「早く、バット持ってこい!!」
清水の声が響く。ざわめく外野。
武道はじっと、荒い呼吸と共に清水を見据えていた。
「もういいんじゃねーの。バット持ち出そうとした時点でお前の負けだわ」
騒がしい外野に埋め尽くされた段の上から、突如一際よく通る声が放たれた。一斉に全員の視線が声の主へと向く。当然それは武道も同じだった。
「(だ、誰…)」
腫れ上がった瞼で視界が悪い。痛みで目がかすむ。武道がどうにか声の主を探そうとしていると、声の主は外野の間をすり抜け段を降り、武道へと近づいてくる。不思議とそれを抑制しようとする輩は居なかった。まるで何か見えない力に圧倒されたかのように、皆が口を閉ざし、道を空ける。
そうして武道と清水の間に入るように降りてきた人物は、おおよそこの場に似つかわしくない風貌の青年だった。服装や声色から男だと分かったが、どこか気怠げで妖艶な雰囲気の顔立ちと男にしては華奢な体つきが相まって、その容姿はどこか女性的にも見える。そして何より目を引くのが首元と胸元に彫られた、鮮血のように鮮やかな赤で彩られた牡丹の刺青だ。惜しげもなく晒されている白い肌と真っ赤な牡丹のコントラストに武道は思わず息を呑む。
「ッ何だテメェ!! 調子乗ってるとブッ殺すぞ!!」
青年の登場で一変した空気の中、威勢よく叫んだのは清水だ。先程まで自分の独擅場だったのに急に現れた見知らぬ人物によって邪魔されたのだ。当然面白くないに違いない。現に清水の拳はきつく握られ、わなわなと震えている。
「調子乗ってんのはテメーだろ。こんなつまらねぇことしやがってよ」
青年がちらりと武道を見て言う。目の前に怒りに震えている大男がいるというのに、その声色や佇まいは凛としていて美しさまで感じる。
「上等だ!! そのスカした面ごとブッ殺してやる!!」
「! あぶな…!!」
こめかみに青筋を浮かべた清水が青年に殴りかかる。武道は思わず声を上げ目を瞑った。しかし次に武道が見たものは、青年が自分よりも体格の良い清水の顔面を掴み上げているという、目を疑う光景だった。
「随分と威勢がいいじゃねーか。俺が誰か分かってやってンの?」
ミシリ。掴まれた清水の顔面が軋む。青年の声がわずかに低くなったのに、武道は気づいていた。自分よりも小柄な青年に顔を掴まれているという屈辱的な状況だというのに、清水はただ目を見開き、何かに怯えるかのように体を小刻みに震わせている。
「み、みぎ、右手の平の"眼"の刺青…!! もしかしてアンタは…!!」
「ああ、これで気づいたの。でももうおせーわ」
青年は掴み上げていた清水の顔面から手を離したかと思うと、勢いよく後頭部を押し下げ、そして強かに己の膝を清水の顔面へとめり込ませた。ゴキャ、っと小気味悪い音がした。恐らく鼻の骨が折れた音だろう。重い一撃をまともに食らった清水は失神し、呆気なく崩れ落ちた。一連の流れを見ていた外野が騒ぎ始める。あのキヨマサが、キヨマサが一撃でやられた。あんな弱そうなやつに。アイツは一体何者だ。どよめきと好奇の目が青年と武道に向けられる。
「派手にやられてんね。だいじょーぶ?」
そんな中、青年は未だ地面に座り込んでいる武道に目線を合わせるように己もしゃがみ込みながら声を掛けてきた。その声は先程清水に対しての時よりもずっと柔らかく、耳に心地よい。そして至近距離で見る青年の顔は、やはりとても整っていた。こんなに綺麗な顔をした人が、あのキヨマサを一撃で沈めただなんて。
「アッ、えっ、だっ、大丈夫、デス…!」
咄嗟に出た武道の声は自分でも情けなくなる程に震え上擦っていた。殴られた時に口の中も深く切れていて正直喋るのも辛い。それでも武道は、ゴクリと口の中の血と唾を飲み込むと、意を決して目の前の人物に問う。
「あの、」
君は一体、何者?
