ、とそれを受け取ると、ねぇ、と一層低い声が部屋に響いた。
「鈴木さんさ、女子生徒を自分の部屋に入れてんの?」
「ん?あぁ、たまにな。一緒に飯食ったり相談事があれば乗ってやったりな」
「ふぅん。まさかとは思うけど、苗字と二人きりじゃないよね」
「二人きりだけど」
「…鈴木さんさぁ、流石にダメでしょ、それは。いくら自分の受け持ちの生徒だからって女子生徒を自室に呼んで二人きりとか普通にアウトだって」
「はぁ?当たり前だが何もやましい事はしてないし、無理矢理呼んだ訳でもない。なぁ、名前?」
「え、あ、はい。無理矢理では無いですし寧ろご馳走になって有難かったですが…」
「だとしたら苗字も危機感足りなさ過ぎ。先生だから大丈夫とか無いからね。これが鈴木さんじゃなかったら何されてたか分からないよ。迂闊に男の部屋へは行かないように。勿論、鈴木さんだけじゃなくて同期二人の部屋も、だよ。今日の感じ見てるとお互いの部屋行き来してるようだけど、それだって本来危険なことだからね。仲が良いのは大いに結構。でもその辺の線引きはちゃんとするように」
「はい……」
びっくりする程怒られてしまった。いや、マジで何で?そういえばいつだったか鈴木先生が"五条はああ見えて結構倫理観しっかりしてるから"とか言っていた気がする。本当だったんだ。五条先生こそ生徒を部屋に招いたり、完全に偏見だが過去に手を出してる可能性だってあると思っていた。
ごめんなさい五条先生。私が思っていたより全然、ちゃんとした大人だったんですね。
「…ま!分かったなら良いよ!ほらほら、ケーキ食べよ!せっかくの美味しいケーキが乾いちゃうよー!」
五条先生の一声で部屋の空気はすっかり元に戻り各々ケーキをつついているが、後輩ちゃんだけは不穏な空気を醸し出している。
二人のキューピットになる!なんて意気込んでおきながら、何ひとつ役に立てていない。
せめてほんの少しだけでも二人の関係を進展させられたら──。
慌てて頭を回した結果、その場に居る男子全員へ後輩ちゃんの魅力を必死にプレゼンする先輩というおかしな状況になってしまったが、後輩ちゃんは満更でも無い、というか結構嬉しそうにしていたのでひとまず胸を撫で下ろした。
こんなことしなくても五条先生は貴女のこと好きだけどね、とは流石に言えず、かと言ってこっそり伝えてやる気にもなれず、自分の矛盾した気持ちに戸惑いながらクリスマスの夜は更けていくのであった。
◇
「はいストーップ、現行犯〜」
「はぁ?現行犯って何だよ」
「鈴木さん、気軽に女子生徒の頭ポンポンしちゃダメだよって学長に教わらなかった?」
「教わってねぇよ」
「じゃあ今僕が教えてあげる。女子生徒に触ったらセクハラになっちゃうんだよ」
「五条に言われても説得力ねぇよ」
睨み合う鈴木先生と五条先生、という構図はあのクリスマスの夜から増えた、気がする。
元々鈴木先生は距離が近い方ではあるが、別にそれを不快だと思ったことはない。
しかしあの日から五条先生はやたらと私達の前に現れてはこうして鈴木先生のボディタッチを咎める。
確かに、五条先生と鈴木先生、どちらが正しいことを言ってるのかと言えば五条先生だと思うが、だけど五条先生だって女子生徒の頭を撫でたり肩を叩いたりしてなかったっけ。
そんなこと言える雰囲気では無いので私はいつもそのやり取りを黙って見つめることしか出来ないのだが。
「……はぁ。じゃあ俺はそろそろ行く。名前、あとでな」
「あ、はい。また…」
大きな溜息を吐いて去っていく鈴木先生の背中を眺めながら、置いていかないで!と内心叫んでしまう。こういう時の五条先生は不機嫌で怖いのだ。
多分、この後は私の説教タイムになる。
