後悔する暇をください




 その時の私は、明日の食事を心配する程お金に困っていた。

 どうしてそんなにお金に困っているかと言うと、大した理由はなく単純にお金の使い過ぎ。

今月のクレジットカードの引き落とし予定額は一介の補助監督のお給料では到底余裕を持って払える額ではなく、こんなに使ったっけ、と焦ったが思い当たる節はある。

 所謂推し活だ。
先月はイベントにグッズにと供給が多く、時間があればイベントに足を運んだし仕事の都合で参加出来ない時は推しへ課金することで憂さを晴らした。

そんな訳で、自分自身の無責任な行いにより支払いすら危ういという親元を離れてから1、2を争う危機に陥ってしまったのだ。

ひと月分の生活費を賄う程度の貯金すら私には無い。
補助監督としての稼ぎは一般的な職に就く同世代に比べたら多い方だが、宵越しの銭は持たない主義だ。
……と、格好付けてみるが、結局は将来設計が上手く出来ていないだけの、散財癖があるだけのろくでなしである。

自分を卑下していてもお金は生まれない。
少しでも貯金しておけば良かった、と後悔しても後の祭りだ。

さてどうしたものかと思案した結果、ピンチを乗り切るまで副業をするという結論に至った。



 短時間で稼げて時間に融通が利く仕事といえば水商売を思い付く人は少なくないだろう。
かく言う私もその1人で、思い付いたそこからの行動は早く、高専関係者には見付からなさそうな、だけど家から差程遠くもない地域でお店を見付け、体験入店を経てキャバ嬢デビューを果たした。

空いた時間に、などと悠長なことは言ってられない状況で、仕事があった日も休みの日も時間を作っては働いた。
睡眠を犠牲にして働いたおかげでその月の生活費はどうにかなったが、お給料の良さや働き易さから出勤するペースは落としたもののダラダラと働き続け、気が付けば3ヶ月が経っていた。

 意外にも私は水商売に向いていたようで、働き出してすぐに指名を貰えるようになり、今は不規則な出勤の割に稼がせてもらっている。

待機席で手帳を開き今月の売上を計算し、もういっそ補助監督辞めてキャバ嬢一本でやった方が稼げるな…なんて思っていると黒服に声を掛けられた。

「名前さん、ご指名です。」

出勤して数分、早速の指名。
だけど今日は特に来店予定のお客さんは居なかったはずだ。

「お一人様で新規のお客様なんですけど、名前さんのお知り合いですか?」

「え、いや…知り合いではないと思います。私がここで働いてることは誰も知らないですし…」

高専関係者への身バレ防止の為にお店のHPやSNSに顔はもちろん、名前すら出さないようにしてもらっているので新規のお客さんが私のことを来店前に知ってることは無い筈だ。

まさか副業がバレて高専関係の人が来たとか…?いや、無い無い。うん、それは無い。
だって仲の良い友達にすら副業のことなんて話して無いし、完璧に隠せている筈だもん。

 なんて能天気に考えていた数秒前の私に、今すぐ適当なこと言って更衣室にでも隠れろ!と忠告してやりたい。



 席に近付くにつれてお客様の風貌が見えてくる訳だが、遠目にもよく目立つ白髪頭が目に付いた瞬間、私は色々なことを悟った。

仕事終わりでそのまま来たのか仕事着にアイマスクをしたいつもの不審者スタイルでソファに座るその男は、同じ呪術高専で働く同僚であり学生時代の先輩でもある五条悟だった。

その姿は薄暗い店内では不審者感を増長させており、私を五条さんの隣に座るよう促すやそそくさと去っていく黒服の背中を見ながら、まぁ気持ちは分かるよ…と勝手に同調する。


「……こんばんは。お隣失礼します。名前です。ご指名ありがとうございます。」

「え、何なに。そういう感じ?この期に及んで誤魔化せると思ってんの?ウケる」

無駄な抵抗だと分かっていても素直に降伏してやる気にはなれなかった。

五条さんは絶対確信があってここに来たのだろうし、一応約10年にも及ぶ付き合いだ。
普段より派手なメイクに髪型、ドレスを身に纏っていたとしても気付かれない訳がない。

