6月の君へ

※教師五条×生徒、第三者視点




「ケッコン!?て、あの結婚?先生が!?」

 東京都立呪術高等専門学校。
東京の端に存在する特殊な学び舎に男子生徒の絶叫が響き渡ったのは紫陽花の蕾が膨らみ始めた春の終わりのことだった。

「らしいわよ。新田ちゃんに聞いた」

「えー、随分急じゃね。伏黒知ってた?」

「知らない。というか興味無い」

 歴史を感じさせる古い木造建築の一角、4席の机が並んだ教室で、学生達の話題は担任教師の結婚についてだった。

「相手は良いとこのお嬢様でアイツとの馴れ初めはお見合いらしい」

「あー、センセーの実家ってすげーとこなんだっけ」

「御三家な。で、五条先生は五条家の現当主。むしろ今まで結婚してない方が不思議なくらいだろ。ああいう家は跡継ぎとか煩いからな。」

「へぇー。てか名前どうした?黙りこくって。体調悪い?」

 4人のうち、話題を仕入れてきた少女とは別にもう1人、この教室には少女がいる。
名前、と呼ばれた少女は自身の指先へ向けていた視線を上げ、何でもないと言うように笑った。

「いや、ごめん何でもないよ!びっくりしてただけ!」

「アンタ、アイツに懐いてるものね」

 懐いてる、と言うのは少女と担任を知る人間からはしょっちゅう言われることで、実際のところ懐いているとはまた違う感情を少女は抱いているのだが、それは誰も知らない、少女だけの秘密だった。

 曖昧な笑顔でそれに返事をした時、がらりと引き戸が引かれ渦中の担任、五条悟が姿を現した。

「お!センセー!噂をすれば何とやら!」

「えー?何なに、僕の話してたの?グッドルッキングガイだって?」

「違うわよ、どれだけ都合良い頭してるのよ。」

「センセー結婚すんの!?釘崎が聞いたって」

少年が好奇心を抑えられない、という顔で担任へ核心を突く質問をする。

「おー、流石野薔薇、情報が早いね。そうそう結婚すんの」

「へー、マジだったんだ!」

担任は少年からの質問に驚く様子は無く、あっさりとそれを肯定した。
恐らく、行く先々で同じ質問に答えてきたのだろう。
五条悟は良くも悪くも常に呪術界の注目の的なのだ。

「もー家が結婚はまだかって煩くってさー」

「でもセンセーが御当主サマなんだろ?」

「決定権は僕だけどね。けど進言するのは自由さ。昔っから年寄り達にせっつかれてきたのを適当にあしらってきたけど、まぁ、僕ももう良い歳だしね〜」

「奥さんていくつなのよ」

「24歳。僕の4つ下」

「え、センセーって28なん?結構歳いってんだね!」

「ちょっとちょっと、聞き捨てならないんだけどー?28歳はまだまだ若いお兄さんでしょうが!」

「私達から見たらオッサンよ」

「オッサンはやめて!」

「……うるせぇ…」

 深い青葉が穏やかに揺れる午後のひと時に、教室内に響き渡る明るい声は正しく青春のひとコマと言えよう。

そんな中少女は1人、曖昧な笑顔で相槌を打ちながら今日ばかりは担任の顔が見たくない、と思った。


 さりげなく逸らした視線の先で、青葉が1枚落ちた様を、少女は己の初恋と重ねて見るのだった。




「なぁんで機嫌悪いの。」

「……悪くないですけど」

「悪いでしょ。目も合わせてくれないし素っ気ないし」

「……反抗期です」

「反抗期のヤツは自分で反抗期って言わないよ」

 少女の初恋が散った日から1週間が経とうとしていた。

誰にも打ち明けられないまま砕けた恋心はバラバラのまま、それでも確かに心の中に居座り続けた。

 担任によく懐いていた少女は、あの日より以前は担任を見掛ければ嬉しそうに駆け寄っていたが、ここ1週間は担任に気付かれないよう、ある日は物陰に隠れ、ある日は不自然な動きで踵を返した。