"君も気安く触らせないの"とか"嫌だってちゃんと言わなきゃダメだよ"とか言われるのだ。
「…ねぇ」
ほら来た。この声のトーンは間違いなく不機嫌な時のもの。数ヶ月前まで殆ど話したことすら無かったのに今では気軽に説教されてしまう仲だ。
以前より気安い関係になれたことは嬉しいが説教されるのは全く嬉しくない。
「……はい」
「鈴木さんと何話してたの」
「……え?」
「だから。鈴木さんと何の話してたの、って。部屋がどうとか聞こえたけど」
「…あー、えっと…部屋を模様替えしたいなぁ、と思って…それでその、オススメの家具屋さんを聞いてました」
「……ふぅん。それなら僕の方が詳しいと思うけど」
「あ、いや、五条先生御用達のインテリアは高級なものが多そうなので比較的庶民派な鈴木先生にアドバイスを貰ってました」
勿論、大嘘である。実際のところは"今夜少し部屋に来れないか"というもので、話の内容は"来てから話す"と言われた。
しかしこれを五条先生に正直に言えばどうなるか想像出来ないほど馬鹿ではない。
五条先生は思っていたより先生と生徒の関係の線引きに敏感なところがあるようだから、こんな事を言えばどんな反応をするかくらい私にも分かる。
そもそも今まで鈴木先生と私は二人きりになることなんて何度もあった。
食事をしたり話をしたり、しかしそれは私が女子生徒だから、というより鈴木先生の教育者としての"やり方"なのだと思う。同期二人もそれぞれ私と同じように先生の部屋に招かれたこともあるし、任務の帰りに二人で寄り道をすることもあった。
当然おかしな展開になることは無かったが、五条先生はそれでも先生と生徒がプライベートで二人きりになることを良しと思わないようだ。
「確かに鈴木さんは庶民的だもんね。…てかもうすぐ卒業なのに模様替え?」
「あー、えと…ハハ…」
「まぁいいや。とにかく、ああやって不必要に触られたらやめてくださいってキチンと言うこと。良いね?」
「はい」
「分かれば良し!じゃあ僕も行くね」
軽やかに手を振りながら去っていく後ろ姿を眺めながら、ホッと胸を撫で下ろした。
今日は比較的あっさり説教タイムが終わった。
五条先生の機嫌が悪い時なんかはもっとネチネチ責められるので解放される頃には泣きそうになっていることも多々ある。
こうして関わりを持つ前は五条先生に対して"楽しそう"、"優しそう"と言ったポジティブなイメージしか無かったのだが、最近ではそこに"怖い"も追加された。
「…あー怖かった…」
誰にも拾われることは無いと思っていた呟きは、思いがけない人物に拾われてしまうことになる。
「五条先生、怒ってましたね」
「っ、わぁ、ビックリした!」
「お久しぶりです、先輩。そんなに驚きます?」
「ご、ごめん。いや、ここ三年の教室の前だからまさか居るとは思わなくて…何か用?」
音も無く現れたのは五条先生の受け持つ一年生の紅一点、五条先生のことが好きだと言ったあの子だった。
五条先生然りこの子然り、呪術師、音も無く現れるの上手すぎない?というちっぽけな私の心の叫びはそれこそ誰にも拾われることは無い。
「用は無いです。ただ五条先生の様子が最近変で、さっきも急に踵を返して歩き出したから気になって追い掛けてみたらここに辿り着いただけです」
「あ、あー…なるほどね。五条先生行っちゃったよ?何か用事があるなら──」
「いえ。五条先生では無くて先輩に用があります」
「え。何…?」
「先輩、やっぱり五条先生のこと好きですよね?しかも仲良いじゃないですか。何が"恋愛的な意味で好きじゃ無い、ファンだから"ですか」
「ま、待って待って!本当にそういうんじゃないから…!それに仲良くも無いから、ね?」
