きつねに嫁入り


この春大学へ入学し数週間が経った今日、名前はゼミの歓迎会へと強制参加させられていた。あまり騒がしい席はすきではなかったし、本当は行きたくなかったが、新入生は強制参加だと先輩に言われてしまったのだ。先輩の言うことは絶対である。学校から離れた居酒屋の個室を貸切って始まった歓迎会という名の飲み会は、ものの1時間程で参加者の半数以上が酔っ払いという、なんとも面倒くさい状況に陥っていた。


「おい、苗字! 飲んでるかぁ!?」
「先輩、俺まだ未成年なんで…」


この歓迎会を強制参加だと言い放った元凶であるゼミの先輩がドシドシと大股で近づいてくると、名前の横にドカリと座った。酒が入っていて気分が良いのだろう。いつもよりも高いテンションと酒臭い吐息が余計に鬱陶しい。


「んな堅いこと言ってないで飲めよ! 先輩の言うことが聞けないのかぁ!?」
「いや、ほんま勘弁してください。まだ捕まりとぉないです」
「いいからのめって!!!」


結局先輩の勢いに負けてしまった名前は、この日初めてカシスオレンジを胃に流し込んだ。耐性のない身体にアルコールがみるみる回っていく。もしかしたら元々アルコールに弱い体質なのかもしれない。名前はくらくらと揺れる視界を前に、テーブルに突っ伏した。




「おい、苗字ー、大丈夫か?」
「お前が無理矢理飲ませるからだろぉ〜! かわいそうに、ぐでぐでじゃん」
「あー、わかったわかった! 責任もって俺が家まで送るって!」
「当たり前だっつーの! じゃあ俺達二次会行くから、来れそうならお前も来いよ!」


居酒屋での飲み会を終え、二次会へと流れるメンバーを見送りながら、男は名前の腰をぐっと抱き寄せ身体を密着させる。端から見れば酔っぱらった後輩を介抱する良い先輩の図だが、この男は以前から名前をそういう目で見ていたし、狙っていたのだ。だから今回、強制参加させたこの歓迎会で何とかお持ち帰りを成功させようと、数日前から色々と策を練っていた。結果見事に名前は己の腕の中で酔い潰れている。大成功だ。男はにやける顔を隠そうともせず、予め調べておいた近くのホテルへ向かうべく名前の身体を担ぎ上げようとした。その時。


「すんません、その人俺らが貰いますわぁ」


誰も居なかったはずの背後から突然、飄々とした声が男に掛けられる。


「だっ、誰だ!?」


男が慌てて振り替えると、そこにはすらりと背が高く、垂れ目がちな目に凛々しい眉が特徴的な甘い顔つきをした男が2人立っていた。そう、2人。同じような顔つきに同じような背格好。違うといえば髪色くらいだろうか。一方は金髪、一方はアッシュに近い銀髪だ。


「その人、俺らのんなんで。こっちください」


金髪の方が両手を差し出してくる。その後ろで腕を組んでこちらを見ている銀髪も、「名前を寄越せ」と視線で訴えてきている。2人とも顔は笑っているが目元は笑っていない。異様な雰囲気を醸し出す目の前の2人に、男は何故か背筋が泡立つのを感じた。


「な、何なんだお前ら! 警察呼ぶぞ!」
「ケーサツ?」
「なん、変なこと言いよるなぁ。こん人」


目を合わせながらくつくつと笑う2人。しかし次の瞬間、2人を纏っていた空気が一変した。先程までまばらに灯っていた街灯が一気に消え、まるでその場の気温が一瞬にして下がったような感覚。突如襲ってきた暗闇と寒気に、男は思わずガチガチと奥歯を鳴らす。


「俺らぜーんぶ見てたんやで? ほんまは全員出んでもええのに嘘ついて名前くん参加させたんも、」
「未成年の名前くんに無理矢理変なクスリ入れた酒飲ましたんも、ぜーんぶ見てたんやで?」

「なぁ、俺らがほんまにキレる前に」
「その汚い手ェから名前くん離して」

「「さっさと去ねや」」


「ひいいい!!」


ざわっ。どこからともなく吹いた突風が、金髪と銀髪の間を吹き抜ける。ついに耐えきれなくなった男は名前を勢いよく2人の方へ突き飛ばすと、恐怖からか縺れる脚で何度も転びそうになりながら大通りの方へと逃げていった。


「おっと! 危な!」


突き飛ばされた名前の身体を受け止めたのは銀髪の男だった。


「ンン〜…?」
「あ、名前くん、気ぃついた?」
「だいじょーぶ? 気持ちわるない?」
「あれ…、侑と治…? なんでここおるん…?」


まだアルコールと薬が残っているのだろう。目を開けた名前はぽやりとした顔で侑と治を見つめた。


「名前くんがピンチやったから助けにきたんや」
「もうちょっとであのクズ男にお持ち帰りされるとこやったんよ」
「おもちかえり…? なにゆうとん…? てゆかふたりとも…

みみとしっぽ…でてんぞ……ぐう…」

「あ。ほんまや」
「ついうっかり」




***


あれ、俺昨日どうやって帰ってきたんやっけ。確か先輩に勧められて酒飲んで…そのあとの記憶が本当にない。もしかして先輩わざわざ送ってくれたんやろか。後でお礼のラインしとかなあかんな。あー、なんか頭いたい。今日学校もバイトも休みでよかったなあ。取り敢えず起きて水飲みた、


