君と私の相性論

※高専夏油




「──でさぁ、結局ヤッちゃって流れで付き合うことになってー」

「いいじゃん。イケメンだしラッキーじゃない?」

「まぁねー。でもさ、順番逆っていうか。付き合ってからちょっとの間手出されない方が大切にされてるって感じしないー?」

「それはあるわー」

 ガタンゴトン、と大きな音を立てる電車内で彼女達の会話が耳に入ってきたのは、彼女達の声が大きかったせいで私が聞き耳を立てていたからではない。
──と言いたいところだが、連日の寝不足のせいで早々に意識を飛ばしかけた私の耳に聞こえてきた会話は、執拗い睡魔をすっかりどこかへ連れ去った。

 派手な出で立ちの彼女達が話しているのは恋人との夜の営みについてで、公共の場でそんな話をするなんて、と呆れる気持ちもありながら耳を傾けずにはいられなかった。
 何故なら現在私を悩ませているのが"恋人との性生活"についてだからだ。

 3ヶ月前、憧れの夏油先輩に玉砕覚悟で告白した。
十中八九フラれると覚悟していたのだが、奇跡的に付き合えることになり私は浮かれた毎日を送っていた。
夏油先輩は元々優しいし、付き合ったからと言って大きく何かが変わったということはない。
強いて言えば2人きりの時間が増えたこと、手を繋いだりハグをしたりといった軽いボディタッチが増えたこと、くらいだ。
私達はまだキスすらしていない。

恋愛経験の少ない私には次のステップに進むタイミングなんて分からない。
それでも、健全な男女の間に3ヶ月もの間何も起きないというのは流石にペースが遅いと分かる。

 大切にされているのだと思っていた。
心の準備が出来ていないから有難いとも思っていた。
しかし、あまりにも進展しないことに疑問を抱き始め、最近では夜な夜なインターネットを駆使し、
"彼氏 手を出してこない"、"付き合ってからどれくらいでえっち"
などと検索しては一喜一憂するというのが日課になっており、私の寝不足の原因でもある。

任務に支障を来すレベルでは無いものの、あからさまに増えた欠伸や隈は隠しようがなく、彼氏である夏油先輩を始め日頃から何かと気にかけてくれる硝子先輩、同期達にも心配される始末だ。

ちなみに五条先輩には"お前雑魚だから俺らより任務少ねーのに寝不足の意味分からん"と言われた挙句、"ひでえ顔"と笑われた。
全くデリカシーの欠けらも無い男だ。

 このままではいつか任務に支障を来しかねない。
さっさと解決して穏やかな睡眠を取り戻したいのだが、1ヶ月近い入念なリサーチを持ってしても先輩の心理は分からなかった。
1ヶ月も調べて分からないとは、と自分でも思うが、調べれば調べるほどあらゆる可能性が出てくる。

あるサイトには"大切にされている証拠"とあるのに、あるサイトには"魅力を感じていないのかも"とある。

大切にされているとは感じる。
しかし、魅力を感じていないという方がしっくりきた。
だって、いくら大切にしてくれていても、魅力を感じてくれていたら流石にキスのひとつくらいして来やしないだろうか。
夏油先輩はキスすらしてくれないし、そもそも大人っぽい雰囲気になったことすらない。

 このままではいけない、と奮起した私は今日の任務が都心だったのを良い事に某ファッションビルで下着とルームウェアを新調し、今はその帰りなのだ。

 少々派手な下着と可愛らしいルームウェアで部屋に突撃すれば今夜こそは、と意気込みながら再度聞き耳を立てた彼女達の会話は刺激の強いもので、私も行く行くは先輩とあんな事やそんな事をするのか…と想像しているとあっという間に乗り換えの駅に着き、心の中で2人に別れを告げ電車を降りた。




 嬉々として帰寮した私は買い物袋を開封しながら夏油先輩にメールを送った。

無事約束を取り付けた私はシャワーを済ませ買ってきたばかりの下着を着用する。
何としてでも今日着たいと、店員にお願いして未開封のものを裏から出してもらった。

洗濯すら待てないほど必死な訳ではない。
夏油先輩が明日丸1日オフだと小耳に挟んだ時から、勝負を掛けるなら今日だと決めていたのだ。


 袋から取りだした下着は改めて見るとお店で見ていた時より過激な気がして本当にこれを着るのか、と恥ずかしくなるがここでうじうじしていれば進展はない。

意を決して着用し鏡の前に立ってみるが、ボンキュッボンとは掛け離れた私の体型では下着の良さを尽く殺している、気がする。

 小さめの胸に少々(だと思いたい)お肉が乗ったお腹と、大きめのお尻にムチムチ(だと思いたい)太もも。
なるほどこれは先輩の好みでは無いな、と頭を抱えた。

 先輩は女性のタイプを教えてくれない。
名前がタイプだよ、と言って毎回躱されてしまうのだが、実はボンキュッボンなセクシーお姉さんが好きだと私は知っている。

 それはまだ付き合う前、入学してすぐのことだった。
夜蛾先生からの頼まれ事で先輩達のクラスへ行った時、扉に手を伸ばしたタイミングで先輩達の声が聞こえてきて、会話を聞いてしまったのだ。