「…だって、五条先生、私が他の先生や補助監督と仲良くしてても何も言わないですよ…それこそボディタッチされても、今度食事でもって誘われても、何も…」
「それは五条先生がその現場を見てないからじゃないの…?私だって毎回止めに入られる訳じゃないよ。たまたま近くに五条先生が居た時だけだし、私は偶然、五条先生が近くに居合わせる機会が多いだけで贔屓されてるとかそういうのでは無いと思うよ」
「そんな事ないです。私もそうかなと思ってわざと目の前でそういう話してみたんですけど、スルーされました」
「…五条先生だって考え事してれば会話が耳に入らないこともあるよ」
「…そういうんじゃないんです…!女の勘っていうか、普段から近くで五条先生を見てるから分かるっていうか…五条先生は絶対、先輩のことお気に入りです。何したんですか?どうしたら先生のお気に入りになれるんですか!?」
「待って、落ち着いて!本当にそんなんじゃないし、心当たりもないよ。五条先生と特別仲良くなるような出来事なんて無かったし、それに五条先生はあなたのこと──」
「…私のこと、なんですか?」
「あ…えっと……」
しまった、と思った時には既に遅く、そして後輩ちゃんはそれを聞き逃さなかった。
二人は恐らく両思いで、それを知っているのは私だけ。
ここで変な因縁を付けられるくらいならいっそ五条先生の気持ちを伝えてしまおうか、とも思ったが、どうしてかそれは憚られた。
私が勝手に大切な気持ちを伝えるべきでは無い、と、最もらしい理由を掲げてみても、実際はもっとドロドロした醜い何かが心の奥底で蠢いていることに気付いている。それは数ヶ月前に蓋をしたはずのものだった。
「……一緒に居て楽しいって言ってたよ。それも凄く優しい顔で。だからきっとお気に入りなのは私じゃなくて君だよ。自信持って良いと思う。あ、でも私の担任の鈴木先生が言ってたけど五条先生ってああ見えて倫理観がしっかりしてるらしいから分かりやすく依怙贔屓しないだけじゃないかな」
「そう、なんですかね…」
「うん。そうだよ。だって、考えなくても分かると思わない?貴女は術師の才能があって座学の成績も良くて見た目だって物凄く可愛くて、おまけに家柄も良いとか、私より劣ってるところが見付からないじゃない。五条先生って才能ある子大好きそうだし、そういう意味でも君のことお気に入りだと思うよ。あと、シンプルに君なら五条先生と並んでてもサマになるしね。だから自信持って!」
「…それもそうですね。ありがとうございます」
私の言葉に満足したのか、彼女は私に会釈すると踵を返し歩いて行った。それにしても。
「…それもそうですね、って地味に傷付くんだけど…もう少しそんな事ないですよ、の一言くらい言えないかな…いや事実だけど…」
相次いだ襲撃によりすっかり疲れてしまった私は伸びをしながら教室とは別の方向へ歩き出した。
朝から嫌な目にあって、私のやる気はすっかりゼロになってしまった。
幸い今日は任務も無いことだし、しっかりサボらせてもらうことにする。
そんな私の姿を五条先生が見ていたなんて、この時は知る由もなかった。
◇
「……え。ごめんなさい、えっと、今なんて…?」
「…だから…俺はお前のことをただの生徒じゃなくて一人の女として見ているし、付き合いたい、と思ってる」
「そ、んなこと、急に言われても…」
「そうだよな、分かってる。でも真剣なんだ。本当は卒業まで待つつもりだったが…少し事情が変わったんでな。驚かせてすまない。答えは今すぐじゃなくて良いから考えてみてくれないか」
「あ、え…はい…考えてみます…」
「…話はそれだけだ」
「…じゃあ私はこれで…」
「また明日」
「また明日…お邪魔しました」
パタン、とドアが閉まると途端に体から力が抜けるような感覚に襲われた。