「起きたんか」
「なんで居るんですか信介さん!」


起きようと布団を剥がした時、キッチンからひょっこり顔を出したのは本来ならここには居ない筈の人物。人物…でええんかな。今人やもんな。うん。ええわ。


「なんや、覚えてへんの。夜中に侑と治が迎えにいったやろ」
「えっ、そうやっけ…」
「足元見てみぃ」


信介さんにそう言われベッド上の足元を見ると、そこにはふわふわとした金色と銀色の2つのドーナツ…否、2匹のきつねがぷうぷうと寝息をたてていた。相変わらずええ毛皮しとる。ていうか、ほんまに来てたんや。


「全然覚えてへん…」
「昨日酒と一緒に変なクスリ飲まされたんやってな。せやから念の為おれが呼ばれたんや。安心しぃ、もう身体には残ってへんよ」
「くすり…!?」
「2人が助けに行かんかったらあの男にぺろっと食われとったな」
「くわれ…!?」


ぽんぽんと信介さんの口から飛び出るワードに頭が追いつかない。良く良く聞くとあの先輩はずっと俺のことを狙って? いて? 強制参加や嘘ついて俺を飲み会に参加させて尚且なんかよろしくないクスリを入れた酒を飲ませてきたと。えっ、こっわ。なにそれ怖すぎやん。やばいサブイボたった。俺は思わずぶるりと身体を震わせ両腕をさすった。


「今角名があの男んとこ行っとるわ。じき戻ってくるやろ」
「スナくんも来とるん!?」
「呪術はあいつが1番上手いからな。きっとええ具合に懲らしめてきてくれるわ。おれらの大事な名前に手ぇ出したらどうなるか、あのクソ男にはしっかり覚えて貰わなあかん」


そう言うと信介さんは俺の頭をくしゃりと撫でてくれた。昔から変わらない、少し体温が低めな手のひら。あー、この感じ、めっちゃ安心するんよね…。


「名前くん起きたん!」
「名前くんおはよお」


このまま二度寝しそう…と目を瞑りかけていると、突然がばりと背後から抱きつかれる。振り返らなくても誰かなんて分かりきったことだ。


「侑、おもたい。治も腰にしがみつくんやめぇ。苦しい」


侑と治、そして信介さん。あとさっき信介さんが言うてたスナくん。みんな人間やない。話すと長くなるから端折るけど、簡単に言うときつねの神様、らしい。いやほんま詳しいことは俺もよく分からへんねん。昔、ばあちゃん家の近くの山で怪我してたきつねの兄弟を助けたことがあってんけど、どうやらそれが侑と治やったらしくて。数年前のとある日、街中で男前な双子と目が合ったと思ったらいきなり「やっと見つけた! ずっと探してたんやで!」とか言いながら2人に抱きつかれて注目の的になってしまったのはほんまにほんまに恥ずかしかった。つい2人の頭を引っ叩いてしまったのは自己防衛本能ってやつやと思う。そんであれよあれよという間に信介さんやスナくん、他にも何人か居ったかな、まぁとりあえずいっぱいお知り合いになった。神様と。色々突っ込みたいとこはあったけど皆良くしてくれるしきつね可愛いしええかなあて。

それから男前な双子のきつねの神様こと侑と治は何かといえば俺のところへやってきて、一緒に他愛もない時間を過ごしたりしてた。けどこの春俺が大学へ進学するにあたって地元から地方に下宿することが決まった時、そりゃあもう2人にごねられた。なんでも土地神も兼ねてるからここを離れられないと。知らんがな。もう大学決まってもてるし。今更どうしようもないやん。結局信介さんが間に入ってくれて2人を説得(2人曰く、正論パンチていうらしい。あれ。確かにパンチ並の威力やった)してくれたんやけど、そうか、全く離れられへんて意味やなかったんやな。


「なに考えとるん?」
「皆との出会いを思い出してた」
「フッフ、なんそれ。名前くん相変わらずやなぁ」
「そんなとこがすきなんやけどなぁ。名前くん、ちゅーしよ」
「んむ」
「あっ! サムずっこ! 名前くん、次俺とやで!」
「侑、治、あんま名前に無理強いしたらあかんで」



きつね姿の侑と治にちゅーされるのは可愛くてすきやけど、人の姿してる2人は無駄に男前やから恥ずかしい。なんでいっつもちゅーしてくんの。キス魔か。


「言っとくけど、俺らがちゅーしたいんは名前くんだけやからな」


しまった。また読まれた。すぐ人の心読みよってからに。


「名前くんのことはなんでも知りたいんやもん」
「それに今回は俺らのお蔭で名前くんの大事な大事な純潔守れてんから、ちょっとくらいええやん? なあ治?」
「せやせや。名前くんの純潔は俺らに嫁入りするときまでちゃあんと守ったるから。あ〜、はよ名前くんの白無垢姿見たいなぁ」


純潔て。確かにまだ童貞やけども。白無垢て。俺男やし。百歩譲って紋付袴ちゃうん。いや、嫁入りとかせえへんけど。冗談きついわほんま。とりあえずはよ水飲みたいなあ。




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未成年の飲酒、ダメ、絶対。