いい子にして、待っててよ。





「翠」


学校からの帰り道。ふと、懐かしい声がした。反射的に振り返ったが、見なくてもわかる。声の主は、あかり。中学校の三年間、同じクラスだった。騒がしい女子ばかりのなか、あかりは比較的おとなしくて落ち着きがあって、俺が唯一、普通に話せる女子だった。高校は離れたから必然的に逢うことはなくなったけれど、声を聞けばすぐわかる。


「あかりじゃん。久しぶり」

「ほんとに久しぶりだね。卒業して以来?」

「そうだね。高校は、まるっきり反対方向だっけ」

「うん。今の時期は自転車辛いからバス通学」

「大変だね」

「翠ほどじゃないよ」


あかりの言葉に首を傾げる。「だって翠、アイドル科に通ってるんだよね」と言われてようやく納得。普通科を受ける話はしたような気がするから、あかりもさぞ驚いただろう。だって俺がいちばん驚いたから。合格通知が来て腰抜かしたくらいだし。


「有り得ないでしょ。学科間違えて受験するとか。しかも受かってるし」

「いっそ落としてほしかったよ…」

「その割には、表情が悪くないよ?」

「…あかりの見間違いだよ」

「ふふ、そうかな」

「そうだよ」


取り敢えず否定してみたが、あかりの反応を見る限り、ばれているらしい。間違えて入ってしまったはずのアイドル科だけど、そんなに悪いことばかりじゃないと思ってしまっていることに。あの頃から、あかりとは具体的な言葉を交わさなくても、なんとなく考えていることがお互いにわかったんだよな。波長が合うっていうのか。


「あのさ、翠。これからちょっと時間ある?」

「まあ…帰るだけだったから、あるっちゃある」

「今から少し話せるかな」

「ん。いいよ」


あかりからの頼みに二つ返事で了承。久しぶりに逢ったんだし、あれで帰られたら俺も結構へこんだだろう。落ち着いて話がしたいと思って、あかりと相談して商店街から少し離れた公園に行くことにした。ここは俺たちが通っていた中学に近くて、偶然帰りが同じになったときに寄ってたな。ただ、飽きることなく他愛ないことを話していた。あの頃の思い出が残るベンチに、特に合図したわけでもないのに同じタイミングで座った。


「ごめんね、寒いのに連れ出して」

「うん、寒い。でもなんとか大丈夫」

「だよね、寒いよね。なるべく短時間で済ますからね」

「そんなのいいよ。急用があるってわけじゃないんだし」


俺の言葉に「翠は相変わらず優しいね」と笑ったあかり。優しい…ねえ。自分ではそう思わないけど、あかりがそう思うなら、きっとあかりにだけそうなんだろう。


「あかり、学校どう?」

「んー…普通?」

「随分当たり障りないね」

「当たり障りない生活しか送ってないからね」

「面白いこと、ないの?」

「ない」


はっきり言い切ったあかりに、複雑な気持ちを覚える。あかりがどんな学校生活を送っているのか、ちょっと気になった。俺が知らないことを聞きたかった気持ちはあるけど、だからって「楽しいよ!」と言われてしまったら相当落ち込んだだろう。だってもしそうだとしたら、そのあかりの今の楽しい学校生活に、俺は居ない。だからそうならなくてよかったとも思う。今の俺、面倒くさい。


「それでね、えっと、大した用事ってわけじゃ、ないんだけど」

「うん」

「はい。翠にあげる」


あかりが差し出したのは、可愛い紙袋。今日の日付を考えると、中身を推理するのは容易かった。バレンタインデーのチョコレートだろう。中一のときからの恒例行事。誰が言い出しっぺなのかわからないけど、クラスの女子は男女関係なく全員に渡していたっけ。もちろんあかりも例外なく。高校が離れてもなお、くれるとは思わなかったけど。


「相変わらず律儀だね。ありがと」

「いえいえ。…あのさ」

「ん?」

「…この為だけに待ってた、って言ったら……気持ち悪い?」


待ってた、ってことは…少なからずあの場で俺のことを待ってた、ってことだよな。最初から、俺に逢う為に。中身の手作りチョコを、俺に渡す為に。こんな寒いなか、じっと待ってたということだ。


「い、いや…気持ち悪いとは、思わないけど…」

「…そっか。なら、いいや」


俺の返答に、ほっとしたような表情を見せたあかり。安心してくれるのはいいけど、俺があかりに対して「気持ち悪いと思う」と疑われたことは心外。そんなこと思うわけないじゃん。