"私はあの子が好きだなあ"と言って夏油先輩が名前を上げたのは、"奇跡のHカップ"という異名で話題のグラビアアイドルだった。
彼女はスタイルは勿論、顔もよく整っていて、可愛い系ではなく美人系だ。

当時、夏油先輩に特別な感情は無かったが、その会話がやけに忘れられなくて付き合った今となっては度々思い出しては苛まれている。

 そんなナイスバディな彼女が好きだと言うのだから、どちらかと言えば幼児体型な自分の体は魅力を感じて貰えなくても仕方ないよなぁ、と納得すらしている。

 しかし今更悩んだところで胸は大きくならないし、お腹もお尻も脚も1日で締りはしない。
明日から本格的にバストアップの体操でもしてみるか、と思いながら気を取り直して新品のルームウェアに身を包み、薄くメイクをして髪の毛もしっかり整え最後にダメ押しとコロンを振り、準備万端で部屋を出たのだった。





「そういえばその服、新しいよね」

「わ、よく気付きましたね!卸したてです!」

「そっか。可愛いね、似合ってる」

 甘い声で囁いて髪を撫でる先輩に、嬉しいです、と言って頭を擦り寄せてみる。
私の頭に腕を回して優しくポンポン、と叩いて、そのまま無言の時間が流れはじめた。

「……ねぇ、今日香水つけてる?」

「はい。あ、臭かったですか…?」

「いや、凄く良い匂い。部屋に来た時からいつもと違うなって気付いてたんだけど、近くで嗅ぐともっと良い匂いだね」

鼻を鳴らして微笑んだ先輩の顔は何だか色っぽい。
ついに今日、その日を迎えるの…!?と期待に満ちる私だったが、突然顔を離すと何もなかったかの様に五条先輩がやらかした話をしはじめて、少し、いやかなりショックを受けた。

 ここまで良い雰囲気になったのにキスのひとつすらしてくれないなんて本当に魅力を感じていないのでは、と虚しくなり、気を抜くと涙が滲んでしまう気がして下を向いてひたすら堪えた。
先輩にはその様子が眠気を堪えているように見えたのか、

「名前…?眠くなっちゃったかな?もう良い時間だしそろそろお開きにしよう」

と言って穏やかに笑った。

いつもならここで素直に頷き部屋に戻り、日課のネット検索でもしていたことだろう。
しかし今日の私はそんな生半可な気持ちで先輩の部屋へ来たわけではない。

都心のお洒落上級者達に混ざり、ちょっとダサい制服のままファッションビルで下着屋に入り、店員にあれこれ聞き出されながらやっとの思いで下着とルームウェアを買ってきたのだ。

 改めて決意を固めた私は夏油先輩を見上げながら袖をくい、と引っ張る。
こういった男が弱い仕草も、毎夜のネット検索の賜物だ。
甘えたい時、もう一押しという時に使うと良いと書いてあった。

「…名前?」

「…今日は泊まっていっちゃダメですか?」

「……ごめんね。明日任務で早いから、」

「…明日は丸一日任務が無いの、私知ってますよ」


 静まりかえった室内に時計の針の音だけが響いている。
先輩は決して鈍いタイプではないので、きっと私がどんなつもりで言っているのか分かっているのだろう。

小さく溜息を吐いた先輩は、いつもより少しだけ低い声で話し始めた。


「……ねぇ、自分が何言ってるか分かってる?」

「…分かってます…」

「本当に?男の部屋に泊まるってことが何を意味するか、分かってるの?」

咎めるようなその言い方に悪いことでもしたような気持ちになってきて居た堪れなくなる。

何を意味するのか、なんて勿論理解しているが、理解しているということはそういう事をしたいと言っている様なものだ。

はしたないと引かれたかもしれない。
貞操観念が低すぎると呆れられたかもしれない。
めんどくさいと思われたかもしれない。

嫌な想像が膨らみ、目元に熱が集中していくのを感じた。

「…ごめん、怖がらせたね。名前がお泊まりしたいなら、手は出さないって約束するから泊まっていってもいいよ」

怖がってなんかいないしそんな約束しなくて良い。そう言いたいのに、羞恥や悲しみや焦りや怒りやら、色んな感情がごちゃ混ぜになった私は何も言えず、その代わりに堰き止めていた涙が溢れてしまった。

「ふ、ふぅ…う……」

「え、え?!ちょ、ちょっと待って何で泣いてるの…!?そんなに怖かった?!ごめんね、本当に手出さないって約束、」

「ち、ちが!ちがう、んです…!っ…ぅう…わ、わたし、そんな、そんな魅力無い、ですか…?!」

嗚咽混じりの言葉を上手く聞き取れなかったのか夏油先輩はきょとんとしていたけど、数度瞬きをすると目元を手で覆って大きな溜息を吐いた。

「……勘違いだったら申し訳ないけど、もしかして私が手を出さないこと、気にしてる…?」

最早言葉にするのも恥ずかしくて、こくりと小さく頷くことが精一杯だった。

"手を出さなかったのは名前のことが大切だからだよ"と言われれば良いが、万が一"名前のことはあんまりそういう目で見られない"などと言われてしまったら。
想像するだけで胸がぎゅっと痛んだ。

