鬼の体が無くなるのを確認して、真っ白な雪の上に大の字で寝転がった。油断した。最後の最後で胸に深い傷を負ってしまった。呼吸を整えなきゃと思うけど、上手く息ができない。あ、これやばいやつだ。私たぶん死んじゃう。
一人で任務に来ていた。この間冨岡さんと一緒に任務に当たったこの辺りの雪山。冨岡さんと一緒の時に強い鬼は倒したんだけれど、まだ鬼の被害が続いていると報告があって、わざわざ冨岡さんが行くまでもないですからって、今度は私一人で大丈夫だって。
「ごほっ、」
深く息を吸うと体中が痛い。咳き込んだ拍子に口の中に血の味が広がる。やばいなぁ、冨岡さんに怒られちゃう。お前はいつも最後に油断するって。冨岡さんと一緒のときも最後に足挫いちゃったし。
冨岡さん、冨岡さん、冨岡さん。死ぬ間際になって気がつくなんて。いつの間に、こんなに冨岡さんのことばかり考えるようになっちゃったんだろう。これから死ぬっていうのに、馬鹿みたいに冨岡さんのことしか考えられない。あの日の帰り道、ちゃんと頷いとけばよかったな。
「名前!」
やばい。幻聴まで聞こえてきた。冨岡さんが私の名前を呼ぶ声が聞こえる。声が聞こえたと思ったら、今度は体が宙に浮いたように軽くなった。目の前には、冬の冷たい空気に靡く綺麗な髪と、綺麗な横顔が見たことない形相に歪んでいた。
「ほん、とに…冨岡、さん…?」
「いいから喋るな!」
温かい。そう、冨岡さんは温かいんだ。冨岡さんの腕の中で安心してしまった私は、そのまま意識を失ってしまった。
・・・・
目を開けると白い天井。天国ってこんな感じなんだ。いや、地獄かも?体を起こそうとすると、鬼に切られた胸の辺りが確かに痛い。
「気がつきましたか?よかったです」
振り返ったしのぶさんがそう言った。私、生きてるの?しのぶさんはにこやかないつもの笑みでこちらにやってきて、ベッドに寝ていた私を抱き起した。そして胸の傷に優しく指を這わせる。
「かなり深い傷でした。縫合しているのでしばらくは絶対安静です」
「はぁ…」
「あの辺りには外科手術の出来る医者はいませんからね、あなたを抱えて必死に走って帰ってきたんですよ」
その言葉で思い出す。意識を失う前、冨岡さんが助けに来てくれたような気がしていた。あれは気のせいじゃなく、本当だったんだ。
「失血の量からして、本当に間一髪のところでした。よくお礼を言っておいてくださいね」
しのぶさんはそれだけ言うと、部屋を出てどこかへ行ってしまった。しばらく何も考えずにぼーっとしていると、入るぞと声が聞こえた。誰の声かなんて、考えなくてもわかってしまう。扉を開けて入ってきたのは間違えるはずもないその人だ。冨岡さんはそのままこちらに歩いてきて、ベッドの端にストンと座った。とても優しい目をしている。ぽんぽんと、冨岡さんの大きな手が私の頭に触れ、反射的に涙がポロポロと零れた。
「冨岡さぁぁんっ!」
ぎゅぅっと冨岡さんにしがみつくように抱きつくと、今度は優しく背中を撫でてくれた。嗚咽にまみれて子どものように泣く私を、冨岡さんはただ抱きしめてくれていた。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ…!」
「わかってる」
「冨岡さん…っ」
胸の傷が痛む。それ以上に、傷の奥にある心が痛い。胸から顔を離し冨岡さんの顔を見上げると、その深い碧い瞳に私の顔が映り込む。冨岡さんは涙でぐちゃぐちゃの私の頬を優しく拭い、そっと髪に指を通す。
「名前」
「はい…」
「責任を取ると言ったな」
髪を梳いていた長い指は、また滑らかに頬に触れた。私は冨岡さんから目が離せないでいた。この部屋だけ時が止まってしまったようだ。
「俺の為に生きてくれ」
嗚呼、その瞳が、その手が、私を掬い上げてしまったんだ。その言葉に私はまた冨岡さんの胸に顔を埋め、何度も何度も頷いた。
幸せになるんだよと、優しい声が聞こえた気がした。
(201220)