座り込みたい衝動を抑えどうにか女子寮に向かって歩くが、頭の中は鈴木先生のことでいっぱいで気を抜いたら足が縺れて転びそうになる。
先生のあの顔は、雰囲気は、決してふざけている訳ではない。先生は本当に私のことを本気で、好きなのだ。
付き合いたい、と先生は言っていた。
じゃあ、私は。私は先生のことをどう思っているのだろうか。
そんな考え事で頭がいっぱいだったせいで、背後に立つ人物に気付かなかった。
「鈴木さんと何してたの」
耳元近くでいきなり聞こえてきた男性の声に飛び上がり勢いよく振り向くと、僅か数十cmの距離に五条先生が立っていた。
「っ、五条先生!だから、急に背後に立つのをやめてください!」
「えぇ、君がボーッとしてるだけだって。で、鈴木さんの部屋に行ってたみたいだけど、何してたの」
「え、っと…何と言われましても…」
「…顔、赤い。顔赤くなるようなこと、されちゃった?」
「は、い、いえ!違います!そうじゃなくてこれはその、告白されるとかそういう経験が乏しすぎて…っ!」
「へぇ、告白されたんだ。自分の生徒に手出そうとするとか、鈴木さんキツいねぇ。……って、それは僕もそうか」
「え」
「まず前提として言っておきたいんだけど、僕は生徒に手を出す趣味は無い。ロリコンでも無いし、つーか歳下の許容範囲は精々4、5コ下まで。それより下になるともうガキって感じがして無理なワケ」
「は、はい」
「だけどね、どういう訳か…例外を見付けちゃったんだ。好きになった人がタイプ、とか、好きになった人が偶々男だっただけ、女だっただけ、みたいなアレ、今まで本当かよ、後付けだろ、とか思ってたんだけど初めて気持ちが分かっちゃったよ。僕も、歳下だから好きになった訳じゃない。偶々好きになった女の子がかなり年下で生徒だった、ってだけ」
正直言って、私は別に五条先生があの子を好きになったことに対する言い訳なんてどうでも良いし、むしろ聞きたくない。
それに、思春期の女子は年上の彼氏や先生と生徒の禁断の恋、みたいなものに少なからず憧れがある。
言い訳なんて聞かされなくても特に軽蔑したりはしない。
「な、なるほど…」
「卒業に向けてちょっとずつ距離を縮めていって卒業と同時に僕のものにしちゃおうかなって思ってたんだけどね」
「あぁ…いや、でも卒業までまだ二年もありますし、それに向こうも五条先生のこと好意的に思ってると思いますよ」
「……ん?待って、何の話してる?」
「え?五条先生が好きな人の話ですよね?」
「いや、うん、そうなんだけど、卒業まで二年って何?向こうも好意的に、って、誰の話してんの?」
「……一年生のあの子のことじゃないんですか…?」
「は?いや、いやいやいや。全ッ然違うから!あの子はただの生徒としか見てないから!」
「え…そうなんですか…?え、じゃあ五条先生の好きな人って…」
「……君だよ」
「き、キミ…」
「…ピンと来てないでしょ。君だよ、君!苗字のことが好きなの。言わせないでよ」
「……はぁ!?」
「そんな驚く?」
「お、驚きますよ…!そんな、だって…え!?冗談なら今のうちにやめてくれないと私本気にしちゃいますよ…!」
「冗談でこんなこと言うと思う?」
「…思います」
「僕ってどんなイメージなワケ…あのね、流石にこんな悪趣味な冗談は言わないから」
「じゃあ…本気ってことですか…」
「うん。本気、大マジ。」
「え、でも、私達つい最近まで殆ど接点も無かったし…その、どうして私なんですか…?」
