※ハリポタパロ
※日吉→レイブンクロー、財前→スリザリン


「もう消灯時間は過ぎてる。見つかったら罰則になるぞ。」
聞き覚えのある声だった。首だけで振り返ると、青いローブを纏った男が出入口に立っていた。ヒヨシ――レイブンクローの監督生。ザイゼンに話しかけてくる、数少ない生徒だ。
「お前も。」
「俺は見回りの最中だ。」
一年生の頃から常に学年トップを守ってきたこの男は、五年目の新学期に監督生バッジをもらっていた。それには誰もが納得していたし、教師も迷うことなどなかったに違いない。贔屓などせず、物事を公平に見るヒヨシは、誰よりも監督生になるに相応しいと思われていた。
ヒヨシは教室の中に入ると、ザイゼンの目の前にあるものを見て顔を顰めた。
「これを見て、満たされるものなんか無いだろ。」
それを遠目から見ただけで、何であるかがわかったようだった。月明りしか光源のない場所で冷静に分析できるとは、ヒヨシには魔法道具を分析する才能が十二分にあるらしい。
「優秀なやつはちゃうな。」からかうとヒヨシは呆れたような顔をした。
「知ってさえいれば誰だってわかるだろう。……こんな文章が書かれているのは、みぞの鏡以外に無い。」
みぞの鏡―きっと本当の名前は、『のぞみ鏡』だ―は、空き教室の真ん中にぽつんと佇んでいる。

――Erised stra ehru oyt ube cafru oyt on wohsi

鏡の枠の上に書かれた文章は、暗い教室のもとでも視界に鮮明に映った。
「授業で取りあげられてないのに、物知りやな。」
「試験勉強で参考にした本に書いてあった。ここにあるとは思っていなかったが。」
ヒヨシは鏡をまじまじと見つめ、ひと段落ついたように息を吐くと、鏡の前に立った。

ホグワーツの図書館に、『闇の魔法ではない呪い―魅了するもの―』という本がある。それには中毒性の高い惚れ薬や、嵌めると二度と外したくなくなる指輪などが載っている。悪質な呪いを使わずに、悪質な呪いと同等の効果を引き出してしまった例を、おおよそ125件。その一番目が、みぞの鏡だ。
Erised Mirror――英語ならば、そう呼ぶらしい。数多の人間がこの鏡に姿を映し、心を奪われてしまった。そこに映ったものを永久に見たいと願ったがために。
みぞの鏡のページはすべての文章が逆さまになっている。つまり、みぞの鏡という名前も、それに書かれた文章も、すべて逆から読むべきものである、と示しているのだ。