それでも一縷の望みを掛けて他人のフリをしてみたが、ウケるの一言で片付けられてしまった。

何がウケるだ、何もウケないんだよこっちは。
と頭の中で毒を吐きながら、大きな溜息と共に五条さんの隣に腰を下ろした。


「…こんな所で何してるんですか。」

「いやー、オマエ最近ご飯誘っても断るし、なんかつれないなーと思ってちょっと調べたらこんな所で働いてるから心配で見に来ちゃった。」

僕って優しー!と言いながら握った両手を顎に添えた五条さんは今年で29歳、立派なアラサーだ。

それなのにきゃぴきゃぴという効果音が聞こえてきそうなほど様になっている。
五条さんの、神様の最高傑作のようなかんばせが今は非常に腹立たしい。

「調べたってなんですか!怖いですよ!ていうかこのこと高専には、」

「言ってないよ。まーでもウチも副業は一応禁止だからねぇ。知っちゃった以上、報告の義務はあるし?」

「そ、そこを何とか!知らなかった事にしてくれませんか!?」

「えー?どうしよっかなぁ……ま、黙っててやらないこともないけど、タダって訳には、ねぇ?」

にやり、と形の良い唇が弧を描くのを見て、一番バレたらまずい人にバレてしまった、と顔が強ばっていくのを感じる。

「交換条件ですか?…私、五条さんが欲しがるような物買えるほどお給料貰ってないんですけど…」

「物じゃねーよ、自分で買えるわ。」

「えぇ、じゃあ何ですか?」

「僕の彼女になって。あ、あと僕お酒飲めないから適当にソフドリ頼んでくれない?」

「え?あ、え?…っとそういえば飲み物まだでしたね、すみません。」

お願いします、と手を挙げ黒服を呼び、コーラを注文する。

「……じゃなくて!何ですか彼女になってって、しかもそんな、軽く言うことじゃなくないですか…?」

「何、もっと重ーい感じで言われたかった?ムードとか気にするタイプ?」

「そりゃムードは大切ですよ、ってだからそうじゃなくて!五条さんって私のこと好きだったんですか…?」

「うん。結構態度に出してたつもりなんだけど。」

嘘でしょ。
一体全体、今までの態度のどこに私への好意を出していたつもりなのだろうか。

「マジで気付いてなかったの?多分、オマエ以外の周りのヤツらは皆気付いてると思うよ。」

鈍感すぎない?と小さく呟いた五条さんに、鈍感という言葉の意味を私は間違えていたか?と頭を悩ませてしまった。
だって、五条さんの私に対する態度は高専時代から変わらず少し冷たくて意地が悪い。

嫌われている訳ではないことは分かっていた。
五条さんは自分に近しい人間には少しぶっきらぼうになるところがあるので、学生時代を共に過した数少ない後輩として私のことも懐に入れてくれているのだと思っていた。

これまでの五条さんとのやり取りを思い出してみてと、やっぱり私に好意を抱いているとは考えられない。
私が鈍感とかでは無くて。


「……タチの悪いイタズラですか?罰ゲームで告白とかやめてくださいよ。もういい歳なんですし…」

「オマエ本っ当に、そんな鈍感でよくここまで生きてこられたね。奇跡だよ。」

「いきなりの罵倒」

ハァー、と特大の溜息をついた五条さんが徐にアイマスクを外した。

その真剣な眼差しは冗談を言っているのではないと伝わってくる。

しかし、真剣な方が困るのだ。
冗談だと、いつもの調子で揶揄われた方がよっぽど良い。

現実逃避をするように久しぶりに見た美しい瞳をぼうっと見詰める。
相変わらず宝石の様な、空のような、海のような、この世の綺麗なもの全部を詰め込んだような瞳をしている。