「…君が入学してきて半年くらい経った頃かな。校庭で君達が体術の訓練してるのを見掛けたんだ。あの年の一年──君達は良くも悪くも普通だって聞いてたから、どんなもんかなと思って暫く見てたんだけど、そうしてるうちに君を目で追ってることに気付いてね。初めはその意味が分からなかったけど、それから君が気になるようになって、同期とふざけてる姿とか、楽しそうな顔に釘付けになって…あぁ、僕はこの子のことが好きなんだって気付いたんだ。でもその時君はまだ高1の16歳。もう頭抱えちゃったよね。犯罪者じゃん、って。だからさ、高専を卒業するまで待とうって決めて、漸く卒業が近付いてきたからそろそろ距離を縮めていこうと思ったら鈴木さんが出しゃばってきて僕の計画台無しだよ」
「そんな…全然気付きませんでした」
「そりゃあね。気付かれないようにしてたし。でも君も僕に好意的だったし勝算はあるなって思ってたんだけど避けられるし、あの子のことゴリ押ししてくるし呑気に男共の部屋には行くし、鈴木さんに告白されて顔赤くしてるし?こんな事になるならもっと早く唾付けておけば良かったかなって思ってるよ」
「て、ていうかあの、好意的って、勝手に言ってますけど私別に五条先生のこと好きでは無いですよ…!?」
「あれ、そうなの?そういう話、君達よくしてたじゃん。僕のことかっこいい、とか担任だったら良かったのに〜とかさ」
「は、はぁ!?聞いてたんですか!」
「聞いてた。嬉しかったんだけどなぁ」
「いや、あれは、恋愛対象としてどうとかではなく、ファン、と言いますか…」
「ファン?何それ、ウケる。まぁでも嫌われてないなら勝算はあるよね。卒業したらまた改めて気持ちを伝えるつもりだから、取り敢えず鈴木さんの告白は断っといてね」
「え」
「え、何?まさかOKするつもりだったの?」
「そういう訳じゃないですけど…」
「じゃあ問題無いよね。鈴木さんはフッて、これからは僕のこと意識して」
そう言って五条先生は目元の包帯をしゅるり、と解いた。
「っ、ちょ、ちょっと!五条先生!顔、顔、隠してください!」
「え?ちょっと酷くない?顔、もっと良く見せてって言われた事はあっても隠してなんて言われたことないんだけど」
「そ、そういう意味じゃなくて…!」
初めて見た五条先生の顔は、想像の数倍、数十倍も美しかった。
そりゃあ、その骨格や肌艶の良さ唇の形の良さから五条先生はイケメンだと確信していた。
おまけに六眼は美しい碧眼だということも知っていたので、包帯の下に隠された素顔はそれはそれは素晴らしいものなのだと思っていたし、想像の中の五条先生は少女漫画の登場人物のように完璧なイケメンだったが、実際に見たその顔は想像を凌駕する美しさだった。これは心臓に悪い。
「あ。もしかしてイケメンすぎてびっくりしてる?」
「…ちょっとその顔は反則です。直視出来ません…」
「えぇ、困るなぁ。直視出来るようになってくれないと色々出来ないじゃん」
「…!?何をするつもりですか!」
「さぁね〜。ほら、こっち見てよ」
「無理です、無理!目が潰れる!早くしまって!」
顔を背ける私を覗き込むように着いて回る五条先生は明らかに私の反応を面白がっている。
"五条は性格悪いよ"と、家入さんがいつだか言っていた言葉の意味が分かったような気がする。
しかし、今まで知らなかった五条先生の新しい一面が見れたことは距離が縮まった証のような気がして嬉しい。
「まぁいいや。卒業までまだ時間はあるんだしちょっとずつ慣れてもらうから。あ、あと名前、これからは苗字じゃなくて下の名前で呼ぶね。君も僕と二人の時は悟って下の名前で呼んでくれて構わないよ」
「え、遠慮しておきます!」
「あれー?照れてる?かぁわいいね」
「ひっ…!だからその顔を近付けないでくださいぃ!」
何かが吹っ切れたように積極的になった五条先生にたじろぎながら、刺激的な日常が始まる予感に胸が高鳴るのだった。
.