「……何か勘違いしてるみたいだけど─」

先輩の言葉を待つ時間はやけに長く感じて、やっと口を開いたと思えば顔を上げるより早く座っていたベッドに押し倒され、鼻先が触れ合いそうな程の至近距離で視線が絡んだ。

「ねぇ、私がどれだけ我慢したか君に分かる?名前は経験が無いって硝子に聞いたから怖がらせたくなくて、そういう雰囲気にすらならない様にしてたんだよ?」

「え……先輩、私がこんなだから、その、そういう気になれないんじゃ、」

「あのね…私はずっと触りたくて仕方なかったし我慢するのに必死だったよ。なのにまさかそれが君を不安にさせてるなんてね……ねぇ、今まで頻繁に部屋に来てたのも今日のその可愛い格好も、もしかして誘ってくれてた?」

「!さ、誘うって言い方はなんかストレート過ぎて嫌です!」

「さっきは"泊まりたい"なんてどストレートに誘ってくれたのに?」

「や、やだ!恥ずかしい!黙って先輩!」

「ふふ、そのお願いは聞けないなぁ。」

「うわ、出た意地の悪い笑顔!」

「意地の悪い私は嫌い?」

「す、好きですけど!」

「はは、私も名前のこと好きだよ」

「そ、そりゃどうも…。はぁ、何だかホッとしました」

「ん?」

「いや、先輩ってちゃんと私に興味あったんだなぁって知れて安心しました」

「あるに決まってるでしょ。彼女なんだから」

「…そうなんですけど、前言ってたじゃないですか、あの"奇跡のHカップ"とか言われてるグラビアアイドルの子が好きだって。」

「え、何でそれ知って…」

「前に先輩達が話してるのたまたま聞いちゃったんです。私、あんなにおっぱい大きくないし、スタイルも良くないし…先輩のタイプじゃないよなあ、って。でも先輩は優しいから、私の為に付き合ってくれてるのかなぁ、とか考えちゃって…」

「待て待て待て。名前は私のタイプだよ?それに私は好きでもない人と付き合ったりもしないよ?
アレは悟がしつこくグラビアの中なら誰が好きなんだって聞いてくるから、その…笑った顔が、ちょっと名前に似てるから…それであの子の名前を挙げただけで…」

「え?え、何ですかそれ、初耳です」

「…そりゃ誰にも言ってないからね」

「……てことは先輩、あの時から私のこと、」

「可愛いなって思ってたよ、初めて見た時から」

「ちょ、ちょっと、もっと早く言ってくれれば良かったのに…!私、てっきり先輩は私に興味が無いもんだと思ってました…」

「前から名前がタイプだよって言ってたじゃないか」

「そうですけど…でもあの話聞いちゃってたのもあるし、あと五条先輩がよく『傑って胸より尻派らしいぞ』とか『傑がイイって言う女優とか皆綺麗系だぞ』とか言ってくるものだから、私の事タイプって言ってくれても信じられなくて…」

「……へぇ。悟がそんなことを?」

夏油先輩の顔には明らかに怒りが滲んでいて、五条先輩は明日にでも夏油先輩に怒られるだろう。
まぁ、これはいつも私にちょっかいを掛けてくることへの仕返しってことで、告げ口したことにバチは当たらないはずだ。

 夏油先輩がちゃんと私のことが好きで、キスやその先をしてくれなかったのは私を大切に想ってくれていたからだと知れて安堵したのか、あんなに今日こそは次に進むと意気込んでいたのに、何だかどうでも良くなってきた。

というか、むしろ我慢してくれていたのだと思うと嬉しい反面恥ずかしくもなってきた。

誘ってくれてたの?なんて言われたあとで今ルームウェアの下に着ている、背伸びした感を否めないセクシーな下着を見られでもしたら、それこそ羞恥で死ねる。

先輩は相変わらず五条先輩に怒っているようだったけど、今はむしろそれが有難い。
自分から泊まりたいなんて言っておいて何だけど、今日はやっぱりこの辺で帰らせてもらおう、と言い出すタイミングを見計らっていると、
先輩がにやりと口角を上げた。

「あれ?どうしたの?まさか帰るなんて言わないよね?」

「あー、えっと…明日朝早いことを思い出して…」

「へえ?任務?」

「はい、まぁ、そんなとこです」

「ふぅん?明日名前は1日空きだって聞いたんだけどなあ」

「え?!だ、誰に」

「はは、誰にだろうね」

「ちょ、まさかカマかけました!?悪い顔して…!酷いです!」

「失礼だなぁ。自分からお泊まりしたいだなんて言ってその気にさせておいてお預けさせる方がよっぽど酷いと思うけど。ほら、男の部屋に泊まるってことが何を意味するのか教えてあげるよ」

「分かってますから結構です!」

「ふふ、遠慮しないで。今まで不安にさせちゃったお詫びさせて」

そう言って楽しそうに笑う先輩の目の奥には確かな熱が宿っていて、長い夜の始まりを感じたのだった。



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