ちいさな箱とおおきな気持ち





「…ふう。全部配り終わったー」


今日はショコラフェスの本番だった。朝からみんなと一緒に、お客さんに配るチョコ作りのお手伝いをした。みんなの見本用に作ったチョコが意外と出来が良いこと、更に個数もなかなかあったことに気づいて、それをバレンタインデーのチョコとしてみんなに配り歩いた。大量生産ものとわかっていながらも、一応みんな受け取ってくれた。食べるかどうかは個人の判断に任せるけど。

それにしても、フェスの運営のあとに歩き回って一層疲れた。でも無事にフェスが終わって取り敢えずは一息つけるといったところだろうか。一ヶ月先には返礼祭が待っているけれど、ひとまず大きな仕事は終わったのだから数日は息抜きをしたい。リセットして、また気持ちを新たに次のお仕事に取りかかりたい。誰に対する言い訳か。

さて、そろそろ帰るとしよう。荷物を持って、忘れ物がないか確認して教室を出た。


「あかり殿っ」

「はーい」


教室から出てきて聞こえたのは忍くんの声。振り返ると予想通り、そこにいたのは忍くん。ライブ後だというのに、元気にこちらに向かって小走りで来た。先生に見つかったら怒られるぞ。…なんて、今は後始末で居ないけど。


「お疲れさま。これから帰るの?」

「うむ。あかり殿は?」

「わたしもそろそろ帰るよ。……途中まで一緒に帰る?」


一緒に帰るかという問いかけに、忍くんは顔をぱあっと明るくさせ、何度も頷く。よく思うけれど、この子は可愛い。顔は割と男の子なんだけど、仕草とか立ち振舞いとか、そういうのが可愛い。

忍くんと並んで校門を出て、なにを言わずとも同じ方向に歩く。何度か一緒に帰って気付いたことなんだけど、わたしたちは帰りが途中までおんなじ方向。それに気付いてからは、途中まででいいから一緒に帰れたらいいな、偶然逢えないかなって、ひとりで歩いているときにいつも思うようになってしまった。


「あかり殿。あの、あかり殿がくれたチョコ、とても美味でござった!」

「え、もう食べたの!」

「うむ。流星隊のメンバーはみんな早いうちに頂いたでござる。包装もとても綺麗で、拙者感激でござったよ!」

「そ、そっか。…よかった」


ちゃんと、食べてもらえたのか。食べるかどうかは個人の判断に任せようと思っていたけれど、実際に食べてもらえて、しかも感想までもらえたとなると…めちゃくちゃ嬉しい。嬉しすぎて天に召される。迎えが来そう。いや、やっぱりまだ来るな。この幸せな時間をまだまだ堪能したい。


「そ、そういえば、この間の雪、結構降ったよね。積もった?」

「まあまあでござる。次の日の朝は、玄関前を雪かきしてからの登校になったでござるよ」

「だよね。うちの周り、日陰でさ。今でもなかなか溶けずに残ってる」

「それは大変でござるな…凍ってしまうと滑るでござる。お怪我などなされぬよう、注意してくだされ」


忍くんはよく言葉の端々に、こういう思いやりを感じる言い方をする。本当に優しくていい子だ。親御さんや守沢先輩たちにしっかり育てられているんだろう。

それからもたくさん話していると、そろそろわたしたちの分岐点が見える。いつも、あそこで「また明日ね」と言って別方向に帰る。今日は特に、ここまで来るのが早かった気がするな……


「忍くん、今日も楽しかったよ。また…」

「あの、あかり殿」

「はいはい」

「その…今日は、お宅までお送りしても、構わぬか……?」


…驚いた。めっちゃ驚いた。今まで何回か一緒に帰っているけれど、はじめての出来事だ。いつもはここで笑ってお別れする。今日もそうだと、てっきり思っていたのに。


「…忍くん、遠回りじゃないの?」

「拙者は全く問題ないでござる!だから…あかり殿の迷惑にならないのなら…ご一緒したいのでござるが…」

「迷惑なわけないでしょ。こちらこそ、今日はお願いしていいかな」


今日一番の忍くんの笑顔。ステージ上で見せているものと見劣りしない、眩しくてきらきらした顔。この子はアイドルになるべくしてなったんだろうと自然に思えるくらい。そんなわけで、今日はここでは別れず同じ方向に向かって歩き出す。この道を誰かと歩くのは、はじめてかもしれない。やっぱり、ひとりよりずっと楽しいし嬉しい。今一緒にいるのが忍くんだから尚のこと。