「それにしても、まだやってたんだね。全員にバレンタインデーのプレゼント」

「一応ね。あれ、最初は誰が言い出したんだろう。ほんといい迷惑。ブラックサンダーとかチロルチョコでもさ、さすがにクラスの人数分用意するのは辛いものがあるよ」

「………ん?」

「どしたの?」

「俺、あかりからそんなのもらったことないけど…」

「………………」

「………………」

「……あ、あれー?そうだっけ!ごめん、忘れちゃった!」

「…あかり」

「え、えっとね、用事、これだけなんだ。それなのに連れ出してごめん。もう帰るね」

「待って、あかり」


あからさまに態度が変わったあかりを咄嗟に腕を掴んで引き留めた。俺はあかりから、手作りのチョコしかもらったことがない。中一の時から、ずっと。最初に手作りってわかったときは嬉しかったけど、それを全員に配ってるんだって思ってたから、やるせない気持ちもあった。それがここにきて、俺にだけ手作りだったと発覚した。これで問い質さないほど馬鹿じゃないよ、俺も。


「ねえ、あかり」

「……はい」

「俺には、ずっと手作りくれてたんでしょ。で、今回もそうだよね。なんで?」

「いや、だ、だから、な、なんで、と、言われましても……っ」


明らかに目が泳いでいる。口調もおかしい。あかりが今とてつもなく動揺していることは一目瞭然。なんで動揺してるの。なんで逃げようとしたの。…なんで、そんなに顔が赤いの。


「あかり」

「…も、もう!今更言わせないで!わかってるでしょ!」

「そんなの、直接言われないとわかんない」

「絶対嘘だ!」

「そう思うなら、ちゃんと教えて。あかりの言葉で」


逃がさないという意志を込めて、あかりの腕を掴む力を少し強める。暫く沈黙が続いたけれど、先に根負けしたのはあかりだった。目を閉じて一度深呼吸して、ゆっくりと目を開ける。たった数秒間の動作が、とてつもなく長いものに感じた。そして、あかりはその大きな目で、しっかりと俺を見てくれた。


「…好き、なの。翠のこと、ずっと前から」

「うん」

「最初にあげたときからずっと、今も、翠が本命。手作りは友だちにもあげてない。…ごめんね、こんな小狡い渡し方しかできなくて」


耳まで真っ赤にしたあかりから、必死に紡がれた真っ直ぐな言葉。ずっと聞きたかった。そうだったらいいのにと、ずっと願っていた。それが今、ようやく聞けた。嬉しさが込み上げてくる感覚って、これのことなんだな。


「そう。わかった。ありがと」

「……は?」

「なに?」

「いや、え、聞き出しておいて、それだけ?」

「なに言ってんの。バレンタインの返事は一ヶ月後って相場でしょ」

「え、ちょ、それはひどくない!?これでも結構勇気出したのに!」

「……全く、ひどいのはどっちだよ」


俺の気持ちを知りもしないでよく言うよ。まあ、俺も伝えてないから無理もないんだろうけど。でもさ、あの頃から別に全くアクション起こしてなかったってわけでもなかったんだよ。チョコのお礼と感想、毎年言ってたじゃん。美味しかった、ありがとうって、ちゃんと伝えてたし。少しくらいは気にしてくれててもよかったんじゃないの。


「俺、三年も我慢してたんだよ。それと比べれば一ヶ月くらい、どうってことないでしょ」


俺の言葉に理解が追い付かないのか、頭上に幾つものクエスチョンマークを浮かべるあかり。その顔がおもしろくて思わず笑ってしまった。未だに納得のいっていないような顔のあかりに「じゃあ、そういうことね」とだけ言って、あかりを残して立ち上がり公園を後にした。ある程度離れたところで足を止めて、大きな溜め息をついた。


「……あー…やばかった…」


あかりにはあんなこと言ったけど、言わせた俺もすげえ緊張した。これで誤魔化されたり、最悪ただの気紛れとか言われたら生きていけなかっただろう。それにしても…直接言われるのって、こんなに嬉しくて実感湧くものなんだな。きっとあかりなりに、これから俺の言葉の意味を考えるのだろう。それでいい。一ヶ月、俺の言葉に惑わされて。俺のことばかり考えて。俺も一ヶ月、念入りにお返しの仕方を考えておくから。

そういえばもうひとつ、鈍感なあかりは知らないことがある。俺、あかりのチョコ以外受け取ったこと、ないんだよ。義理とか本命とか関係なく、あかりが作ったチョコしかもらってない。あの頃からずっと、今も、あかりは俺の特別だから。ま、このことは一ヶ月後までは教えてあげないけどね。



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