もちろんそれに気付かない担任では無いが、数日すれば元に戻るだろうと簡単に考えていたのに、元に戻るどころか日を追う事に悪化するそれについに腹に据えかね教室で1人報告書を作成する少女を捕まえたのだ。

「五条せんせぇ〜って走ってこないし」

「私そんなに舌っ足らずじゃないですけど」

「せんせぇ見て〜!ってスマホ見せてこないし」

「私そんなに馬鹿っぽい喋り方してましたか?」

「で、何があったの」

 巫山戯た口調から一転して真剣な色へと変わった声は、少女を教え導く教師のものだった。
少女はそれに酷い不快感と苛立ちを覚えながら小さく溜息を付き走らせていたボールペンを机に置いた。

「先生には関係ないことです。」

「そうは思えないけど。」

「どうしてそう思うんですか。」

「じゃあ何で隠れたり逃げたりするの。」

「……気付いてたんですか」

「そりゃあね」

 最悪だ、と少女は思った。
失恋したという事実だけで最悪なのに、傷が癒えるまでは、と距離を取っていたことが裏目に出て詰められている。

先生には関係ない。

この一言で担任が諦めてくれないことを少女は知っていた。
生徒のことを目にかけているのは身を持って知っているし、そうでなくても子供っぽいところがあることを想像すると"言いたくないなら言わなくていい"と察してくれるとは思えなかった。

だからと言って適当な嘘を吐けば、恐ろしい勘の良さと観察眼から見抜かれかねない。

ほんの数秒、頭の中で唸った少女は徐に口を開いた。

「…失恋、したんです」

「……うん?」

「失恋した日に先生が結婚するって聞いて…その、妬み…?八つ当たり…?」

「なんで疑問形なんだよ」

「……とにかく、そんなところです。変な態度取ってごめんなさい」

「なんか釈然としないなぁ。てか、好きな人居たんだ。全然知らなかった。高専関係者?」

「え…っと、そうですね」

「てことは呪術師かぁ。あ、補助監?」

「いえ、呪術師です」

 嘘は真実を織り交ぜることで真実味が増すのだと言うのは有名な話で、少女もそれを知っていた。

一から十まで全てを嘘ででっち上げては見抜かれるだろうが、要所要所に真実を挟むことで上手く信じ込ませてやり過ごす。
これが少女の思い付いた最善策だった。

「ふーん。年上?それともタメ?」

「年上ですね」

「えー、誰だろ?ヒントは?」

「教えませんよ!」

「良いじゃんケチー。担任として応援してやりたいんだよ」


からりと笑った口元にはいつもの軽薄な笑みは無く、冗談や揶揄の類ではないことが伺いしれる。
それが余計に少女の心を乱した。

「……応援してもらってもどうせ叶わないので」

「そうなの?既婚者とか?」

「そんなところです。」

「ふーん……まぁさ、名前はまだ若いんだしこれからいくらだって恋愛出来るよ」

「どうですかね。そうだと良いんですけど。今のところまだまだ引き摺りそうです。…ていうか、先生こんなとこで油打ってて良いんですか?」

「今日はその報告書受け取って目通したらもう終わり」

「あ、すいません。すぐ書きます」

「いや、いいよ。名前が暇ならもう少しお喋りしよう。」

それは、つい1週間前までは願ったり叶ったりの提案だった。
教鞭を取りながら特級呪術師として全国各地、時には海外までも飛び回る多忙の身。
放課後の教室で漫然とお喋りをしている暇など本来無いのだ。

