たったひとつの




ひとりきりだったAV室に突然鳴ったスマホの電子音。電話だ。しかもあかりから。いつも声は聞きたいが、特に今日は聞きたくて仕方なかった。だって今日は、2月14日だ。逸る気持ちを抑えて、変な声が出ないよう一度咳払いをしてから通話を押す。


「おっす、あかり!どうした?」

「突然すみません。守沢先輩、今どちらにいらっしゃいますか?」

「ん、今か?AV室だぞ」

「今から少しだけ伺ってもいいですか?」

「構わないぞ。待ってる」


にやつきそうになるのを堪えて電話を切る。そう、今日は2月14日。アイドルとはいえ、普段は俺もごく普通の男子高校生。男だってバレンタインに浮かれてもいいだろ。女の子からチョコが欲しいと思ったっていいだろ。好きな子が居る場合なら、尚更。

電話を切ってから約5分、遠慮がちなノックのあと、静かにドアが開く。「お邪魔してすみません」と申し訳なさそうにあかりが入って来た。そう畏まったり謝らないで欲しい。邪魔なんて思っていない、寧ろ嬉しいくらいなのに。


「邪魔なんてとんでもない。ゆっくりしていってくれ」

「恐れ入ります。…え、えっと…急にごめんなさい」

「いや、全然問題ない。…それで、どうした?」

「遅くなってすみません。守沢先輩、バレンタインのチョコです」

「おっ、ありがとう!」


差し出された可愛い紙袋を受け取る。今日、これに似たような紙袋を何個も見かけた。あんずもそうらしいが、あかりは律儀に、関わったユニット全員にチョコを配り歩いているようだった。これも、そのうちのひとつなんだろうか。…いや、余計なことは考えるな。せっかくあかりがくれたんだから。


「この為に来てくれたのか。わざわざありがとうな。帰ってから、ゆっくりいただこう」

「是非そうしてください」

「沢山配っていたようだが、全員分作ったのか?ショコラフェスもあったのに大変じゃなかったか?」

「はい。仰る通り、ぶっちゃけフェスで疲れきってしまって。なので配っていたのは市販です」

「お、おう…そうなのか…」

「確かに市販は楽でしたけど、その代わり結構な出費になりましたね」


自分でもわかる、あからさまなテンションの落差。そうかあ…市販かあ……市販………手作り、欲しかったな。俺は間もなく卒業するのだから、あかりからチョコを、しかも手渡しでもらえるなんていうチャンスはもうないだろう。せっかくならやっぱり手作りが欲しかった。


「意外と大変なんですよ、手作り」

「ま、まあ…確かに、ショコラフェスで作る大変さは理解した。ラッピングも一筋縄ではいかなかったな」

「ふふ。守沢先輩、結構苦戦されてましたもんね」

「あはは。俺がいちばん不器用だった気がするな。そのせいで沢山あかりの世話になってしまったな」

「いえいえ。あれくらい、どうってことありません。そんなわけで手作りは全部の行程が大変なんですよ。だから、手作りは本命にしかしないことにしました」


本命以外に労力かけたくないですからねーなんてあっさり言うあかりに思わず苦笑い。義理でもいいから手作りが食べたかった気持ちはあるが、だからって全員にそれが行き渡るのも確かに複雑だ。……誰か、あかりの手作りチョコを手にしたやつが、この校内に居るのだろうか。あかりが労力をかけてでも作りたい、渡したいと思う相手が、この世界に居るのだろうか。


「……羨ましいな」

「…先輩?」

「あ、いや!なんでもない!」


しまった、つい本音が出た。こんなの手作りチョコが欲しかったと、イコールあかりからの本命が欲しかったと言っているようなものではないか。……でも実際、もらえるものなら、欲しかった。そう思っていたことに間違いはない。だからこんなに気持ちが浮き沈みしているわけだし。
 
いや、待て。そもそも今年あかりが手作りチョコを誰かに渡しているとも限らない。それならまだ、望みはあるだろう。…少し、探りを入れてみようかな。


「誰かに、作って渡したのか?」

「ふふふ。先輩は、どう思います?」

「…否定しないということは、あげたということか?話を聞いてみたいな。秘密にしろというなら約束は守るぞ」

「近いうちにわかりますよ。先に申し上げておきますが、あんずちゃんじゃないですからね」

「…そうか。そういえばあんずとは交換しないのか?友達と交換するのも醍醐味ではないのか」

「当初はそのつもりだったんですけど、フェスで思いのほか疲れてしまったんです。で、あんずちゃんと話し合って、友チョコ代わりに、一緒にお買い物行ってお揃いのキーホルダーと色ちがいのシャーペン買ってきました」


はぐらかされたような感じもするが、代わりに微笑ましい話を聞けた。嬉しそうに笑ってキーホルダーとシャーペンを見せてくれるあかりは、可愛い。やっぱり俺はこの笑顔を見るのが好きだ。俺は、あかりのことが好きだ。なにがあってもこの気持ちは揺るがないと、自分のなかで再確認した。

今はまだ俺に脈がなくてもいい。現時点であかりに本命が居ないこと、あかりの本命チョコが誰の手にも渡っていないことを祈ろう。まだ俺にも土俵に上がれるチャンスが残されていると、それくらい夢見たっていいよな。それくらいなら、バチは当たらないよな。


「…あ、もうこんな時間だ。すみません先輩、わたし、そろそろ行きますね」

「そうか。気を付けてな」

「はい。長居しちゃってすみませんでした。……あの、守沢先輩」

「ん?なんだ?」

「それ、手作りですから」

「………………え!?」


俺の次の言葉を待たずしてあかりは「失礼します!」と早足で立ち去ってしまった。ていうか、どういうことだ。手作りって。あんな話のあとだ、あかりの手作りチョコって、まさか、そんな、そういう意味なのか。慌てて袋の中を確認すると、一目で手作りだとわかるような手の込んだ綺麗なラッピング。ショコラフェスで俺たちがやったものとは違って、明らかに豪華で可愛い包装だ。

中身もいろんな種類のチョコと、色とりどりのマカロンまで一緒に入ってる。配置まで考えてくれたのかな。見た目にもこだわったのが、俺にもわかる。……こんなにがんばってくれたのか。俺の為に。俺だけの為に。それだけでも有頂天ものだというのに、一緒に手紙のようなものも入ってた。見慣れたあかりの綺麗な字で「いつも明るくて優しくて、ヒーローのように頼もしい守沢先輩が大好きです」と書いてあった。

顔が一気に熱くなる。まさかあかりの手作りチョコが俺の手元に来るだなんて、しかも手紙セットという可愛いことをしてくれるなんて予想してなかった。きっとあかりも緊張しただろうに。いつもと変わらない雰囲気でいようとしたのは、もしかしなくてもあかりなりの照れ隠しだったんだ。あかりなりの精一杯で、こうして伝えてくれたんだ。これがもし義理なら教室でその他大勢と一緒に渡せばよかったはずだ。きっと俺がひとりになるのを見計らっていたのだろう。今頃になって察するなんて鈍感にも程がある。すぐ気付いてやれなくて、ごめん。

まだ、間に合うだろうか。紙袋をそっと抱えてあかりが走っていった方向へ向かう。言い逃げは勘弁してくれ。俺も、お前に伝えたいことがある。今すぐに、どうしても伝えたいことだ。返事は一ヶ月先なんて、待っていられない。




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