――I show not your face but your hearts desire
  私は貴方の姿ではなく心の望みを映す

欲なんて一つも無さそうなヒヨシが鏡に映ったら、いったい何が見えるのだろう。好奇心にかられて鏡を覗いてみたが、ただヒヨシの姿が映っているだけだった。心の望みは本人にしか見えない。そう逆さまに書いてあったことを思い出した。
「何が見えたん?」
今夜の好奇心は家主よりずっと活発に動いているようだ。
「俺の姿だ。それ以外は何も。」
「……何も?」
「ああ。」
ヒヨシは至極つまらなさそうにそう言った。普段から超えたい人がいるとか、下剋上だとか言っているのに、それは本心からの望みではなかったのだろうか。そう思って尋ねると、心外だな、とヒヨシは言った。
「それは目標だ。そこに到達すると決めている。望んだところで目標の達成には何の役にも立たない。」
ここまでイメージ通りの人間がいるとは、とザイゼンはバレないように小さく笑った。自分にも他人にも、それこそ身内にだって厳しそうだという外からの評価は、まさしく彼を表していたのだ。
「鏡の虜になることは一生なさそうやな、ヒヨシは。」
「叶えられない望みを抱いたところで不毛だろう。」
「……せやな。」
映らないものに興味はないと、ヒヨシが鏡の前から動いた。鏡の前の空いた空間を一瞥してから、ヒヨシが視線を合わせてくる。お前は見ないのか?と問いかけているようだった。夜中に抜け出した生徒を注意して、送り返すのが監督生の仕事じゃないのか。そう思ったけれども、ヒヨシは眉一つ動かさずにただザイゼンを見つめるばかりだ。そうして、仕方がないとおおげさに溜息を吐いて、ザイゼンは鏡に姿を映した。
ザイゼンは、鏡に何が映るかを既に知っていた。ヒヨシが来る前に見たからではない。ザイゼンが心の底から望んでいることは、もうずっと前から少しも変わっていないからだ。この先どう努力しようとも叶うことのない―ヒヨシ曰く不毛な―望みだ。
鏡の中のザイゼンは、カナリアイエローが目を引くローブを着ていた。隣には友人なのか、金髪の青年と、白髪の青年がいる。ザイゼンの後ろにも友人はたくさん並んでいて―違う寮の人間も混じっているようだ。ヒヨシもいる―、皆一様に笑顔だ。ザイゼンの持っている教科書にはH.Yの文字。Zではない。鏡の中のザイゼンは、ザイゼンという苗字を持たない平凡な少年だった。
ほらやっぱり。鏡の前のザイゼンは心の中で失望した。ほんの少しだけ、この不毛な望みではなく、もっと利己的で、くだらない自分の姿が映ればいいと思っていた。試験で主席になるとか、クィディッチで優勝して寮の英雄になるとか、魔法省の役人になるとか。天と地がひっくり返ったってザイゼンはクィディッチに出ないし、寮の英雄になることなんてありえないが。それでも、そうであった方がよっぽど気が楽だったに違いなかった。
「不毛やな。」
「……そうだな。お前が半純潔であることも、片親しかいないことも、その片親が元貴族であることも、変えられるものは一つもない。」
どうして、とは思わなかった。
ヒヨシはこのホグワーツで唯一自分の望みを知る人間だからだ。
「俺、ハッフルパフや。苗字も違う。……黄色は似合わんな。」
「性格もハッフルパフとは真逆だろう。」
「変な金髪のやつとか、白髪のやつがおる。奥にヒヨシも見えるわ。」
「金髪のやつはこの世に五万といるが、白髪のやつは少なくともホグワーツにはいないな。」
「友達がいっぱいいるみたいや。ありえへん。」
「お前の友人は数えるほどもいないな。」
ザイゼンが鏡の中の自分のことを言う度、ヒヨシはその一つ一つを丁寧に否定していく。ザイゼンの心を折るためではなく、代わりに否定してやることで、ザイゼンが虜にならないようにしてくれているのだ。そうザイゼンは解釈することにした。今までザイゼンが見てきたヒヨシという男は、たとえ身内であっても心を砕かないような人間だったため、完全なる捏造だが。
鏡の中のザイゼンについて説明し終わる頃には、窓から差していた月明りは角度を変えていた。ザイゼンがそれに気づいたのと同時にヒヨシも気づいたのか、そろそろ戻るぞ、と寄りかかっていた壁から背を離し、ザイゼンに近づいてくる。ヒヨシは無言のままザイゼンの頭に杖を当てた。何か冷たいどろりとしたものが全身を覆う感覚がする。―「目くらましだ。お前は監督生ではないからな。」―高位呪文だというのに、いったいどこで、というところまで考えたところで、ヒヨシお得意の試験勉強の参考図書の知識だろうということに思い至った。
「まだ見回りも終わってない。」教室の出口に向かいながら、ヒヨシはそう言った。
「最初に鏡を見始めたのはヒヨシやろ。」
「そもそも夜中に抜け出していたのは誰だ?」
居心地の悪い寮より、誰もいない教室の方が良さそうだった、ただそれだけだ。寒くても、布団がなくても、魔法ですべてなんとかなるのだから。そう主張したところで、ヒヨシは聞く耳を持たないだろうと思ったので、ザイゼンは何も言わないことを選んだ。
出口に向かいながら、ふと振り返る。自分のローブの裏地がエメラルドグリーンなのを確かめて、ザイゼンはもう一度鏡を見た。鏡の中のザイゼンはこちらを見ていた。エメラルドグリーンのローブを着て、独りぼっちで立っていた。

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