馬乗りになってルッチの太い首に指をかける。首を絞められるのと同じ体勢なのに、ルッチは微動だにせず笑うだけだ。

「今ならお前にも勝ち目があるかもな」

この体勢でも勝てるという自信の現れなのか、それとも自分がスパンダムの命令以外の殺しをしないと知っているからなのか。余裕を保ったままのルッチに、苛立ちが募る。

「お前のせいで、」

怒りからか首に回した手に力が入る。それでもルッチは笑ったままだ。真っ直ぐとこちらを見つめる翠の目に、ぎしり、と心臓が軋んだ。
こんなもの知らなかった。知らないままで良かった。知りたくなどなかった。けれど、知ってしまった。

「私にとって世界とはスパンダムさんのことです。なのに」

ぽたり、とルッチの顔に水滴が落ちた。そこで初めて自分が涙を流していることに気づく。ツキノにとって感情とはスパンダムに教えられ、与えられたものだけだ。だから泣くなんてことも悲しいと思うことも必要なく、今までで一度も無かった。そうだったはずなのに。

「あんたのせいで最悪ですよ。世界にスパンダムさん以外が居ると知ってしまった。こんなものも知ってしまった」

全部ルッチのせいだ。ルッチを前にするといつだって自分が自分で無くなっていく。ツキノにとってスパンダムから与えられたものが全てだったのに。この男は軽々とそれを壊してしまう。
止まらない涙を乱暴に拭って、ルッチの頬に触れる。そのまま厚い唇に口付ければ、目の前の翠が初めて戸惑いに揺れた。

「ねぇ、ルッチ。わたし、あなたに恋をしてしまったみたいです」
「ハッハッハッ」

囁きにすらならないほとんど吐息に近い声。けれど、ゾオン系の能力者にははっきりと届いたらしい。ルッチが笑いながら上半身を起こしたと同時に、体勢を入れ替えられる。

「5年だ。5年、待ったぞ」

ようやく欲しいものが手に入ったのだと言わんばかりの、まるで子供のような顔にツキノの心臓がまた軋んだ。自分の存在意義を全て壊され、唯一だった世界を壊され、許せないのに。目の前の男を直ぐには殺そうとは思えない程、ツキノはルッチに絆されてしまっていたのだ。
思えば、ツキノを真っ直ぐと見つめてくれるのも、濁りのない感情を向けてくれるのもスパンダムとルッチだけだった。

「わたしを人にしたんです。責任、とってくださいよ」
「おれもお前みてェな女に惚れたんだ。お互い様だろ」
「ほんと、2人してバカみたい」

ルッチの指がツキノの頬に触れた。人を簡単に殺してしてしまえる美しい指が、壊れ物を扱うように頬を撫でる。
恋も愛も知らなかったバケモノにこんなものを教えたルッチのことは、一生許せそうに無かった。


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