「で、どうする?僕と付き合うか、このことを高専にバラされてクビになるか。」

「お、脅しじゃないですか…!相変わらず性格の方が終わってらっしゃる…」

「ひど。でも性格以外は超完璧なグッドルッキングガイだよー?悩むまでもないんじゃないのー?」

「わ、分かりました。分かりましたから高専には言わないって約束を」

「分かったってことは?」

「お、お付き合いを…お願いします…」

「オッケー!じゃ今日から僕は名前の彼氏で名前は僕の彼女!てことでお店も今日で辞めてね」

「え!辞めるんですか?」

「当たり前でしょ。知っちゃった以上容認出来ないし、第一彼女がこんなとこで働いてて良い気持ちな訳ないでしょ。」

「た、確かに…あ、でも流石にもう決まっちゃってる出勤分は出させてください。お世話になったお客様やお店に不義理な辞め方はしたくないので…」

「……お前って律儀なとこあるよね。ま、そういう事ならいいよ。決まってる分のシフト教えて。」

「あ、ありがとうございます!でもシフト知る必要あります?ちゃんと約束は守りますよ?」

「約束守るか心配してんじゃなくてさぁ、普通にお前が出勤する日が知りたいの、心配だから。それくらい言われなくても分かれよ。」

なんか今の会話恋人っぽい。と思ったが、口に出したら"ぽい"じゃなくて恋人でしょ、と五条さんの機嫌を損ねそうなので、大人しくハンドバッグの中からスマホを取り出しシフトを送った。

「シフト、送りました。」

「んー……お、結構入ってるねぇ…。」

「今月は来てくれるって約束してるお客さんが多くて…」

だから普段より多くシフトに入っていたし、急遽出勤出来る日も少しはあるだろうからそれも含めたら今月はかなり稼げる、とウキウキしてたのに。
五条さんのせいで計画が台無しだあ、と少し恨みを込めてそちらを見ると、五条さんは真剣な顔でスマホと向き合っていた。

「とりあえず、名前の残りの出勤日は出来る限り僕も来るから」

「は、ええ?嫌ですよ、ていうかそんな時間ないでしょう?」

「時間なんて作ればいい。本当は今すぐにでも辞めて欲しい所なのにオマエの気持ちを汲んでやったんだからこれは譲らないよ。」

「…分かりました。じゃあそれでいいです。」

「明日も出勤だよね、何時から?」

「明日は20時から出勤しようと思ってます。」

「了解。じゃ僕もなるべく20時にはお店来られるようにするから」

「あの、無理に来なくて全然大丈夫ですからね?任務が長引いたり疲れてたりしたら全っ然来なくて大丈夫ですからね?」

「何それ僕に来て欲しくないみたいじゃん」

当たり前じゃないですか。
来て欲しい訳ないじゃないですか。
とは言えず曖昧に笑って誤魔化す。

「そうじゃなくて五条さんのお体が心配なので」

「へえ?まあその辺の心配は無用だよ、僕体力あるし」

これ以上何か言っても無駄だと悟り、諦めることにした。

物の考えようによっては、気心の知れた五条さんと普通に話してるだけでお金が稼げるなんてラッキーだ。

そうとでも思わなければ、学生時代からの先輩でありどういう訳かたった今恋人になった男に監視されながら接客するなんて憂鬱過ぎる。

 手持ち無沙汰を誤魔化すように水滴が滴りはじめたグラスを拭きコースターに置き直すと、ドリンクメニューを広げた五条さんと目が合った。

「そういえば名前飲み物まだ頼んでなかったね。何飲む?」

「いいんですか?ありがとうございます」

メニューを手渡してくれたが私がこのお店で頼むドリンクは決まっている。
ジンジャエールに泡を乗せただけのシャンディーガフに見せ掛けたもの。

翌日の仕事に支障を来さないよう基本的にお酒は飲まないようにしているのだ。

「あ、じゃあシャンディーガフを頂いてもいいですか?」

「もちろん。でもそれお酒だよね?明日大丈夫なの?」

「ここだけの話なんですけど、実はジンジャエールの上に泡を乗せただけのほぼソフトドリンクです。本業に支障を来す訳にはいかないのでお酒は基本飲まないようにしてます。」