「あそこから、また結構距離があるでござるな」

「んー…言われればそうかも」


特に、忍くんと別れたあとは、いつもより長くて退屈。それまでが楽しくてあっという間だと、その反動でつまらなく思ってしまうんだろうね。最初からひとりで帰っているときは気にしたことなかったけど。


「でも今日は忍くんと一緒だから、あんまり長く感じない」

「そ、そうでござるか?」

「うん。一緒にいてくれるのが忍くんでよかった」

「お役に立てたなら、嬉しいでござる」


忍くんでよかった。忍くんと一緒に帰っているときが、いちばん楽しい。本当にそう思うんだ。

帰る距離を延長しても、やっぱり一緒にいる時間は早くて。あっという間に我が家の前へ着いた。ここからは、どうやっても延長はできない。本当に残念だ。家がもう少し遠ければよかったのに、と本気で考えてしまう。


「ここがあかり殿のお宅でござるのか」

「うん。ここまで来てくれてありがとう。すごく楽しかった」

「拙者も、とても楽しかったでござる!」


帰り道、気を付けてね。そう言おうとしたけれど、なんだか忍くんのようすがおかしいことに気付いた。どうしたのかと声を掛けようとした直前、忍くんが唐突に鞄を漁り出した。


「あ、あの、あかり殿っ」

「はい」

「拙者、その……あかり殿に、渡したいものがあって…」

「え、なあに?」

「う、受け取ってほしいでござる!」

「もちろんだよ。ありがとう」


忍くんの鞄から出てきたのは可愛らしい袋。忍くんの許可を得て中身を取り出す。長方形の箱の正体を知った瞬間、反射的に声が出た。


「え、うそ!ロイズ!」


まさかの有名ブランドの生チョコ。しかも偶然にもわたしがいちばん好きなスイート味。これは完全に予想していなかった事態だ。え、いいの?本当に?こんな、軽々しくもらっていいのかな。……いや、忍くんが、くれたんだ。受け取ってほしいと言ってくれたんだから、受け取ってこそ価値があるんだろう。


「これ超美味しいやつ!ほんとにもらっていいの?」

「う、うむ!あかり殿に、もらってほしいでござる」

「本当?ありがとう!遠慮なくいただくね」

「拙者こそ、いつもあかり殿にはお世話になりっぱなしでござる。日頃のお礼を、少しでもお返しできればと思って…」

「その気持ちで充分嬉しい。ありがとうね」


わたしの言葉に、忍くんは嬉しそうに笑ってくれた。しかし、お世話になっていると言われても、わたしは特段日頃のお礼なんて言われるようなことはしていないような……………ん、ちょっと待て。


「もしかして忍くん、お世話になったひと全員に配り歩いているの?余計なお世話かもしれないけど、お財布大丈夫?結構な出費になっちゃったでしょ」

「あ、そ、その心配は無用でござる!あかり殿にしか、買っていないので!」

「……………ほぇ?」

「そ、そういうことで!拙者は、これにて!」


「また明日でござるー!」と言い残して、忍くんは行ってしまった。思考が追い付かないわたしは暫く動けなかった。しかし、これはどういうことなの。チョコを見ながら足りない頭で考えてみる。…これ、わたしにしか買っていない。つまり、忍くんが逆チョコしたのは、わたしだけ。他にはあげていない。流星隊のメンバー、衣更くん、あんずちゃん…忍くんと関わりがあるひとはこれだけいる。なのに、わたしだけ。

これは日頃お世話になってるお礼だと言っていた。だからこのチョコにはそんな深い意味があるとは限らない。……だけど、さ。わたしだけって聞かされて期待するなってのが無理な話じゃん。だってさ、女の子ばかりがひしめくバレンタインコーナーで、わたしだけの為に買ってきてくれたって思ったらそんなの嬉しいに決まってる。………あ、もしかしたら通販か?どちらにせよ、わたしだけの為にそんな労力かけてくれたという点は変わらないと思う。…やっぱり都合よすぎる解釈かな。


「……ホワイトデーって、女がお返しするのはアリなのかな」


ぽつりとこぼれた一人言は、誰にも聞かれることなく冬の空に溶けていく。性別関係なくお礼をする日だと解釈すれば、大丈夫だよね。うん、大丈夫、だと思う、たぶん。お返ししたいって、他でもないわたしが思っているんだから、いいよね。

勝負は、一ヶ月後。もちろん渡すのは、忍くんにだけ。このチョコレートのお返しも、こっそり抱えていたこの気持ちも。



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