しかし、その提案は今の少女にとって不都合以外の何物でもない。

「暇って決め付けないで貰えますか」

「あら、何か予定あんの?」

「……無いですけど」

「暇なんじゃん」

愉快そうな笑い声は少女の心をささくれ立たせていく。
いけない、と思っていても、あどけなさの残る血色の良い唇は可愛げ無い言葉を吐き続ける。

「…ていうか、暇なら婚約者さんと電話でもしてれば良いじゃないですか。先生忙しいんだし、コミュニケーションちゃんと取ってるんですか。」

「連絡は一応毎日取ってるよ。て言っても二言、三言メッセージのやり取りする程度だけど。何なに、恋バナ今度は僕の番?」

「恋バナって…まぁ、でもそうですね。私の話より先生の話が聞きたいです。」

「あはは、冗談のつもりだったんだけどな。話しても良いけど、多分つまんないよ」

つまらない事など百も承知だ、と少女は頭の中で独りごちた。

何が悲しくて傷心の原因である男の結婚話を聞かなくてはならないのかとも思ったが、自分の淡い恋心を散らせた男が選んだ女は一体どんな人物なのだろうかという興味が僅かに勝った。


「つまらなくないですよ。先生って私生活謎だから。馴れ初め…はお見合いなんですよね」

「そうそう。僕の4コ下、24歳のイイとこのお嬢様」

「先生は、何でその人と結婚しようと思ったんですか?」

「……そうねぇ…まぁひと言で言うなら、ちょうど良かったから、かな」

「ちょうど、良かった…?」

「前にも言ったけど、年寄り連中からせっつかれんのいい加減面倒だと思ってたんだよね。僕も一応当主として家の存続とか考えてない訳じゃ無かったし。だから適当に良さげな子見繕ってもらって形だけの見合いの席を設けて、ハイ婚約成立って感じ」

「…そんな、簡単に…お相手の方はそれで納得してるんですか…?」

「してるよ。もちろんそれは僕の一存では決められないからね。ちゃんと相手の気持ちは確認したよ」

少女はささくれ立つ心がちくちく痛むのを感じながら崖から突き落とされたような絶望感に打ちひしがれた。

 子供でも無く大人でもない狭間の時間。
柔く脆い心は己を慰める術をまだ知らない。
それ故に、担任と婚約者の強い繋がりを知ることで自分の入り込む隙など無いのだと思いたかった。
そうすることで前に進める、そんな気がしていたのだ。

しかし実際のところ、担任と婚約者の関係は実に淡白なものだった。

その事実は少女を前に進めさせてはくれない。


「……でもそれ、誰でも良かったってことですよね。偶然その人が選ばれただけで、もっと早く似たような条件の良い人とお見合いしてたら別の人と結婚した、ってことですよね。」

「そうなるね」

「それなら……」

──私でも。

その一言が紡がれることはなかった。

 少女の言葉に被せるように、木と鉄で出来た硬い椅子がガタン、と音を立て、担任は立ち上がると緩慢とした仕草で伸びをした。

「そろそろ行こうかな。報告書、出来た?」

漆黒の布の下に隠された双眸が、緩く弧を描いた唇が、威圧感を放っている。

「……言わせてもくれないんですね」

「…僕はそれに応えてあげられないよ。」

「それは教師と生徒だからですか?」

「そうだね」

「じゃあ私が生徒じゃなかったら、私の気持ちに応えてくれましたか」

「……名前が今僕に抱いてる感情はさ、一時的な気の迷いみたいなものなんだよ。身近な大人が魅力的に見えるのは子供にはよくあることでしょ?あと数年もしたら、ちゃんと心から好きだと思える人に出会えるよ」

"気の迷い"、"子供"。
単語のひとつひとつが少女の傷ついた心を抉っていく。
一回りも年の離れた担任からして少女が子供でしか無いことは痛いほど理解していた。
故に少女は淡い恋心をそっと胸に秘め、いつか先生と生徒では無くなった日に想いを伝えようと決めていたのだ。

