冨岡家の日常

「おはよー…」
「おはよう。早いな」
「うん、今日雨だから…」

大きな欠伸をしながら眠そうに目を擦り、危なかしい足取りで洗面所へ向かう。姿が見えなくなると同時にガシャーンと何か大きな音がした。大丈夫だろうか。名前が朝に弱いということは、一緒に暮らし始めて初めて知ったことだ。

以前名前に聞いたが、雨の日は特に髪を整えるのに時間がかかるらしい。酷いくせ毛だからとかなんとか。それ以外にも、化粧をしたり身だしなみを整えたりするのに女性は本当に忙しい。つくづく頭が下がる。せめてもの労いに美味しいコーヒーを準備する。

「わー、コーヒーのいい匂い」

ちょうど朝食の準備が終わった頃に名前はリビングに戻ってきた。そこにはいつもの名前がいた。どうやら完全に目覚めたようだ。小さな2人がけのテーブルにそれぞれ座り、いただきますと手を合わせた。

「あれ、義勇さん準備は?」
「俺は今日はリモートだ」
「そっか」

外では雨の降り続く音。部屋の端のテレビには、行き交う人々が皆傘をさしている映像が流れている。こんな日に自分だけ家にいられるのが申し訳ない。準備に時間がかかるのだから尚更だ。

「じゃあ今日の夜ご飯の準備、義勇さんにお願いしていい?」
「もちろんだ、任せろ」
(たぶん鮭大根だろうな)
(そうだ鮭大根にしよう)

頭の中で夕飯の献立を考えていると、コーヒーを飲み終えた名前が立ち上がった。

「今日は雨だから少し早く出るね」

腕時計をつけながら玄関に向かう名前を見送る。靴箱から出したのは、この間の休みに一緒に買いに行ったレインブーツだった。嬉しそうにそれを履く名前に、自然と笑みが溢れる。

「じゃあ、行ってきます」
「ああ、気をつけて」

名前の姿が見えなくなるのを確認して静かにドアを閉める。2人で暮らす前はいつもこうだったはずなのに、今は家に1人でいると少し寂しく感じてしまう。それほどまでに大きくなった名前の存在に、改めて幸せを感じるのだった。


・・・・


義勇さんが家で待っているのだと思うと、もう早く帰りたくてたまらない。なんとか定時で上がれるように、今日は仕事も頑張ったし、あとはパソコンをシャットダウンするだけだ。

「お疲れ様でした!」

画面が暗転したのを確認して、私は小走りで会社を後にした。

ビルの外に出るとまだ雨が降っていた。義勇さんの働くオフィスもここから歩いてすぐなので、前はよく待ち合わせして帰っていたっけ。最近はお互いにリモートだったり時差出勤が多くなって、一緒に通勤したり帰ったりすることもなくなってしまった。それでも、義勇さんが待っててくれる家に帰れるというのは、それはそれで嬉しいのだけれど。

定時で上がれたよ
今電車に乗りました

下りの電車に乗り込んで、窓際に立ち義勇さんにメッセージを送る。窓の外の景色を見ているとすぐに一言、了解とだけ返事が返ってきた。夜ご飯、鮭大根かなぁ。短いような長いような家までの道のりを、義勇さんのことを考えながらやり過ごす。最寄駅に着いても、まだ雨は降り続いていた。

「ただいま」

玄関の扉を開けるといい匂いがした。キッチンに立つ義勇さんが振り返って早かったなと笑った。隣に立つとお鍋の中には、

(やっぱり鮭大根だ)
「腹減ってるか?」
「減ってる!着替えてくるね」

部屋着に着替えて戻ってくると、テーブルの上にはおいしそうな夕ご飯が並んでいた。

義勇さんは優しい。前からそうだったけれど、一緒に暮らし始めてからはさらに穏やかになった気がする。私のおかげ?…なんて、でも、ほんの少しでも義勇さんがそんなふうに思っていてくれたら、嬉しいんだけど。

「ふふっ、いただきます」
「どうした?」
「ううん、なんでもないよ」

こんな毎日がこれからもずっと続きますように。不思議そうな顔をする義勇さんを見ながら、幸せだなぁと思った。


(201128)