「へえ。その辺はちゃんと気使ってんだね。てかさぁ、お酒は別に飲まなくてもいいからボトル入れなよ」

「いやいやいや!それは出来ませんって。」

革張りのメニュー表を指した五条さんはサラリと言ってのけたが、ここにあるお酒は当然どれも高い。

もちろんそれを知っての提案だろうし、五条さんはとんでもないお金持ちなので仮に店に置いてあるボトルを全部入れたってあっさり払えるだろう。

しかし五条さんは無闇に奢ったり変なところでお金を使うタイプではない。
学生の頃なんかはよくジュースやファストフードを掛けた勝負に巻き込まれていた。

「なんで?お金必要だから副業してるんでしょ?別に僕が必要な分直接渡してあげてもいいけど、それじゃ嫌がるでしょ」

「それは嫌ですね…てか五条さん、そういうタイプじゃないじゃないですか。無駄なお金は使わないっていうか。
それに、元は生活に困って始めた副業ですけど、今は特に困ってる訳じゃないので…だからボトルとか入れて貰わなくても大丈夫です」

「ふぅん。まぁオマエがそう言うなら無理に入れないけど。」

渋々ではあるが納得したらしく、それ以上その話になることはなかった。

 こんな所で何を話せば良いのだろう、と戸惑う私を知ってか知らずか、五条さんはいつもと変わらない様子で、やれ誰々がこんなことを言っていたとか任務先でこんな事があっただとか普段と変わらない会話が続いていた。

適当に相槌を打ちながら、付き合う云々という話はやっぱり冗談だったのでは無いかという気になっていた。
恋人になったばっかりって、もっと甘い時間が流れるものじゃないのか。

 そんなことを考えているうちにあっという間にワンタイム、50分が経っていたようで黒服が此方に歩いてくるのが見えた。

「失礼します。お時間ですが、延長はどうなさいますか?ちなみに名前さん、他で指名が入ってしまったのでヘルプの女の子と交互に着く形になってしまうのですが…」

「…へぇ。延長でお願いしても良いかな。それと、今日コイツが上がる時間まで僕居るからこの後は確認来なくて大丈夫だよ」

「かしこまりました。延長ありがとうございます。失礼します。」


そんな気はしていたけど。
していたけど、やっぱり他のお客さんについてる所、見られたくないなぁ。

 被りのお客様が居る場合、お店に余裕があれば近くの席に通すことは無い。
今はそこまで混んで居ないしサッと見回した所見覚えのある顔は無いので、きっとこの席から少し離れた所に通したのだろう。
一先ずは安心だ。

 それから5分程してやってきた黒服はヘルプの女の子を連れていて、行ってきますと一言残して席を立つ。

ちなみに五条さんは"ん。"と声を発しただけで特に何を言うでも無かったが、機嫌が良いわけでは無さそうだった。



 黒服に案内された席には私の一番のお客様が座っていた。
私が出勤する日にはほぼ必ず来てくれているのだが、今日は仕事で行けそうにないと連絡があったので来ないものだと思っていた。

「え!茂部モブさん!こんばんは、来てくれたんですね!」

「うん、夢ちゃんに会いたくてね、仕事頑張って終わらせたよ。」

「わあ、嬉しいですっ。ありがとうございます!」

茂部さんは常識があって飲み方も綺麗で、着いていて楽な人だ。来てくれることは素直に嬉しい。

一度にデカい金額を使ってくれる人ではないが、出勤の度にほぼ毎回来てくれるというのはとても有難かった。

 ハウスボトルの安酒で作る水割りは、すっかり茂部さん好みの配分で作れるようになった。
飲みなよ、と促してくれた茂部さんのお言葉に甘えてシャンディーガフを注文する。

氷がたっぷり入れられた薄めの水割りと、シャンディーガフのフリをしたジンジャエールで乾杯をすると、いつものように他愛もない話が始まるのだった。


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