しかし、担任への甘くて苦い恋心を気の迷いだと否定されることはどうしても許せなかった。
誰に何と言われようとこの気持ちが一時の気の迷いなどでは無いと言い切れる。

 沸々と込み上げてきた怒りのままに少女は思いの丈を全てぶつけてやる、と決心し、担任を見上げた。


「何ですか、それ。勝手に決め付けないでください。狡い逃げ方、しないでください。誰でも良かったら、私でも良いじゃないですか。今は子供でも、あと2年もしたら私は生徒じゃなくなるし結婚だって出来る歳になります。今まで28年間どうにかなったならあと2年くらい、どうにか出来ますよね。あと2年で私、先生に相応しい女になります。だから、私と結婚してください!」

怒りと勢いのままに放った言葉は静かな教室に響き渡る。

驚いたように薄らと開いた唇と、恐らく少女を見ているであろう隠された双眸から少女は目を離さない。

内心、一世一代の告白、否、プロポーズに心臓が口からまろびでてしまいそうなほど緊張していたが、ここで目を逸らしたら負けだ、と己に言い聞かせ瞬きも忘れて担任を見つめた。

数秒間の沈黙が教室を支配し、少女の緊張がピークを迎えた時、担任が小さく声を洩らしたかと思うと声を上げて笑い始めた。

「ちょ、ちょっと!笑わないでください!真剣なんですけど。」

「ごめんごめん。…ふふ、いやぁ、こんな熱烈に告白されたこと初めてでつい、ね。告白っていうか最早プロポーズだけど。ここまで言われちゃ、ちゃんと向き合わないとオマエに失礼だね」

 西日が差し込む教室で、朱く染まった担任の白髪頭を眺めながら少女は、今この瞬間に初恋が本当に終わってしまうのだと思った。

しかし、この想いを告げること無くこっそりと殺していくより、想い人に殺してもらえる方が潔く終われると思うとどこか憑き物が落ちた気がした。


「まずはありがとう。だけど、やっぱり僕はそれに応えられない。」




「なぁなぁ、ジューンブライドって知ってる?」

「何だよ藪から棒に…知ってるけど」

「私も知ってるよ。それがどうしたの?」

「2人とも物知りだなー。いやさ、俺知らなかったんだけど、今日一緒だった補助監サンが、五条センセーの結婚式が6月予定で、ジューンブライド憧れます〜って言ってたから何すかそれって聞いたら教えてくれて!いや〜、センセーも案外ロマンチックなとこあるよな〜」

「それ別にあの人の提案じゃないだろ。そういうの気にしないだろうし何より6月なんて繁忙期だぞ。相手の提案か、なるべく早く済ませたかったのどちらかだろ」

 幼少の頃から担任をよく知る黒髪の少年がため息をつく。

 退紅色の髪の少年が、"でも仕事忙しいのに相手の願い叶えてやんのは優しくね?"と言い切ると同時、もしくは少々被さるようにして引き戸が大きな音を立てて開かれた。

「大ニュースよ、アンタ達!」

 教室に飛び込んできたのは栗色の髪の少女で、いつぞやを思わせる興奮ぷりを見せている。

「聞いて驚け…なんとゴジョセン…婚約破棄!」

「え、え!?」

 衝撃的な一報に最も早く反応したのはつい先日担任への恋心を散らしたばかりの少女だ。

「いや、マジで何で!?俺、今日6月挙式予定って補助監サンから聞いたばっかよ」

「まぁ、私も詳細までは知らないんだどねー。新田ちゃんが言うには『熱烈なプロポーズされちゃった』からとか何とか言ってたらしいわよ。意味不明ね」

 なんだそれ、と言って笑う少年が派手な音を立てて立ち上がった少女に驚くまで、呆れたようにため息を洩らした少年が教室の扉を目掛けて駆け出す少女に驚くまで、先程までの興奮など嘘のように熱の冷めた栗毛の少女が驚嘆の声を上げるまで、あと3秒。

そして、駆け出した少女が担任に詰め寄るまで、あと30秒。

 東京都立呪術高等専門学校。
東京の端に存在する特殊な学び舎に、少女の驚愕と当惑の混ざった声が響き渡ったのは、紫陽花の蕾が開いた立夏のことだった。


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