武道の決死の問いは、突如響き渡り始めた外野の大声にかき消されてしまった。周りを見渡せば全員が体をくの字まで曲げ、頭を深く下げながらただひたすらに声を発している。
「お疲れ様です!!」
「総長! お疲れ様です!!」
総長。その言葉に武道はびくりと肩を震わせる。視線の先には大柄で金髪の辮髪、そしてこめかみに彫られた龍の刺青が目立つ青年と、その後ろに小柄でピンクゴールドの髪をハーフアップにした青年が此方に向かってきていた。どうやら大柄な青年の方が「ドラケン」、小柄な青年の方が未来の東京卍會のトップである佐野万次郎こと「マイキー」らしい。途中外野から佐野に声を掛けた輩が居たようだが、佐野本人には全く相手にされなかったようだ。
「あン? キヨマサ、もうノビてんじゃねーか」
龍宮寺がふと見ると、未だ意識の戻らない清水が地面に転がっていた。更に視線を前方へと移すと、自分達に背を向けるようにしゃがみ込んでいる背中と、その向かいに全身が傷だらけになっている、見るからに弱そうな少年が座り込んでいる。この状況を見て龍宮寺は「ああ」と全てを悟った。それと同時に、後ろに居た佐野が大きな声を上げる。
「あーっ!! ボッチンいるじゃん!!」
ボッチン。佐野にそう呼ばれた青年は、ひとつ溜息をこぼしてからゆっくりと立ち上がると、2人の方へと向き直る。その様子を武道はただ呆然と見ていた。
「そのアダ名であんまり呼ぶなって言ったよな、マイキー」
「えー? だってボッチンはボッチンでしょ。ねえケンチン」
「マイキーがボッチンだって言うならお前はボッチンだ」
「堅には呼ばれたくなさすぎる」
東卍の総長、副総長と親しげに話す「ボッチン」と呼ばれている青年。その異様な光景の中、外野の1人が恐る恐る尋ねた。
「あの…、その人は…」
その言葉に、龍宮寺はギロリと発言をした主を睨みつける。あまりの威圧感に、睨みつけられた声の主はヒィ、と情けない声を漏らした。だがそれだけでは終わらない。佐野に至っては無表情で声の主に詰め寄ると、思い切り胸ぐらを掴み上げた。掴み上げられたシャツの生地がギチギチと悲鳴を上げている。
「お前、東卍入ってんの?」
「ウッ…! は、はい、入ってます…!」
「じゃあなんで知らないの? おかしくない?」
「へっ…」
「もういいよ。お前いらない」
そう言うと佐野は、冷や汗でしとどに濡れた顔面を拳で殴りつけた。あまりの暴挙に周囲も思わず息を呑むが、ここに佐野を止められる者など居ない。3発も殴った頃には相手は気を失いすっかり脱力してしまっていた。
「マイキー、何やってんだよ。そんなこと別にどうだっていいだろ」
「よくねーし! それになんか、アイツむかついた」
そこに声を掛けたのが誰でもない「ボッチン」だった。彼に声を掛けられた佐野は先程の無表情から一転、ぷくりと頬を膨らませ、まるで幼い子供のような口振りで答える。そのやり取りを見ていた龍宮寺は静まり返っている外野に向かって口を開いた。
「テメェら、この辺で不良やってんなら名前くらいは知ってんだろ。こいつは
東京卍會、参謀総長の能瀬牡丹だ」
東京卍會の参謀総長。武道は思わず龍宮寺と並ぶ能瀬の姿を凝視する。
そしてこの能瀬牡丹という青年との出会いがこれからの未来にどんな影響をもたらすのか、武道はまだ知る由もなかった。